最近、授業について改めて考えてみると、学習者の「好奇心」にいかに働きかけるかが大切であると感じます。以前も紹介しましたが、『好奇心のパワー』(新評論)について、もう一度触れてみたいと思います。同書「第3章 聴き方を選択する」では、65ページに次のような言葉が紹介されています。
「人間の欲求で最も基本的なものは、人を理解したい、そして人に理解されたいという欲求です。人を理解する最も有効な方法は、人が話すことを聞くことです。 ラルフ・ニコルス」
ここに書かれたことは、学校教育において最も大切なことの一つであろうと思います。もっと人を理解しようという営みが学校で行われていれば、無用なトラブルや、最悪の場合、命にもかかわるような悲劇が減るものと思います。生徒指導は子ども理解から始まると言われますが、まさに子どもたちの発言に耳を傾け、子どもを理解することが出発点です。
質問の大切さはたびたび、このブログでも取り上げてきましたが、この本の「第4章 好奇心を示すオープンな質問をする」では、どのような質問を投げかければよいのかがわかりやすい事例を通して語られています。87ページに次のような言葉が紹介されています。
「賢い人は正解を言わず、よい質問をする クロード・レヴィ=ストロース」
レヴィ=ストロースは有名な人類学者ですが、さすがに素晴らしい言葉を残したものです。教師は授業の中で、問題・課題に対する解答を教える場面がもちろんあるわけですが、いつもそうであっては子どもの思考力は育ちません。「よい質問」で子どもたちにじっくりと考えさせ、調べたり、話し合ったりして、考えを深めさせる必要があるわけです。
質問にもクローズドな質問とオープンな質問の二つのタイプがあるわけですが、これまでの授業ではこれしか正解がないというクローズドな質問が主流でしたが、21世紀になってからはオープンな質問の大切さに光が当たるようになりました。
実際、社会の中では、答えのなかなか見つからない問いがたくさんあるわけですから、このような変化は当然のことでしょう。
たとえば、再生医療や遺伝子工学などでは、これまで神の領域と言われてきた事柄にまで人間の科学技術が及ぶようになりました。クローン人間なども決して夢ではなくなってきたわけです。ただ、技術的に可能ならば何をしてもよいのか、このあたりの生命倫理の問題は今後ますます重要になるものと思います。また、原子力の問題。福島の事故は未だに終息していませんが、国策として「原子力発電技術の輸出」を掲げている現状があります。あの事故の教訓を完全に学び取ったのかどうかわからない状況で、次に踏み出していくという科学技術と社会の有り様をどう考えるのでしょうか。学校で教えられている「理科」という教科にはそのあたりまでが学びの範囲に入るべきだと改めて思う次第です。
しばらく前に、新学習指導要領が発表されて、新聞報道では特に「カリキュラム・マネジメント」に対して、にわかに注目が集まったことがありました。
このブログでも、再三「カリキュラム・マネジメント」の重要性については触れてきましたが、特に「ひと・もの・お金」という条件整備が整わない環境での「カリキュラム・マネジメント」は成果を生み出すことが難しいのも事実です。
「教育課程論」の第一人者である安彦忠彦氏も「その種の活動が可能になるような条件整備がよほど伴わなければ、空回りして所期の成果を挙げることは難しい」(日本教育新聞・平成29年2月20日号記事)と述べています。同新聞の同じページには、埼玉県内の校長談が次のように紹介されていました。
「当初は授業方法の大幅な見直しを求められると身構えたが、それを思うと、大きく変わる印象は受けない。正直、少し拍子抜けした感じだ。」
やはり、「アクティブ・ラーニング」という文言が消えてしまったので、こんな印象になってしまったのでしょうか。しかし、よく考えると「深い学び」を追究するわけですから、これは大変な転換です。
しかも、「学習内容を減らさずに」です。内容を減らして、じっくり時間をかけて「深い学び」をやるというわけではないのです。そのためには、当然各学校での「カリキュラム・マネジメント」が必須になります。
子どもたちの「好奇心のパワー」に依拠しながら、探究の学びを追究したいものです。理科の授業については、『だれもが<科学者>になれる!――探究力を育む理科の授業』(新評論・2020年)が参考になります。探究理科の実現に向けた道程が必ず見えてくるものと思います。
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