2025年4月20日日曜日

「教員研修は、受講者の実践を変える」と「教師は、変化に抵抗する」という神話

 『インストラクショナル・コーチング』(近刊、図書文化)の著者のJim Knightは、過去25年間、教員研修に携わってきた人です。その過程で学んできたことを振り返るなかで、かつて自分が信じていた、そして教育者全体の意識のなかに今も根強く残っている、いくつかの教員研修(プロとしての教師の学び)にまつわる神話を特定したので、紹介してくれています。今回は、その1回目です。

●神話1・教員研修は、受講者の実践を変える

 私が25年以上前に教員研修に携わり始めた頃、ワークショップ★が主な手法でした。そして現在に至るまで、ワークショップは世界中の教育者にとって最も一般的な研修の形態の一つであり続けています。年に数回、教師たちは大きな会場に集まり、効果的な教え方や学級・学校運営に関するアイディアを講師から聞くことになります。ワークショップは、多くの教育者が同時に研修を受けられるため、実践を変えるための費用対効果の高い方法として捉えられています。

しかし残念ながら、人々が研修で学んだことを実際に実践に移すことはほとんどありません。その理由の一つは、多くの場合、聞いたことの大半をすぐに忘れてしまうからです。実際、エビングハウスの忘却曲線(1913年)によれば、人は聞いたことの50%24時間以内に忘れ、1週間以内には7080%を忘れてしまうとされています。研修で学んだことを実際に実践している少数の教師たちも、おそらく学んだ内容を自分で再度学び直しているからこそ、それが可能なのだと私は推測しています。

さらに、ワークショップを含めた研修は「個々の違いやニーズを無視した画一的な方法」で変化を促そうとするため、個々の教師が抱える差し迫った課題には対応できないことが多いのです。また、専門家が「どのような実践をすべきか」を教師に伝える形になるため、教師たちは自分に押し付けられていると感じ、主体的に関わっているとは思えないような「一段下の立場」に置かれてしまうこともあります(『人を助けるとはどういうことか~本当の協力関係をつくる7つの原則』エドガー・H・シャイン著、金井真弓訳、英治出版、2011年)。

こうした理由から、教員研修で共有された方法がうまく実行に移されない(あるいは全く実行されない)ことは、もはや驚くべきことではありません。さらに問題を深刻にしているのは、教師たちが「研修で紹介された内容が実際には現場で使われていない」と気づくと、変化への意欲が減ってしまうという現実です。研修が実施されても実行に移されないという経験を繰り返すたびに、教師たちは新たな改革の取り組みに対して注意を払わなくなっていくのです。

 その結果、研修を型通りに実施している学校では、「(不易が何であるかわからないのに)不易と流行」という言葉がよく聞かれるようになります。つまり、どんな新しい取り組みも一時的なもので、どうせすぐに通り過ぎてしまうという皮肉まじりの諦めの表現です。さらに、研修のテーマが整理されていなかったり、互いに矛盾していたりすることも多く、教師が学びの内容を理解するのが難しくなるだけでなく、変化に対する教師の前向きな姿勢をさらに損なってしまいます。

こうした限界はあるものの、研修にも重要な役割はあります。たとえば、効果的な実践に対する「認識を高める」ことや、教育委員会レベルでの「共通理解を深める」ことには貢献します。しかし、それだけでは十分ではありません。私自身が研修について学んできたことは、ジョイスとシャワーズ(1982年)が40年以上前に示した結論を裏付けています――すなわち、「本質的で深い変化」は、ワークショップだけでは実現せず、「ピア・コーチング」や「インストラクショナル(授業改善のための)コーチング」といったフォローアップが必要不可欠だということです(https://projectbetterschool.blogspot.com/2015/11/blog-post_29.html の2つ目の表を参照)。

そこで提案ですが、もし教育界のリーダーたちが、「教員研修/ワークショップは気づきを教師に与えることはできても、真の変化を生み出すものではない」と認識し、その理解をもとに、コーチングやメンタリングのような、実際に持続的な変化へとつながるプロの教師としての資質を向上する専門的研修を提供するようになったらどうでしょうか。

★以下では、ワークショップ(体験型の学び)を講演形式の従来の研修会(さらには、話し合いをその場でするだけの勉強会等)と同義と捉えてください。

 

●教員研修の2つめの神話・ 教師は、変化に抵抗する

私(Jim Knight)がコーチやリーダーと仕事をする際に最もよく聞かれる質問のひとつが、「変化に抵抗する教師にどう対応すればよいか?」というものです。私自身も、教員研修に関わり始めた頃、期待した成果が見られなかったときに、同じ疑問を抱いていました。私は、自分が共有した内容を裏付ける研究を説明し、自分自身の成功体験を話し、私が使った実践方法を教師たちに勧めました。しかし、多くの場合、教師たちは私の提案した実践を取り入れようとはしませんでした。そうして私は、変化への抵抗は人間の一般的な性質なのだと考えるようになっていきました。

けれども、私がその後学んだのは、人は変化そのものに抵抗するのではない、ということです。彼らが抵抗するのは、「自分が安心して取り組めない変化」や「その意味が見いだせない変化」なのです。

ジョセフ・グレニーら(『インフルエンサー: 行動変化を生み出す影響力』吉川南訳、パンローリング、2018年)は、人が変化を受け入れるかどうかを決定づける2つの重要な問いを挙げています。「それはやる価値があるか?」そして「自分にそれができるか?」という問いです。もし誰かが、ある取り組みについて「価値がある」と感じ、「自分にもできる」と思えれば、その人は実行に移します。逆に、「価値がない」と思ったり「自分には無理だ」と思えば、その人は実行しないでしょう。表面上は衝突や批判を避けるために、最低限の期待に応じて形だけ従うかもしれませんが、本気では取り組みません。人は「うん、わかった」と頷きながら、実際には何もしないということに、とても長けているのです。

 ウイリアム・R. ミラーとステファン・ロルニック(『動機づけ面接』原井宏明ほか訳、星和書店、2019年)は、変化という個人的な経験を研究することにその職業人生を捧げてきた人たちですが、彼らは「抵抗」という言葉を使うのをやめ、「ミスアラインメント(ずれ/不一致)」という言葉を使うべきだと提案しています。リーダーやコーチは、教師が最も必要としていることを共に見つけ出し、その望ましい未来への道筋を示すことで、教師との間にアラインメント(一致)を築くことができます。要するに、教師が現実をよりはっきりと見られるようにし、生徒のために重要だと教師自身が考える力強い目標を立てられるように支援する教師の専門性を向上する研修は、本当の変化をもたらす可能性が高いのです。

結局のところ、変化に抵抗しているとして教師を責めるのは、生徒が学んでいないことを理由に生徒を責めるのと同じです。もっとよいアプローチは、本当の変化が起こりうる条件をつくり始めることです。だから私は今では、教師を「変化に抵抗している」と責めるのではなく、「教師が実行に移さないのは、自分の何が原因なのか?」と自問するようにしています。

そこで提案ですが、もし変化を導くリーダーたちが、「抵抗」に注目するのではなく「アラインメント(一致/共通理解)」に焦点を当て、教師に「何が必要か」を尋ねたうえで、その分野での教師の専門的な学びを支える持続可能な★★教員研修の機会を提供したとしたら、どうなるでしょうか?

★★今行われている教員研修は、残念ながら、生徒たちまで還元されることがほとんどない、「専門的」とも「持続可能」ともいえない研修がほとんどです。教師たちのほとんどは、それに対して「ノー」と言っているのであって、生徒たちに還元でき、自分の専門性が高まり、持続可能なものであれば、喜んで取り組んでくれるはずです!

出典:https://ascd.org/el/articles/five-myths-about-teacher-professional-learning

2025年4月13日日曜日

学習科学における文化とはなにか 「この子らしさ」を見失わないために

教室で、「あの子、なんだか話し合いが苦手そうだな」「この子は、やる気がないわけじゃないのに集中しづらそうだな」と感じたことはありませんか? どんなに教材研究をしても、ていねいに説明しても、なぜか学びがうまくいかない。そんなとき、私たちは「子ども側の問題かな」と思ってしまいがちです。でも、もしかすると、子どもを取り巻く「文化」のことが見落とされているのかもしれません。

 

学習科学(Learning Sciences)は、学びのしくみを多角的にとらえる学問です。学校での授業だけでなく、家庭や地域、友だちとのやりとりなど、生活のなかの学び全体を対象にしています(Sawyer, 2018)。その中でとても重要な観点のひとつが、「学びは文化や文脈と切り離せない」という考え方です。子どもは、家庭や地域、育った環境のなかで自然に「学び方」や「考え方」の型を身につけていきます。つまり、子どもがどんなふうに学ぶのかは、その子が過ごしてきた文化と深くつながっているのです(Nasir et al., 2006)。

 

文化と聞くと、外国の習慣や伝統行事といった「特別なもの」を思い浮かべるかもしれません。でも、学習科学における文化とは、もっと身近な、私たちの暮らしのなかで当たり前になっている「ものの見方」や「ふるまいのパターン」を指しています。たとえば、「分からないことはまず自分で調べてみよう」と育てられた子と、「分からなかったらすぐに人に聞いてみよう」と言われて育った子では、学び方そのものがまるで違います。何をどう学ぶかにまで文化は影響を与えているのです(Cole & Packer, 2005)。

 

この文化の力は、学校現場にも色濃く表れます。たとえば、教室には教室なりの空気があります。「発言は手を挙げてから」「正解が出せる子ができる子」「静かにしているのがよい子」などなど。こうした雰囲気は明文化されていなくても、多くの子どもたちはそれを敏感に感じとっています。でも、その空気がしんどくなる子もいます。じっと座っているより体を動かしたい子、静かに考えていたい子、人前で話すのが苦手な子。そうした子たちが、「やる気がない」「聞いていない」「理解していない」と誤解されてしまうこともあります。

 

学習科学では、学びを「頭の中で知識を増やすこと」とはとらえません。むしろ、学びとは、誰かと一緒に行動しながら、文化的な実践に参加していくプロセスだと考えます。レイヴとウェンガーは「正統的周辺参加」という言葉でそれを説明しました。新しくその世界に入る人が、最初は「まわり」に参加しながら、少しずつ経験を重ねて「まんなか」のメンバーになっていく。その過程こそが学びなのです(Lave & Wenger, 1991)。

 

この視点で見ると、子どもたちが教室のなかでどう関わっているかが違って見えてきます。たとえば、意見を言えなかった子が、ノートに小さなメモを書いていたら、それは周辺参加のサインかもしれません。学級活動で発言せずとも、友だちの声にうなずいていることも、その子なりの参加かもしれません。学びは「中心」にいなければいけないのではなく、むしろ「まわり」からゆっくり育っていけるような環境こそが大切なのです。

 

さらに文化は、子どもの発達そのものにも影響を与えます。たとえば、アフリカのある地域では、赤ちゃんの手足を日常的にマッサージしたり、早くから運動を促す習慣があり、歩き出す時期が欧米よりも早いことがわかっています(Karasik et al., 2010)。また、アメリカの親は創造性を重視し、「型を破る」ことに価値を見出すのに対し、バヌアツの親は「正確に模倣すること」が知性の証だと考える傾向があるという研究もあります(Clegg et al., 2017)。

 

つまり、どんな子どもに育つかは、持って生まれた資質だけではなく、関わる大人のまなざしや、文化的な期待によって大きく形づくられているのです。教室で出会う子どもたちのふるまいを見たとき、「なぜこの子はこうなんだろう?」と考えるとき、そこにはその子が属してきた文化があるかもしれない。そう思うだけでも、私たち教師の見方は変わります。

 

教師にできることは、子どもの背景に想像力をもつことです。家庭の文化、地域の文化、そして教室の中の「当たり前」までを問い直す力です。ある子にとって当たり前だったことが、教室では通じない。ある子にとって居心地のよい空間が、別の子にとっては窮屈かもしれない。そうした違いに気づき、教室の中に「多様な学び方があっていいんだ」という文化をつくることが、子どもたちの可能性を開いていくのだと思います。

 

文化は変えられます。そして、文化を変えていくのは、毎日のちょっとした問いかけや対話、まなざしの重ねです。子どもの学びに違和感を覚えたときこそ、その背景にある文化に目を向けてみる──。それはきっと、目の前の子どもにとっての「本当の学び」を支える第一歩になるはずです。

 

2025年4月6日日曜日

エンゲージメントを実現するための教師の行動

これまで、数回にわたって学習者のエンゲージメントについて考えてきました。★1 今回は、そのまとめ。生徒たちのエンゲージメントを実現するために教師はどのように行動すべきかということを考えたいと思います。

先日、仲間の英語教員と、エンゲージメントに関する本のブック・クラブをやりました。参加者の一人、高校教員の振り返りです:

「エンゲージメントとは?という問いに戻って、もう一度1章を見直したことでした。生徒に何ができるようになってほしいか、何を考えてほしいか、を考えてゴールを設定しますが、夢中になっているか?満足しているか?を踏まえて授業を考えていたかと言われれば、Yesと言えません。教科書を進めること、単元末のゴールとなる活動をやりきることに必死になっていることの方が多いです。教科書の内容をどう進めるのか、評価や定期テストのためではなく、エンゲージメントのための授業づくりをする時間が欲しい。。。今、次年度の「論理・表現」★2 の授業を変えようと勤務校の英語科教員で話し合っています。定期テストはなくてもいいかも? 教科書は必要か?など、話し始めたところです。」

エンゲージメントという考え方の大切さは分かるけれど、自分自身の授業の中で、実現できているのか確信がもてないでいるようです。「今でもそれなりにがんばっている。この上にさらに何ができるんだろうか」といった声もありました。

これまで参照してきた、マーサーさんとドルニュイさんは、エンゲージメントを生み出すマインドセットを、生徒たちの中に創り出すために、教師が行動すべき5つのことを紹介しています。★3

行動1 コーチのように考え、行動する

 学習者が自らの力で、目標を達成できるように、パートナーして行動する。あくまで、目標達成の主体者は学習者本人。 

行動2  学習者の進歩を可視化する

 学習者に進歩を実感させること。それにより、満足感や有能感をもたせる。

行動3  信念について明示的 ★4 に話し合う

 学習についての、後ろ向きな考え方をやめさせ、前向きで健全な考え方を育む。

行動4  選択や意見を取り入れる

 学習のプロセスに、学習者自身の選択や意見を組み込むことで、学びへの自律性と積極性を育てる。

行動5  学び方を教える

 自分の学び方の特徴、学習課題の性質、効果的な学習ストラテジーへの意識を高める。

ここから、見えてくるのは、生徒たちが学びに対する主体者意識や当事者意識、あるいは、自らがコントロールしているといった感覚がもてるようにするために、生徒との対話を進めていく、そのような姿でしょうか。従来であれば、教師が生徒に伝えて(押し付けて)いたようなことを、生徒自身が自分自身で見出し、自分自身の学びの世界を切り開いていく。それを教師が後押ししていくといったイメージが浮かびます。

これらの行動を、授業の中でどうやって実現していけば良いのか、まずは探っていく必要がありそうです。

先に紹介したブッククラブのメンバーは、経験サンプリング★5 という方法を使って、授業中の生徒たちのエンゲージメントがどのような場面で高まり、どのような場面で低下するか、そのタイミングを探ってみることにしました。その結果をもとに、これからの授業づくりを考えていきたいと言っています。教師のエンゲージメントの探究の始まりです。

メンバーの一人は、エンゲージメントに関するブッククラブの振り返りで、次のように書いています:

「本当に授業が楽しかった時は、授業の後に、「今日の授業たのしかったぁ」と言ってくれる子がいます。また、年度末や異動で変わる時にメッセージで授業のことを書いてくれる子がいます。色々と工夫してがんばって授業をしていたことは子ども達は見てくれています。」

子供たちが夢中で授業に取り組む姿をみることが、教師のエンゲージメントにつながる。これは、いつの時代でも不変の真実のようです。

★1 PLC便り

2025年2月 「エンゲージメントの周辺」

https://projectbetterschool.blogspot.com/2025/02/blog-post.html

2025年3月 「エンゲージメントを決定づける要因」 https://projectbetterschool.blogspot.com/2025/03/blog-post.html

★2 現行の学習指導要領にある高等学校の英語の科目名。旧「英語表現」に代わって導入されたもの。

★3 サラ・マーサー/ゾルタン・ドルニュイ(2022)『外国語学習者のエンゲージメント』アルク, pp.61-75.

★4 直接、口に出して話し合うという意味で用いられているようです。原著では、”Discuss Beliefs Explicitly”となっています。

★5 授業中に10分ごとにチャイムのならし、その時点での認知エンゲージメントのレベルを生徒の自己評価させる方法。『インストラクショナル・コーチング』(ジム・ナイト著、図書文化、2025、近刊予定)第5章に紹介されています。

2025年3月30日日曜日

それはまるでさざ波のように…

みんな頑張っているんだなぁってさ。」

学校の核として常に子どもたちのことを考えながら、時に厳しく若手を見つめる主任の先生から言われた一言に、とても嬉しくなった。

長期的な視点で、いつかは組織の文化として根付かせたいという課題意識をもちながら取り組んできたメンターチームづくり。これまではメンターとメンティーという小さな社会の中で完結することが多い関係性であり、取り組みであった。

 

「メンターメンティー研修って何するの?」

同じ学校組織の中で日々業務にあたっているものの、実際にどんなことをやっているのかわからない教職員が多かったこの研修。しかし、最近、徐々にこのチームづくりの様子が他の先生方にも広まり始めたのだ。

とある学年主任は机に置かれたメンターからメンティーにあてて書かれた、初任者であるメンティーの振り返りに対するフィードバックを見つけてじっくりと眺めていた。席に戻ってきたその初任者(メンティー)に対して

「これ、一人ひとりに書いてもらってるの?」

「はい。メンターメンティー研修で、日頃の振り返りと共に困っていることを相談したり、他に考えられる手立てや実践例を話し合ったりしていて、それは先輩(メンター)方から、初任者(メンティー)が一人ひとりいただきました。」

すごいね。細かく見てもらってありがたいね!」

直接、取り組みに関わっていなくても、自分たちの組織の中で、互いに高め合ったり支え合ったりしているということを知り、受け入れてもらうことはとても大切だ。別の機会や違った場面で「育てる」「支える」という意識を持ってもらえる機会となる可能性があるからだ。この意識づけが、「自分も研修に関わりたい」という意識まで動くように、取り組み続けようと思う。

なんだかさ、仕事してたら、わらわらと(メンターである)若手が集まり始めてさ。『(メンティーの)〇〇さんは〜だから、教科指導の内容に触れたほうがいいよね。』『体育は(メンターの)Aさんが聴いてあげるといいよね。』『タスク管理は(メンターである)私も初任の時苦労したから一緒に考えてあげてもいい?』とかって話し合いを始めたのよ。事前に初任者(メンティー)にアンケートとって、研修の内容決めたり、(メンターのうちの)誰が(メンティーのうちの)誰とフィードバックし合うって自分が行ってきたことを俯瞰して見たり、新たな課題を考えたり、真剣にでも楽しそうにやってんのよ。自分のことも大変だろうに、学校のために動いてるんだなって。

いつも、子どもたちのことを本気で考えるが故に、若手の先生方に厳しい眼差しをむける学校の中核的存在の学年主任との話の中で、私はこれまでの活動が本当に少しずつ、しかし確実に効果として現れていると確信するとともに、本当に心から喜びを感じた。

私は少なからずこの組織づくりに興味をもち、理論を本や研修、ミーティング等を通じて学んできた。そして、理論と実践の往還を少なからず心がけて取り組んできた。だからこそ、私だけが力を入れて取り組んだところで、「支え合う」「学び合う」組織作りは難しいことは分かっていた。他の先生方にどう意識づけて、私がいなくても自分たちだけで取り組めるような組織づくりをどのように進めていけばよいか。これが今、一番の課題だった。その中でのこの話は、本当に大きな成果の一つだと言ってもいい。

 

先日、今年度最後のメンターメンティー研修が行われた。メンティーである初任者たちにとって現在抱えている自身の学級経営における悩みや教科指導を充実させるための具体的な手立てを共有したり、来年度に向けて子どもたちのために取り組むべき新たな課題を設定できたりすることができ大きな成果が得られた。それ以上に、メンターたちがメンティーたちのことを考え、どのようにフィードバックしたらよいかや考えを伝えるための思考の整理、研修の企画遂行など、多くの力を得ることができたようだった。

「初任者(メンティー)たちの生の声は聴けた。でももっと、話を引き出してあげることが大切だと思う。」

「もっと具体的な事例をもとにフィードバックをしていけば、次、何をしたらよいかが見えやすくなるんじゃないか。」

「まずは、一緒にきちんと向き合えるように、自分自身の実践、引き出しを増やしていかなければ!」

メンターたちとのフィードバックで出てきたこの具体的な次への課題は、小さな波に過ぎないかもしれない。しかし、今後うねりをあげる「学び合う職員室」「支え合う職員室」という大きな波への原動力となると考える。そんな小さな波を大切に、これからも自分にできることを続けて取り組んでいきたい。

以上は、自分の学校での初任者研修を中心に、学び続ける教師集団をつくり出そうと過去3年間努力している教務主任/初任者校内指導教諭の田所昂先生(埼玉県)の今年度最後の実践記録です。

2025年3月23日日曜日

「学ぶ職員室」を目指して

 教師の教育観は様々で、専門性も力を入れていることも様々である。だからこそ、自分の考え方や感じ方を「普通」と捉えずに、それぞれの先生方がどんなことを考え、どのように指導にあたっているのか。それぞれの個性を知ったり、教育観を知ったりすることは非常に大切だと考えている。そのために私が普段から心がけていることがある。

① 職員室の先生方観察

  先生方の表情や仕事ぶりを観察していると、様々なことを知ったり考えたりすることができる。

  時に、耳をダンボにして、先生方の会話の内容がどんなものか聴きながら、コミュニケーションのきっかけにしたり、話す中身を決めたりすることができる。何気ない会話がお互いの自己開示につながり、その人となりや関係づくりにつながる。

  時に、普段と少し表情が暗い、口数が少ない先生がいたときは積極的にコミュニケーションを図り、少しでも力になれることはないか、信頼関係構築の一歩となるように努める。

そんな日頃の何気ない観察の積み重ねがいつしか、「とりあえず話してみよう」「あの人にお願いしてみよう」といった拠り所となり、校内の情報収集を図れる存在となることを目指している。 

 ② 校内散歩

  6年生に「お散歩が仕事」と言われるくらい、校内を毎日周る。もちろん、ただ周るだけでなく、いくつか観点をもって周っている。一つは児童理解。子どもの顔と名前、学級での様子を見るには現場にいかなければ分からない。もう一つは先生方の困り感を理解すること。先生方が日々学級指導、教科指導を行う中で、どんなことに力を入れ、悩んでいるのか。きちんと理解しなければ、先生方との真のコミュニケーションは図れない。考えたことや手に入れることができた情報は放課後に先生方との会話の種にする。一緒に課題を考えていく立場であると理解してもらえるように動いている。

 ③ 自分の実践や考え、学びの発信

  自己開示ほど大切なことはない。自分が何を考え、どんな実践をし、どんなものを得たり、課題としたりしているのか。そういったことを自己開示することが、相手の自己開示にもつながり、お互いの理解・信頼関係の構築につながると考える。何気ない会話の種となることで、思いがけぬ共通点や、知らなかった一面の理解等につながる。

 

  そんな普段の何気ない積み重ねが少しずつ実ってきたなと感じた瞬間があった。来年度の学校体制について少し考えたいことがあった。私が担当に直接話して投げたり、何も言わずに自分の中にとどめておいたりするという手段が思い浮かんだ。

  しかし、ある日、何気なくコーヒーを入れようと給湯室に行くと、ある先生から、「先生は来年度の校内研究体制についてどう思いますか?」という会話を振られた。

私は普段その先生と児童とのやりとりであったことや家庭の話など、そこまで真面目な話はしてこなかったので、その話をふられたのには驚いた。

「このままでは、どんな姿の子どもたちを目指すのかが分からない」「研究授業者だけががんばる研究は避けたい。全員が主体的に自分事になる研究を目指したい」「一人ひとりが課題や手立てを決めて、お互いにフィードバックし合うような研究がおもしろそうだよね」と、二人のやり取りが続いた。

話せば話すほど、研究の方向性で目指したい姿が同じであると感じた。ここまで深い話ができたのは、今まで他愛もない話ではあるが、様々なコミュニケーションを取ってきたからかと感じた。

「実は、他にも同じような考えをもっている先生がいそうなんだよね。先生もそう思うなら私がんばってその先生に話してみる。」

結果的に、様々な先生から、いつもであれば前年度踏襲が多かった来年度の話に、たくさんの意見が出る会議となった。日々のコミュニケーションによる関係づくりを進めたことで、何気ない会話から会議を動かすようなムーブメントを起こすことができた瞬間だった。

  職員同士の関係づくり。答えのないこの関係づくりこそが、教職員の方向性を同じベクトルへと向けていく上で、実は一番大切なポイントなのではないか。本当に目の前の子どもたちのためになることは何か。そのために私たちがまず一番にやるべきことは何か。それを一人ひとりが自分事として捉え、進めるために真剣に考え、議論していくこと。それが今、一番学校の教職員組織に求められている姿なのではないかと感じる。

  そんな「学ぶ職員室」の実現に向けて、日々少しずつ取り組むべき関係づくり。その関係づくりがもたらす、ムーブメントを起こす力を垣間見ることができた今、私はより一層日々の実践を積み重ね、より良い学びの集団を根付かせることができるように努めていく。

以上は、自分の学校での初任者研修を中心に、学び続ける教師集団をつくり出そうと過去3年間努力している教務主任/初任者校内指導教諭の田所昂先生(埼玉県)の実践記録です。

2025年3月16日日曜日

本当の学びとは?

  初任者は校内で公開授業や研究授業を年間数本実施しなければならない。指導案を考え、その内容で指導を受け、授業までに様々な手立てについて自問自答する。そして、授業後は研究協議会や参観していただいた先生方から指導を受け、その後の授業に活かす。これが、今まで取り組まれてきた初任研の研究・公開授業の形である。

 そんな指導の中で、私には気になる点がいくつかある。

 一つ目は授業前の指導だ。経験がたくさんある先生方にとって指導案に対する指導はとてもしやすい。もちろん基本的なことや、大きく内容が逸れていたり、指導方法に問題があったりする場合は指導する必要がある。しかし、経験を押し付け、やる前から指導を否定したり、「この方がいい」と別の指導法を提案したりすることが多々ある。果たしてそれは本当に初任者のためになるのだろうか。

 二つ目は授業後の指導だ。授業した初任者が、一方的に先輩である先生方から指導を受ける。「これがよかった」、「これはこうした方がいい」、「私だったらここはこうする」、そんな話を受けながらメモを取る姿は、毎回見られる光景だ。しかし、そこから本当に初任者は次の授業や指導に活かせる学びを得ることはできるのだろうか。一番厄介なのは先輩の先生によって言うことが違っている場合だ。一体何から変えていけばいいのか。いらぬ悩みは増え、自分の色を出した指導など程遠く、指導改善にもつながらないケースも見られる。

 私は校内指導教諭という立場になり、初任者の授業を見て、指導を行う際に心がけていることがある。それは、『初任者の考えを整理し、次の授業では何をしたいか自己決定させる』ことだ。

 先日、本校の初任者が最後の校内の研究授業を行った。特別の教科道徳の研究授業であったが、様々な立場の先輩の先生方に事前に色々な指導を受けていた。それぞれに指導観が出やすい道徳において事前指導を受けていることに若干危機感はもったものの、授業本番の時間を迎えた。

 実際に授業を見てみると、初任者の迷いは感じられず、とてもいい雰囲気のなか授業を行っていた。事後指導の際、まずは初任者に感想を求めると「様々な先生方からお話いただきましたが、自クラスの実態を見たときに、私は今回○○について取り組みたいと考えたので、○○を主発問にしたいと考えました。…自分なりに考えて、実際に取り組んでみたので、とっても楽しかったです。」

 その後、うまくできなかった点や、他の先生方から指導いただいた中で疑問におもった点を出してもらいながら「それはどうして(児童が)その反応になったと思う?」「今、言ったような反応にするためにはどんな手立てが考えられる?」「今話した中で、次に授業で活かしたい手立てはどんな手立て?」と問いを立てて、初任者自身の思考を整理しながら、次への課題となる手立てを自己決定させて、次への授業へとつなげられるようにした。

 このようなやりとりを年間続けたことで、上に挙げたような初任者が自分なりの考えのもとに授業を構成する力をもつといった成長につながったのではないかと私は考える。

子どもが自ら何が課題かを自分で見つけ、様々な手立ての中から選択し、試行錯誤しながら時に協働してよりよい納得解を考え、そして新たな課題を見出して、次の学びへとつなげていけるような力が求められている。そのためには、教師自身がその学びを体験しながら、子どもとの向き合い方を考えていく必要があるのではないか。そんなことを考えながら、初任者と日々向き合い、自分自身もよりよい若手教諭の育成、学ぶ職員室づくりを目指して、日々試行錯誤していこうと思う。

以上は、自分の学校での初任者研修を中心に、学び続ける教師集団をつくり出そうと過去3年間努力している教務主任/初任者校内指導教諭の田所昂先生(埼玉県)の実践記録です。

2025年3月9日日曜日

この問題、解けますか? 考えるための3種類の良問

ある風変わりな女性がホテルにやってきて、となり合った3つの部屋を予約しました。女性は受付係にこう伝えました。「もし私に連絡があるのなら、前日にいた部屋の隣の部屋に必ずいるので、直接、言いに来て!」

 

 受付係は特に気にしていませんでしたが、1時間後にその女性のクレジットカードが使えなくなっていることに気づき、女性を探さなければならなくなりました。しかし、受付係はあまりにも忙しく、1日に1つの部屋しか確かめることができません。はたして、受付係は何日以内に女性を見つけることができるでしょうか。

 

この問題に取り組むとき、子どもたちはどのように考えるでしょうか? 想像してみてください。まずは手始めに部屋を受付係が移動しながら、「きまり」を見つけようとするかもしれません。または、論理的に順序立てて評に整理をしながら、すべての可能性を試す方法を考えるかもしれません。

 

たとえどんな方法で考えたとしても、子どもたちは必ず試行錯誤を繰り返しながら解決策を見つけることになります。こういった考える機会こそ、算数・数学の授業で大切にすべきものではないでしょうか。

 

子どもたちが問題を解いてしまったらそれで終わりではありません。さらに考えてみましょう。もし、部屋が4つの場合はどうでしょうか? 5つの場合は? そこに「きまり」はみえてきませんか? 

 

さらに!

 

もし17部屋あり、女性が30日間滞在する予定だったら、受付係は女性がホテルを出発する前に見つけることができるでしょうか?

 

ぜひ、今、考えてください! 

 

多くの中学校、高校の数学授業では、やり方を教え、それをもとに生徒たちが練習問題を解くという流れがまだまだ一般的です。また、最近の小学校ではこういった教師による教え込みは減ってきてはいますが、教科書ありきの個別最適という名の自学自習が求められています。

 

「方程式を解きなさい」「二次関数のグラフを描きなさい」といった問題は、手順さえ覚えていれば解けてしまいます。確かに、これらは数学の重要な概念を学ぶ上で欠かせませんが、このような問題ばかりでは、子どもたちは「考える」ことをしなくなります。なぜなら、それはすでに正解への道筋が決められているからです。算数・数学の本質は、未知の問題に対して、どのようにアプローチし、解決策を見つけるかにあるにもかかわらず。

 

では、考える力を育てるために、どのような「良問★」が必要なのでしょうか。

 

 

 

①  非カリキュラム型の思考課題

ひとつのアプローチとして、「非カリキュラム型の思考課題」があります。この課題は、学校の教科書に載っている問題とは異なり、公式や定理を単純に適用するのではなく、子どもたちが自ら考えたくなる問題です。

 

1から100までの数に、7は何回現れるのか?」

この問題は、単純な計算問題のように見えますが、実際に解こうとすると、どうやって数えるかを考える必要が出てきます。「70から79の間には10回出てくるな」「772回カウントするのかな?」、様々な試行錯誤が生まれます。

 

4分と7分の砂時計を使って9分を計ることはできるか?」

これは、単なる時間の計算ではなく、どのように2つの砂時計を組み合わせるかを考えなければなりません。このような問題を通じて、子どもたちは試行錯誤を繰り返し、数学的な思考力を高めていきます。

 

 

 

② 再構成されたカリキュラム型思考課題

既存の算数・数学の学習内容を活かしつつ、子どもたちがじっくりと考えられるように再構成した課題も効果的です。

 

100ドルを5セント、10セント、25セントのコインだけを使って作る方法はいくつあるか?」

この問題では、組み合わせの考え方や試行錯誤が求められます。単なる計算ではなく、パターンを見つけたり、異なる方法を試したりすることで、数学的な思考が鍛えられます。

 

252つ以上の数の和で表し、その積が最大になる組み合わせを見つけよう」

和と積の関係性を考えながら、試行錯誤をすることが求められます。「25124の和として表すと積は24」「1213なら積は156」といった具合に、いろいろな組み合わせを試していく中で、最適解を導き出すことになります。

 

こういった良問を通じて、子どもたちは算数・数学の知識をただ覚えたことを練習問題に使うだけでなく、知識を使うことでこそ、概念そのものを深く理解することができます。

 

 

 

③ 直接指導型のカリキュラム課題の工夫

教科書の問題であっても、指導方法を変えることで子どもたちの思考を促すことができます。例えば「因数分解をしなさい」という問題をそのまま出すのではなく、「数を分解するさまざまな方法を考えてみよう」と解法の自由度を持たせることで、子どもたちの思考を広げることができます。そして、計算練習を10問やるよりも多様な方法を考えるほうが効果的です!

 

36をできるだけ多くの方法で分解してみよう」

子どもたちは「6×6」「9×4」「18×2」など、いろいろな方法を試します。もしかしたら3口の計算も考えるかも知れません。この過程で、因数分解の意味をより深く理解し、単なる公式の適用ではなく、構造的な視点から数学を捉えられるようになります。

 

「一次方程式を解きなさい」ではなく、「この方程式の解は何を意味しているのか考えてみましょう」と問いかけることで、子どもたちは計算結果の背後にある意味を考えるようになります。単なる数字の操作ではなく、算数・数学が実生活とどのように結びついているのかを意識することができるようになってくるのではないでしょうか。

 

 

 

授業に良問を取り入れることは、決まり切った解法がない中で子どもたちが多様に問題解決することを求めます。どの方法が効果的かを考え、順序立てて思考する論理的思考力が養われていきます。何よりも、自分の考えがそのまま解決につながる「あぁ!とけた!」といった数学的経験は、「考えることのが楽しさ」を実感させてくれるのではないでしょうか。そしてそれは、子どもたちから「算数・数学って、分かっている問題をただ繰り返し解くんじゃないから好きになった」という声が聞けるようになってくるはずです。

 

算数・数学の授業を「解き方を覚える場」から「考える場」に変えることは、決して難しくありません。課題の選び方を少し工夫するだけで、子どもたちの思考の深さは大きく変わります。「この問題、どうやって解けばいいんだろう?」と本気で悩み考える瞬間こそ、算数・数学の本質が生きる瞬間ではないでしょうか。★★

 

 

 

★最初に示した問題のように、じっくりと多様に考えるにふさわしい課題をここでは良問とも呼んでいます。

 

★★今回の記事は、Peter LiljedahlBuilding Thinking Classrooms in Mathematics』に感銘を受けて、第1章を参照に、良問の視点からまとめ直したものです。

 

以前のPLC便り『「考える教室」をつくるには』では、上記の本の概要についても紹介しています。

https://projectbetterschool.blogspot.com/2023/04/blog-post.html?m=1

2025年3月2日日曜日

エンゲージメントを決定づける要因

前回に続いて、しばらくエンゲージメントの問題を考えていきたいと思います。★1

私たちは、これまでは学ぶ動機ついて考えてきました。カタカナでいえば、モチベーションです。では、モチベーションとエンゲージメントの違いは何なのでしょうか。従来からある動機付けだけでなく、エンゲージメントも考えていくべきなのはなぜなのでしょうか。

モチベーションとエンゲージメントの違いは、モチベーションは「なぜ、私たちが行動するか」を説明するもので、エンゲージメントは、「どの程度私たちがその行動に関与しているか」という説明するものだという定義が分かりやすいと思います。★2 やる気と行動をつなぐものとも言えるでしょう。やる気が具体的な行動につながるプロセスを理解することが、エンゲージメント理解の鍵となりそうです。

そこで、やる気が具体的な行動につながる要因について、サラ・マーサーとゾルタン・ドルニュイさんの、著書を参照しながら考えていきたいと思います。★3

やる気が具体的な行動につながる重要な要因として、学習者がもつマインドセットがあると述べています。同書では「促進的マインドセット(facilitative mindset」と呼んでいます。「学習に積極的に取り組む価値があると感じるようにさせる信念や感情」という言い方で表現しています。

そして、学習者が学びに没頭するためのレディネスと意欲を促進する五つの原則をあげています。

原則1 有能感を高める
原則2 成長マインドセットを育む
原則3 学習者の当事者意識と自己統制感を高める
原則4 積極性を育てる
原則5 粘り強さを育てる

そのうち、今回は、有能感を高める方法についてみてみましょう。有能感というのは、自己効力感(self-efficacy)のことで、「ある状況で特定の課題をうまくやり遂げられるかどうかをめぐる個人の信念」と定義されています。

今では、多くの人が、自己効力感の重要性を認識していて、学習者との関係を築く中で大切にしていると思いますが、具体的にどのようなスタンスで接すれば良いのか、十分な理解が広がっているとは言えないと思います。同書では、有能感を高める方法として次の4つが紹介されています。

1 成功体験
 「自分の努力で獲得した真の成功」をおさめる体験をする。ろくに努力もせずに、転がり込んできた成功では有能感は育たない。

2 フィードバックと足場がけ
 すでに達成されていることに焦点化し、学習者の進歩を肯定的に評価すること。そして、学習者が自分の力で達成できるように課題を細分化するなどの足場がけを行うこと。

3 ロールモデルと代理学習
 自分と似た立場の人がうまくやっているところを見たり、思い描いたりすることで自己効力感が高まると言われている。ロールモデルとなるような人を観察し、その人たちの体験を通して学ぶ代理学習も役に立つ。
 
4 感情調整
 授業内の活動を通じて、楽しさや自尊心のような肯定的感情を得ることができること。授業の中で、豊かで、ポジティブな感情を味わうことができれば、有能感が高まる可能性は高い。一方で、授業で不安や心配、恥ずかしさを感じると、有能感はぐらついてしまう。
 
生涯にわたって学び続ける意欲やスタミナを支える土台は、学習者の心に芽生える、このような自信や前向きな感情なんだろうと思います。

最後に、同書に掲載された引用を掲載しておきます(p.48):

「私たちは理性と感情の生き物である。したがって両者が連動すると、がぜん学び始める。」(VanDeWeghe 2009, 249)  
 
  
★1  「エンゲージメントの周辺」PLC便り, 2025年2月2日 https://projectbetterschool.blogspot.com/2025/02/blog-post.html

★2 廣森 友人/ 小金丸 倫隆(2024) 『エンゲージメント×英語授業 「やる気」と「意欲」を引き出す授業のつくり方 』 明治図書出版

★3 サラ・マーサー/ゾルタン・ドルニュイ(2022)『外国語学習者のエンゲージメント』アルク


2025年2月22日土曜日

つながりをもつ教師になる

3か月ぶりの登場です。前回11月には『一人一台で授業をパワーアップ!』(学文社・2024)のなかで、当該書籍に収めきれなかった第9章に関連するお話をさせていただきました。今回は残りの一つ、第10章「つながりをもつ教師になる」を取り上げたいと思います。

この章の冒頭で、著者の一人であるニービー先生は、学習評価を見直すために、定期試験の代わりにディジタル・ポートフォリオの導入を同僚にもちかけます。もちろん、同僚も導入に賛成するのですが、具体的にどうすればよいのかわかりません。校内にはそのポートフォリオを知っている人はだれもいませんでした。そこで、彼女は学びのネットワークに次のような投稿をしました。 

国語の九年生と一〇年生の授業でディジタル・ポートフォリオを構築するための情報を探しています。何かよいアイディアはありませんか?」 

すると、次の授業が始まる前までに、「ブログ記事の作成方法」、「ポートフォリオのサンプル」、「ルーブリック」など、多様な情報が隣町からオーストラリアに至るまで、世界中の教師仲間から届きました。このオンラインのネットワークのおかげで、期末試験の代わりとなるディジタル・ポートフォリオは何の問題もなく終了しました。

彼女は「X(:ツイッター)によって、仲間の教育者がノウハウを共有し、いつでも知恵を提供してくれるのは何とも心強い限りです。」と述べています。

そして、それに続けて、マルコム・グラッドウェルの『ティッピング・ポイントいかにして「小さな変化」が「大きな変化」を生み出すか』(高橋啓訳・飛鳥新社・2000)の文章を紹介しています。 

「仕事上の関係者、同僚、友人、近所の人に連絡を取れば、おそらく誰かが助けてくれるでしょう。そういう使い方だけではもったいないので、同じ媒体をあなたの教育に活用してください。友人や近所の人は、グーグル・ドキュメントを生徒と共有する方法を見つけたり、どのブログのプラットフォームが授業に最適かを判断したりするのを手伝ってくれないでしょうが、教師仲間にはたくさんいます。彼らも知らない場合はどうすればよいでしょうか? そのためにより広いネットワークが必要です。」 

これを読むと、人々の幅広いネットワークと緩やかにつながることで得られる利点について充分に納得できると思います。ですから、この一文の紹介に続く、次の文言は心に応えるものです。 

「他の多くの職業では、仕事をする際のネットワークの必要性を重視しています。しかし、何らかの理由で、教師は歴史的に最も孤立した職業の一つであり続けています。」 

この翻訳本の作成協力者から「その理由の一つに、教科書の内容をカバーするだけの授業を続けていれば、社会とは隔離されていても何の不都合もないからだと考えます。」というコメントをもらいました。まさにその通りです。社会とつながる学びを教室内で展開しようと思えば、保護者や地域と、あるいは企業や行政とつながる必要が生まれます。煩雑で時間と手間のかかる活動です。しかし、それをやるのとやらないのでは、「学びの質」が格段に違ってきます。しかし、そうせずに教科書をカバーする授業だけやっていても、給料はもらえて、しかもそのほうが楽なわけです。楽な方に身を置くか、面倒でも人とつながる学びをするのか、これはその教師の考え方、生き方そのものです。こうした場面で、身近なところ(校内だけでなく、地位の学校、あるいは広範囲の研究団体、オンラインのネットワーク)にモデルとなる人がいるかどうかが、その教師の生き方を決めるように思います。(これは、教室内で教師が子どもたちの学びのモデルになっているかどうかと同じことです。)

「叩けよ、さらば開かれん」ではありませんが、先ほどのニービー先生のように、アドバイスを周りの教師(オンラインも含めて)に求めれば、必ず助けてくれることが多いと思います。 

『一人一台で授業をパワーアップ!』の第10章の最後は次のような文言で締めくくられています。 

「アフリカのことわざに、「早く行きたければ一人で行きなさい。遠くに行きたければ一緒に行きなさい」というものがあります。ここからの道のりはあなた自身のものですが、あなたの学習をサポートし、あなたの進歩を応援してくれる多くのつながりのある教師とともにそれを成し遂げることができるのです。」 

 つながりをもつ教師であること、これこそが学校で求められているものの一つであることは間違いありません。

 

  

2025年2月16日日曜日

フィードバックの重要性

    初任者教諭や実習生、およびメンターチームにおけるメンティーである教諭との関わりにおいて大切なことは何か。私はいかに「自分を俯瞰するタイミングを設定できるか」、そして「様々な視点で自分を振り返る機会を設定できるか」だと考える。

  先日、以下の記事が掲載され、目に留まった。

https://www.edutopia.org/article/supporting-preservice-teachers-practicum

  記事の中で校内指導教諭と実習生や初任者教諭、メンターとメンティーといった関係性における重要なポイントとして以下の5点が提案されている。

 1. 明確で具体的なフィードバック

 2. デモンストレーション授業の実施

 3. ニーズに応じたワークショップ

 4. 実際のクラスにおけるサポート

 5. メンタル面のサポート

つまり、現状をしっかりと、共に分析する。そして、実践的な対応方法を実際の場面を想定して考えたり、必要に応じてワークショップ等を行ったりして身につけていく。その上で、教室内や実際の指導に立ち会い、指導のサポートを行ったり、日々の悩みや疲れ等に寄り添いながらメンタル面のサポートを行ったりしていくことが求められるということだ。その中でも私は今回、1について着目した。

私は今、初任者3名と向き合っている。それぞれ性別も立場も性格も異なる3名だ。そのうちの1名は初任者指導教諭に毎回、肯定的な言葉かけをされている。

「~ところがいい。初任者としてはもう十分。~をがんばったね。」等

  その言葉かけ自体はとても大切だと私も思う。★ 認められれば認められるほどしっかりと伸びる人もいる。ただ、先日、校内研修をしている際、こんなことをつぶやいていた。

  「私はまだまだ、全然できていない。どこをどうすればよくなるのか、もっと知りたい。」

  そんな彼と私は年間で目標を設定している。『どんな教師になりたいか』という理想の教師像だ。その教師像に近づくために、どんな手立てが必要かを明確にした上で、毎月力を入れる手立てを決める。その手立てに取り組んだ結果を毎月自身で振り返り、私からもフィードバックしている。

このフィードバックを適切にできるように、私は毎日学校を見まわる中で、その様子をしっかりと観察する。実際の場面や指導の様子を共有することで、フィードバックに具体性が増すのだ。フィードバックを受けた初任者は次の月の手立てを決める。

  これに加えて、3名の初任者とのフィードバックの時間も不定期ではあるが設けるようにしている。それぞれの初任者から見た、お互いの成長と課題を対話しながら見出していく。そうすることで、自分には見えない新たな自分の一面を俯瞰できるようにする。新たに視野を広げて、よりよい手立てや自分に必要なこと、自分の強みを見つけることができる。そうすれば自己肯定感も高まる一方で課題も見つけ、手立てを思考することができるようになる。一石二鳥だ。

  例えば、「個別支援に力を入れる」と決めた月には、自身がどのように取り組めたかのフィードバックを決めたその当人まずはする。その目標とフィードバックは校内指導教諭である私も含めた他の初任者にもデータ入力することで「見える化」されていて、どんな点でうまくいったのか、何が思うようにいかなかったのかが分かるようになっている。

…○○の教科では~の形で個別支援を行った。すると今まで■■だったものが、□□となり効果を感じた。

といった様子だ。そのフィードバックに対して、公開授業や普段の学級経営の様子、何気ない会話から感じた成長した点や努力点について他の初任者からフィードバックが提供される。すると自分に見えなかった視点でその月の努力や変化について考えることができる。

「…前の月に比べて、~~なところを意識していたよね」「公開授業でやっていた△△も個別支援の一つに見えたけど、どう思う?」といった感じだ。

そのやり取りを受けて、私が最終的にフィードバックをする。どんな点が良い変化として表れていたか、見たこと感じたことを自分の視点で伝えられるようにする。その上で、次の目標となりそうな点について「問いの形」を意識して、初任者自身が自分で考えて次の目標を設定できるように投げかける。

「…個別支援を続けることで、分かる・できる思いをする児童が増え、自己肯定感が高まります。学級としてもプラスの雰囲気となりますよね。ちなみに学級の雰囲気という視点でみると、今月の授業態度はいかがでしたか? 授業態度は日々の生活を映し出しますよね。そんな姿からも学級の状態というものがよく分かります。先月は個という視点で見ていたものを今月は学級全体で見てみるとどうでしょうか?…今の学級に足りないものは何ですか?…その足りないものを補うためにできる手立てにはどんなものがありますか?…その中でまず、取り組んでみるべきものは何だと思いますか?…」

このようにすることで、その1か月で努力できたことに自信をもち、加えて次の月への取り組みの手立ての意欲をかきたてることにつながった。

  よく「今の若い人の指導は難しい」という言葉を聞く。果たして本当にそうだろうか。そのような発想をすることがよい関係を築くことを難しくしてしまっているのではないのだろうか。「指導する側とされる側」ではなく、共に子どもを見守る教師としてお互いに高め合っていくことができるように、「自分を俯瞰する機会」と「様々な視点をもって自身を振り返ることができる機会」をもつことができるように、フィードバックの充実を図りながら、若手教員の働きやすい環境を構築していきたい。

 以上は、1月19日に第7弾を紹介している、埼玉で教務主任/初任者校内指導教諭をしている田所昂先生の第8弾です。

★これはフィードバックとしては、極めて弱いと言わざるを得ないです。『オープニングマインド』(特に、第4章)を参照ください。

2025年2月9日日曜日

生徒まかせの学習から、しっかりと教えるカンファランス・アプローチへ

近年、日本の教育界では「個別最適化された学び」が重視され、多様な指導方法が模索されています。一人ひとりの学びの進度や理解度に応じた指導が求められる中で、ICT器機を活用した適応型学習が導入され、データをもとにした学習の最適化が進められています。しかし、こうした流れの中で、学習者の主体性を尊重するあまり、学びが「まかせっきり」になってしまうケースも見受けられます。

学習者が「自己調整しながら学ぶ力」を身につけるためには、単に個別の課題を与えるのではなく、教師が個別に一人ひとりに合わせて適切に指導し、学習プロセスを適切に導く必要があります。その強力な解決方法に、自立した学習者を育成する「カンファランス・アプローチ」について考えます。これまでの一斉指導との比較を交えながら、日本の個別最適化の課題を整理し、カンファランス・アプローチの評価の在り方と教育現場での実践について考えてみました。

日本の学校教育は、長らく一斉指導を中心に展開されてきました。一斉指導には「効率的な知識伝達ができる」「全員が同じペースで学ぶため、進度管理がしやすい」といった利点があります。しかし、その反面、学習者の理解度にばらつきが生じ、個々の学びに十分対応できないという課題もありました。

これを補う形で導入されたのが「個別最適化」です。ICT器機を活用し、生徒ごとに異なる課題を提供することで、学びの多様性に対応しようとする試みです。個別最適化の最大の利点は、学習者一人ひとりの進度に合わせた指導ができる点にあります。しかし、学習者の主体性を重視するあまり、「まかせっきり」の学習になりやすい側面も指摘されています。生徒が自ら学びを調整するための土台がないままに、個別課題を与えられるだけでは、学習の質はなかなか向上しません。

ここで求められるのは、「学習プロセスを適切に管理しながら、学習者が主体的に学ぶ力を養うアプローチ」です。教師が個別に生徒一人ひとりを丁寧に指導し、それぞれの理解度や学習スタイルに合わせたサポートを行うことが不可欠です。その手法として、カンファランス・アプローチが有効だと考えています。



カンファランス・アプローチとは、教師が学習者と11で対話を行い、フィードバックを通じて学びのプロセスを支援する方法です。単なる知識の伝達ではなく、「学習者がどのように考え、どのように表現し、それをどう改善していくか」というプロセスに焦点を当てます。

このアプローチでは、教師が学習者の思考を引き出し、適切な問いを投げかけながら、学習を深めることを目指します。ただ生徒に考えさせるだけではなく、教師が的確な指導を通じて学びを方向づけ、一人ひとりの成長に合わせたサポートを提供することが重要です。 これにより、学習者は「なぜそう考えたのか?」「他の視点はあるのか?」といったメタ認知を働かせながら、自らの学びを調整できるようになっていくからです。

ナンシー・アトウェルの『イン・ザ・ミドル』におけるカンファランスの考え方を振り返ると、教師による成績評価はほとんど重要ではなく、形成的評価であるカンファランスこそが学習の中心であるとされています。アトウェルの実践では、教師の役割は学習者の思考を見守り、適切なタイミングで的確なアドバイスをすることであり、点数評価は単なる補助的なもの(大人の都合)であるとされています。学習者を支援する上で大切なのは、「わかりやすく繰り返し教え込むこと」ではなく、「学習者のつまずいている間違った理解(スキーマ)を見つけ、修正すること」です★。

学習者が自分で知識を作り出し自立して学習できるようにするためには、一人ひとりの理解のズレや誤った認識に対して適切なフィードバックを行い、修正を促すことが求められます。そのため、「教えるべきこと」を子ども任せにせず、教師が積極的に関与しながら、学習者が自立した学習者になれるよう支援することがカンファランス・アプローチにおいて重要なのです。

★学習における認知心理学については今井むつみ『学力崩壊』が大変、参考になりました。

教師が一人ひとりに適切な支援を行うことで、学習者は自己評価を行いながら、自らの学びを管理する力を身につけていきます。カンファランスは単なる質問のやりとりではなく、教師の経験を活かした明確な指導が求められる場です。そのため、教師は生徒のつまずきを的確に捉え、どのようなスキルや知識が必要なのかを具体的に示していく必要があります。



カンファランス・アプローチは、「まかせる」のではなく「しっかり教える」ことで、学習者が自立的に学ぶ力を育てる方法です。一斉指導や個別最適化の限界を補いながら、学びのプロセスを重視し、形成的評価を取り入れることで、学習者自身が思考し、自己調整できる力を養うことができます。教育において、教師の役割は「知識を伝える人」から「知識を創造し、学びを支援する人」へと変化してきました。教師が個別に適切な指導を行うことで、生徒が確実に成長できる学習環境を整えていくことが求められています。

 

2025年2月2日日曜日

エンゲージメントの周辺

 エンゲージメントという言葉を聞くことが多くなりました。これからの教育を考えるうえで、重要なキーワードの一つだと言えるでしょう。エンゲージメントは、生徒たちの学習成果、成績、さらには、生涯学び続ける姿勢を身につけるためにも、重要な土台であると考えられ始めているのです。

ビジネスの世界でも注目されているようです。ビジネス界で、エンゲージメントとは、「従業員の会社に対する「愛着」や「愛社精神」のことを言います。従業員が会社の理念・ビジョンに共感し、会社に貢献する意欲を持っている状態はエンゲージメントの高い状態だと言えます。」★1 人材の確保や会社の業績の向上にとってエンゲージメントを高めることは不可欠と考えられていて、従業員のエンゲージメントを向上させる要素として、働きやすさ、やりがい、指針への共感などがあると言われています。

教育の分野において、「学習者エンゲージメント」とは一般に、ある活動に積極的に参加していること(active participation)あるいは特定の行動に関与していること(involvement)を指しています。学校での活動や学習課題に「夢中でとりくんでいる状態」と言えるでしょう。

エンゲージメントということが注目されているのは、主体的な学びを、実現するうえでは、避けてとおることができない考え方だからだと思います。

一見、その活動に夢中になって取り組んでいるように見えても、心の中ではその学びに意義を感じていないこともあります。また、真に没頭しているのではなく、外部から期待に応えるために、夢中で取り組んでいるような素振りを見せるていることもあるでしょう。「うわべだけのエンゲージメント(‘shallow’ engagement)」★2 や「戦略的コンプライアンス(strategic compliance)」★3 といった言葉で表される状態です。

動機づけ、モチベーションが必要であることは間違いありませんが、何かに興味をもち、学びたいという気持ちはあっても、それを阻害する要因や誘惑は数限りなくあると言えます。学ぶためのリソースも、時間も、方法もすべてあるのに、それよりも刺激的で、愉快なことが、私たちの周りには溢れています。

学ぶ必要性は認識しているけれど、実際に行動に移すことができない学習者は、数多くいます。モチベーションが高い人が、必ずしもエンゲージメントが高いわけではないのです。なぜ、その行動をするかという理由や動機はあったとしても、その行動にどの程度深く自分自身が関与するかは別物であるということでしょう。

サラ・マーサー/ゾルタン・ドルニュイは、前掲の著書で次のように述べています。★2 

「学習者をエンゲージさせるとは、学習者のモチベーションを喚起し、同時にそのモチベーションを実現するということに他ならない」(p.18)

これこそが、問題の核心であり、エンゲージメントという考え方が重要視されている理由でしょう。

学習者エンゲージメントの周辺には、私たちがこれまで考えてきた意欲や動機といったものに加えて、学習者のマインドセットや学校文化などの学ぶ環境、教師やクラスメートの人間関係、学習行動を引きだすタスクや活動の設定など、実に多くの要因が作用していると言われています。

モチベーションや意欲を超えて、高いエンゲージメントを達成するには、どのような働きかけや環境づくりが必要なのか、これから考えていくべき重要なテーマとなりそうです。



★1 人材育成・組織開発 お役立ち情報・用語集,リクルート・マネジメント・ソリューションズ https://www.recruit-ms.co.jp/glossary/dtl/0000000185/

★2  サラ・マーサー/ゾルタン・ドルニュイ(2022)『外国語学習者のエンゲージメント』アルク

★3 Phillip C. Schlechty (2011) Engaging Students: The Next Level of Working on the Work , Jossey-Bass.

★4 廣森 友人/ 小金丸 倫隆(2024) 『エンゲージメント×英語授業 「やる気」と「意欲」を引き出す授業のつくり方 』 明治図書出版

2025年1月26日日曜日

「教育のあってほしい姿」を描いた刺激的な図を見つけました!

 

 日本で行われている教育は、依然として、この図で表されている対極にあると言えるかもしれません。

図に真ん中に位置するのは、文科省、その外側に教育委員会、そして学校・教師、一番外側に生徒です。それに対して、上の図に描かれているのは、真ん中が生徒、その外側に教師、学校と地域の学習環境、そして一番外側が教育システムです。日本には、「地域の学習環境」や「保護者の参加」もまだほぼ存在していません。

その周りにある4つは、日本では、「教科書をカバーする授業」、「教師主導の授業」、「一斉授業」、「学ぶのは時間割の中だけ」です。それに対して、上の図に描かれているのは、左側から時計回りに、

・学習は、特定のスキルや知識を身につけたかどうかに基づいている

・学習は、生徒が主導権(オウナーシップ)をもっている

・学習は、個別化されている

・学習は、授業や学校だけでなく、いつでも、どこでも起こっている

と、このように見事に逆さまです。

 そして、これらの結果も逆さまになります。日本の場合は、テストで役立つ短期記憶のみで終わってしまう(結果的に、身につかないし、好きにもなれないが多い!?)のに対して、上の図で行われる教育は、大学や職場や市民生活のなかで使える知識、技能、態度★を身につけます。

 今の日本を覆っている教育の姿から、ありたい姿/あるべき姿に転換を図るのに、制度/システムに85%の責任がありますが、教師にも15%の責任はあります(これを言ったのは、日本に品質管理を伝授し、戦後の高度経済成長を可能にしたエドワード・デミングという人です。)。しかし、日本の場合は、保護者、マスコミ、企業などが制度/システム側についていますから、現状を維持する力がさらに強固になっています。

 そうした抵抗勢力は強固ですが、上の図のように転換していかない限り、未来がないことは確かです。https://projectbetterschool.blogspot.com/2023/07/blog-post_16.html などを参考にしつつ、教師の努力で図の実現を目指しましょう!

 

★わかりやすく言うと「態度」ですが、原語はdispositionになっていますから、辞書的には「性格」「気質」「気質」などと訳されます。いま、姉妹ブログの「SEL便り」で連載しているhttps://selnewsletter.blogspot.com/2024/11/blog-post.html では、「学習気質」としています。それは、出典で紹介している動画でも紹介されている、SELhttps://wwletter.blogspot.com/2023/02/sel.html の図に示されている)や「思考の習慣」(https://projectbetterschool.blogspot.com/2022/11/blog-post_20.html の2つ目の表)を指しています。日本の授業で、これらのどれくらいが身についているでしょうか? これらこそが、まさに「大学や職場や市民生活のなかで使える知識、技能、態度=SEL=思考の習慣」として求められているものです。

出典: https://www.youtube.com/watch?v=SncjW1AcWlc(6分25秒付近)

    この図以外にも、この動画ではたくさんの貴重な図や表や考え方が紹介されています(SELは16分付近、思考の習慣は23分付近です)!

2025年1月19日日曜日

メンターメンティーチームの2学期のおわりに…

 1224日、私が勤めている地域では終業式。1224日はクリスマスということもあり、本校では納め会が昼となっている。夜はそれぞれの家庭やプライベートで…というスタンスではあるが、やはり同じ職場で2学期の間、共に過ごしてきた仲間たちと共に美味しい飲み物を酌み交わす時間は私にとって貴重だ。そんな中、突然個別で連絡が入り、何人か同じ思いをもっている仲間からの誘いを受け、店が指定された。非常に喜ばしいことだったが、そもそも誰が何人くるのかなど全く知らない状況だった。

仕事をすべて済ませ、一度家事をしに家に帰ったあと、お店に行ってみた。すると、4年次~初任までの、メンターメンティー研修(以下、メンメン研)経験者たちがずらり。もちろん、事情で来られなかった先生もいるが、多くの先生がいたことにまず驚いた。立場上(それを気にするのは悪しき習慣だと怒られると思うが…)自分からこういう席を設けることはよくないと思い、全く誘ってこなかったが、普段、お酒は大好きなので、素直に嬉しかった。

 別に深い意図はなく、話したい・飲みたいという話になったらしい。せっかく最後の日なのだからと。でもその日にまず、このメンバーで…となってくれたことが私にとって、ここまで学校内で取り組んできたことの一つの成果だと思う。そこにおまけで私もつけてくれたことには予想外だったが、せっかくだから、本音を聞きたいなぁと思い、色々尋ねてみた。

質問:このメンメン研から何か学んでいることはある?

 以下、様々なメンメン研のメンバーからの回答。

 ・ 自分が先輩としてもっとしっかりしなきゃいけないという自覚が芽生えた。

 ・ 下の(自分より若い)子たちどうなっているか気になるようになった。力になりたいと思った。

 ・ 横のつながり(同期)の言葉に助けられた面が多かった初任時代。その関係を横だけでなく、縦でもつことは大切だと考えている。

 ・ 学年が厳しかった分(厳しい主任や先輩と組んでいた)、助けてもらったり、話を聞いてもらったりする相手がほしかった。同期がいなくてどうしようと思ったが、それを違う学年の先輩や教務主任が親身に一緒にやってくれたことで救われた。

  ・ 今度は自分が!という気持ちが本当につよい。これからの後輩たちにもそういう思いで仕事をしてほしい。一緒に考えて、言いたいことは言い合いたい。

・ 1番はじめの初任者の研究授業が終わったあと、周りの先生方はみなさん褒めて下さって嬉しかったのに、最後に校内指導教諭である私との会話でたくさんの問いを投げかけられて、それにうまく応えられない自分がいて悔しかった。

  ・ その経験があったから、授業を組み立てたり、手立てを考えたりする時は自分から「なん

で?」「どうして?」「他には?」と問いかけながら作ったり考えたりするようにしている。最後の初任者研の研究授業のときに、問われたことにすべてスラスラと応えられている自分がいて本当に嬉しかったし、驚いた。(校内指導教諭からも)「自分の考えをもって、自問自答しながら、起きたことに対して次どうするか、どうすればよかったかを考えられている。これが1番の成長だね」と言われて嬉しかった。

  ・ 先日の研究授業(2年次研と学校課題研究の研究授業を兼ねて行った授業)でも、研究主任(以前話題に挙げた、初任者を詰める学年主任)に「こうするべきだよ ね」「これはこうだよね」と(授業前に)たくさん指導されたが、「○○だから、こうしたいです」「~ことを狙うので、これでやりたいです」と自分の思いもしっかり伝えられた。1年やってきてよかった。

  ・ 先輩方が本当に優しすぎる。常に声をかけてくれる。一緒に考えてくれる。一緒に動いてくれる。そんな環境でできることが嬉しい。何かあっても相談できる人、考えてくれる人がいれば、(今年初1年で、結構大変な学級)まだまだ乗り越えられると常に思えた。

ここまでコメントを挙げてきたメンメン研を共に過ごした教員たち。私自身が手探り状態で始めた時期に初任者だった者が、今やメンターとなってチームを引っ張る姿が見られるようになった。

また、学校事情や私が初めて教務主任という立場になった時期も重なって、とにかく優しくしてしまった初任者。その初任者が自分なりに考え、経験を引き継ぎたいという考えや組織づくりや同僚性への思いを強くして、メンターとしてメンティーと向き合っている。

そして昨年初任者だった先生は、私が試行錯誤した年なので、1番に「問い」に対する思いが出てきた。それを自分の仕事に活かしたりその後の事案に活かしたりできていることが分かった。加えて、組織づくりにも少し目が行き始めている。上に挙げた、先輩の先生方がメンターとなってチームを引っ張ってきたからこそ、メンティーが新たなメンターとなってチームをよりよくしたいという思いが芽生えたようだ。

  職場が働きやすい。悩みを共有できる。共に切磋琢磨できる。そういった職員室であれば、子どもを輝かせることも協働しながら行うことができるはず。大学院で組織マネジメントを学び、メンターメンティーチームという仕組みを知った私が抱いた思いが、今、目の前で形になってきたことを改めて実感した瞬間だった。このような体験を初任者や若手教員が次々としていき、その後自身の後輩教員たちへ引き継いでいくことができれば、私がいなくても学校の文化・風土として根付かせることができるはず。その実現に向けて、今日も職員とのコミュニケーションを大切に、メンターメンティーチームの行く末を全力でサポートしていきたい。

 以上は、8月18日、9月21日、10月6日、11月17日、12月15日、12月29日と続いている、埼玉で教務主任/初任者校内指導教諭をしている田所昂先生の第7弾です。

2025年1月12日日曜日

スピノザから考える、一人ひとりが自由になる教育とは

 この冬休み、スピノザの倫理学から多くを学びました★。読了後に感じたのは、この哲学が現代の教育を見直すための非常に効果的な視点を提供してくれることです。それは、一時的な対処法や表面的な知識にとどまらず、深い洞察と実践に基づいたものである点が印象的でした。今回、いくつかの書物から学んだ内容を皆さんと共有し、一緒に「より善い教育のあり方」について考えるきっかけにしてもらえたらと思います。

★特にオススメの本は國分功一郎『はじめてのスピノザ』(講談社現代新書)です。以前、NHKの「100分de名著」で語られた内容をさらに補説されたものでした。

 

スピノザは17世紀オランダの哲学者であり、倫理学の分野に重要な影響を与えた人物です。彼の主著『エチカ』は、「どのように生きるか」という問いを中心に、自己の生き方を探求するものです。スピノザは、一律に誰にでも当てはまりそうな道徳的な価値観を他者に押し付けるのではなく、一人ひとりとしての個人が主体的に自分の価値基準を見出すことを重視していました。

 

スピノザの哲学における重要なテーマの一つに、「善悪は固定的なものではなく、組み合わせによって決まる」という考えがあります。例えば、音楽はある人にとって心を癒す存在であっても、別の人にとっては騒音に感じられることがあります。同じ対象であっても、状況や相手によってその善悪は変化するのです。一人ひとりの生徒と向き合う際には、単に一律な方法で関わるのではなく、個別の状況に応じた対応が必要です。「今どのような課題に直面しているのか」「どこを目指しているのか」「そのためにどのような取り組みが可能か」といった視点から、それぞれの生徒に合った支援、カンファランスすることが求められます。これはまさに、スピノザが語る「組み合わせの重要性」を教育現場で実践することなのだと思います。

 

スピノザが説いた「コナトゥス」という概念があります。コナトゥス(conatus)とは、物や生物がその存在を維持しようとする力、あるいはその存在の本質そのものを指します。シマウマと競走馬はどちらも馬としての「形」を持っていますが、それぞれの「力」や特性は異なります。この視点から、個々の本質を理解するには、単なる形だけではなく、その活動能力や特有の力を考慮する必要があります。また、コナトゥスは欲望と密接に関係しています。私たちの本質は、外部からの刺激(変状:affectio)によって影響を受け、その結果として欲望が生じます。この欲望は単なる感情ではなく、私たちの本質の一部であり、行動を駆り立てる力そのものです。暑さという刺激に応じて汗をかくという反応は、身体がその状態を維持するための一つの表れです。

 

コナトゥスをうまく活用するには、自分の力の性質を知り、それを高めるための組み合わせを見つけることが重要です。農耕馬と競走馬の違いを理解することが示すように、ネガティブな刺激によって自分の状態が悪化しないよう、自分に合った環境や人間関係を見つけることが鍵となります。嫌なことを言われたとき、精神的に強い人はわずかな「変状」で済むのに対し、活動能力が低下している人は大きな影響を受ける可能性があります。こうした状況を乗り越えるには、生徒一人ひとりの特性を把握し、喜びをもたらす環境や行動を積極的に探す必要があります。

 

エソロジー(ethology)という学問分野は、コナトゥスを理解するための重要な視点を提供してくれます。これは動物や人間が特定の環境でどのように行動し生きているのかを具体的に観察する研究です。例えば、ファーブルの昆虫観察のように、生物の行動を環境との関係性から見ることは、個々の特性や力を把握する助けとなります。一方で、生物学的分類が形相に重きを置くのに対し、エソロジーは環境や習慣といった動的な要素に注目します。うまく生きるためには、自分自身のコナトゥスを深く理解し、ネガティブな影響を最小限に抑えつつ、ポジティブな刺激を受け入れられるような生活環境や行動を設計することが大切となるのです。

 

いよいよ本題であるスピノザのいう自由とは。スピノザの哲学において自由とは「与えられた条件のもとで力を最大限に発揮すること」と定義されます。一般的に、自由は束縛や制約がない状態を指すことが多いですが、スピノザは完全に制約がない状況は存在しないといいます。むしろ、与えられた条件、例えば身体の構造や生活環境といった必然性に従いながら、その中で力を発揮することこそが真の自由であると説きます。

 

魚が水中で自在に泳ぐことは、その身体的条件と環境に従った自由の表現です。人間もまた、自分に与えられた条件を理解し、それを最大限に活かすことによって自由になることができます。ただし、この自由は静的なものではなく、実践を通じて徐々に獲得されるものです。赤ちゃんが自分の身体の使い方を試行錯誤しながら学んでいくように、私たちも自分の必然性を理解しながら自由を追求していく必要があります。

一方で、自由の反対は「強制」です。強制とは、自分の本質が他者によって押し付けられたり、外部の力によって支配されたりする状態を指します。

自由を追求するには、自分の力(コナトゥス)を理解し、それを表現するための行動を積極的に模索する必要があります。自分の状況や環境を冷静に見つめ、エソロジー的な視点を持つことが重要です。自由は意志の力だけでは達成できず、試行錯誤と環境の調整が不可欠です。

スピノザの自由論では、私たちが学校教育において生徒一人ひとりがどのように環境に適応し、自らの力を活かすかを問い直す重要な示唆を与えてくれます。その思想は現代社会においても依然として有効であり、人間の可能性を追求するための指針となるものです。まさに、スピノザ哲学は、生徒一人ひとりの自由を探究していく思想なのです。

2025年1月5日日曜日

二項対立を超えて

世の中は「対立」であふれています。コーヒーはブラックかラテか?といった日常に関わる小さな対立から、民族や国家の血みどろの対立まで様々です。私たちは、それらを、回避、強制、受容、妥協、対話、協調といった知恵とアイデアで、乗りきろうと努力してきました。スムーズに解決する場合もあれば、長年にわたる遺恨を残す場合もあります。

イノベーションが起こる時は、常に古いものとの対立があります。私の好きな言葉に、「悲観主義者はいつも正しい。楽観主義者はいつも間違いを犯す。しかし、すべての偉大な変革は楽観主義者が成し遂げてきた」★1 というものがあります。学校という場所は、子どもたちの未来を預かっているという点で、慎重にならざるを得ないとは思いますが、イノベーションが起こりにくい場所です。

21世紀に入って25年目に突入しましたが、今、日本の教育はターニング・ポイントにあると思います。

「中央教育審議会「令和の日本型学校教育」の構築を目指して(答申)」★2 の中に、いくつかの対立する考え方が提示されています。教育においても、ビジネスなど、他の多くの事柄でも、つねに二項対立はあるものですが、学校教育における二項対立の例として、示されているものは、次の4つです。

一斉授業 or 個別学習
デジタル or アナログ
履修主義 or 修得主義 ★3
遠隔・オンライン or 対面・オフライン

一斉授業と個別学習の二項対立などは、日本の学校教育を根本から変えうる大きな問題でしょう。個人内の評価や「個」に注目した考え方は従来からありましたが、それらも一斉授業の範疇の考え方でした。一斉授業から「はみ出てしまう」あるいは「ついていけない」子どもたちへの手立てといった意味合いが強くあった。一方で、学習の個別化は、まったく違う考え方です。我が国で、かなり早い時期に学習の個別化を取り上げた翻訳書『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』★4 には、「たった一つの授業プランですべての生徒が効果的に授業ができるというのはまったくの幻想です(p.19)」とあります。

いずれも、しっかりとした議論が必要な項目ばかりですが、学校の教室の様子が根本的に変わる可能性を秘めたものばかりと言えそうです。

この答申では、これらの対立する考え方への対応の方向性として、「二項対立の陥穽」★5 に陥らないようにすべきとの考え方が示されています。要するに、どちらの良さも適切に組み合わせて生かしていくことが重要であると主張しているのです。

二項対立を超えて、ベスト・ミックスを探していこうというのは、至極真っ当な主張だと思います。一方で、多様化する学校・社会において、単一の価値観や方法論で、ものごとを解決していくことは難しくなっていると感じます。

どうやって、このような二項対立を超えて、新しい教育を創っていくか、我々が試される時が来ているのでしょう。

今年も、教育のこと、学校のことをご一緒に考えていきたいと思います。よろしくお願いします。



★1 “Pessimists are usually right and optimists are usually wrong but all the great changes have been accomplished by optimists.” ― Thomas L. Friedman(American Journalist, 1953- )

★2  中央教育審議会「「令和の日本型学校教育」の構築を目指して(答申)総論解説資料 https://www.mext.go.jp/content/20210329-mxt_syoto02-000012321_1.pdf 2021/03/30

★3  履修主義は、一定期間在学し授業を受ければ自動的に進級進学するという考え方。何を、どの程度身につけたかは重要な判断基準とはなりません。一方、修得主義は所定の課程を履修し、目標を実現できているかどうかが求められます。高校、大学などはこれにあたります。

★4  キャロル・アン トムリンソン (著), 吉田 新一郎他 (翻訳) (2017)『ようこそ,一人ひとりをいかす教室へ: 「違い」を力に変える学び方・教え方 』北大路書房.

★5  読みは「かんせい」、「おとしあな、わな」といった意味のようです。なかなか目にすることない言葉です。なんで「罠」と簡単に言わないんだろう?という素朴な疑問がわかないでもありません。