『インストラクショナル・コーチング』(近刊、図書文化)の著者のJim Knightは、過去25年間、教員研修に携わってきた人です。その過程で学んできたことを振り返るなかで、かつて自分が信じていた、そして教育者全体の意識のなかに今も根強く残っている、いくつかの教員研修(プロとしての教師の学び)にまつわる神話を特定したので、紹介してくれています。今回は、その1回目です。
●神話1・教員研修は、受講者の実践を変える
私が25年以上前に教員研修に携わり始めた頃、ワークショップ★が主な手法でした。そして現在に至るまで、ワークショップは世界中の教育者にとって最も一般的な研修の形態の一つであり続けています。年に数回、教師たちは大きな会場に集まり、効果的な教え方や学級・学校運営に関するアイディアを講師から聞くことになります。ワークショップは、多くの教育者が同時に研修を受けられるため、実践を変えるための費用対効果の高い方法として捉えられています。
しかし残念ながら、人々が研修で学んだことを実際に実践に移すことはほとんどありません。その理由の一つは、多くの場合、聞いたことの大半をすぐに忘れてしまうからです。実際、エビングハウスの忘却曲線(1913年)によれば、人は聞いたことの50%を24時間以内に忘れ、1週間以内には70〜80%を忘れてしまうとされています。研修で学んだことを実際に実践している少数の教師たちも、おそらく学んだ内容を自分で再度学び直しているからこそ、それが可能なのだと私は推測しています。
さらに、ワークショップを含めた研修は「個々の違いやニーズを無視した画一的な方法」で変化を促そうとするため、個々の教師が抱える差し迫った課題には対応できないことが多いのです。また、専門家が「どのような実践をすべきか」を教師に伝える形になるため、教師たちは自分に押し付けられていると感じ、主体的に関わっているとは思えないような「一段下の立場」に置かれてしまうこともあります(『人を助けるとはどういうことか~本当の協力関係をつくる7つの原則』エドガー・H・シャイン著、金井真弓訳、英治出版、2011年)。
こうした理由から、教員研修で共有された方法がうまく実行に移されない(あるいは全く実行されない)ことは、もはや驚くべきことではありません。さらに問題を深刻にしているのは、教師たちが「研修で紹介された内容が実際には現場で使われていない」と気づくと、変化への意欲が減ってしまうという現実です。研修が実施されても実行に移されないという経験を繰り返すたびに、教師たちは新たな改革の取り組みに対して注意を払わなくなっていくのです。
その結果、研修を型通りに実施している学校では、「(不易が何であるかわからないのに)不易と流行」という言葉がよく聞かれるようになります。つまり、どんな新しい取り組みも一時的なもので、どうせすぐに通り過ぎてしまうという皮肉まじりの諦めの表現です。さらに、研修のテーマが整理されていなかったり、互いに矛盾していたりすることも多く、教師が学びの内容を理解するのが難しくなるだけでなく、変化に対する教師の前向きな姿勢をさらに損なってしまいます。
こうした限界はあるものの、研修にも重要な役割はあります。たとえば、効果的な実践に対する「認識を高める」ことや、教育委員会レベルでの「共通理解を深める」ことには貢献します。しかし、それだけでは十分ではありません。私自身が研修について学んできたことは、ジョイスとシャワーズ(1982年)が40年以上前に示した結論を裏付けています――すなわち、「本質的で深い変化」は、ワークショップだけでは実現せず、「ピア・コーチング」や「インストラクショナル(授業改善のための)コーチング」といったフォローアップが必要不可欠だということです(https://projectbetterschool.blogspot.com/2015/11/blog-post_29.html の2つ目の表を参照)。
そこで提案ですが、もし教育界のリーダーたちが、「教員研修/ワークショップは気づきを教師に与えることはできても、真の変化を生み出すものではない」と認識し、その理解をもとに、コーチングやメンタリングのような、実際に持続的な変化へとつながるプロの教師としての資質を向上する専門的研修を提供するようになったらどうでしょうか。
★以下では、ワークショップ(体験型の学び)を講演形式の従来の研修会(さらには、話し合いをその場でするだけの勉強会等)と同義と捉えてください。
●教員研修の2つめの神話・ 教師は、変化に抵抗する
私(Jim Knight)がコーチやリーダーと仕事をする際に最もよく聞かれる質問のひとつが、「変化に抵抗する教師にどう対応すればよいか?」というものです。私自身も、教員研修に関わり始めた頃、期待した成果が見られなかったときに、同じ疑問を抱いていました。私は、自分が共有した内容を裏付ける研究を説明し、自分自身の成功体験を話し、私が使った実践方法を教師たちに勧めました。しかし、多くの場合、教師たちは私の提案した実践を取り入れようとはしませんでした。そうして私は、変化への抵抗は人間の一般的な性質なのだと考えるようになっていきました。
けれども、私がその後学んだのは、人は変化そのものに抵抗するのではない、ということです。彼らが抵抗するのは、「自分が安心して取り組めない変化」や「その意味が見いだせない変化」なのです。
ジョセフ・グレニーら(『インフルエンサー: 行動変化を生み出す影響力』吉川南訳、パンローリング、2018年)は、人が変化を受け入れるかどうかを決定づける2つの重要な問いを挙げています。「それはやる価値があるか?」そして「自分にそれができるか?」という問いです。もし誰かが、ある取り組みについて「価値がある」と感じ、「自分にもできる」と思えれば、その人は実行に移します。逆に、「価値がない」と思ったり「自分には無理だ」と思えば、その人は実行しないでしょう。表面上は衝突や批判を避けるために、最低限の期待に応じて形だけ従うかもしれませんが、本気では取り組みません。人は「うん、わかった」と頷きながら、実際には何もしないということに、とても長けているのです。
ウイリアム・R. ミラーとステファン・ロルニック(『動機づけ面接』原井宏明ほか訳、星和書店、2019年)は、変化という個人的な経験を研究することにその職業人生を捧げてきた人たちですが、彼らは「抵抗」という言葉を使うのをやめ、「ミスアラインメント(ずれ/不一致)」という言葉を使うべきだと提案しています。リーダーやコーチは、教師が最も必要としていることを共に見つけ出し、その望ましい未来への道筋を示すことで、教師との間にアラインメント(一致)を築くことができます。要するに、教師が現実をよりはっきりと見られるようにし、生徒のために重要だと教師自身が考える力強い目標を立てられるように支援する教師の専門性を向上する研修は、本当の変化をもたらす可能性が高いのです。
結局のところ、変化に抵抗しているとして教師を責めるのは、生徒が学んでいないことを理由に生徒を責めるのと同じです。もっとよいアプローチは、本当の変化が起こりうる条件をつくり始めることです。だから私は今では、教師を「変化に抵抗している」と責めるのではなく、「教師が実行に移さないのは、自分の何が原因なのか?」と自問するようにしています。
そこで提案ですが、もし変化を導くリーダーたちが、「抵抗」に注目するのではなく「アラインメント(一致/共通理解)」に焦点を当て、教師に「何が必要か」を尋ねたうえで、その分野での教師の専門的な学びを支える持続可能な★★教員研修の機会を提供したとしたら、どうなるでしょうか?
★★今行われている教員研修は、残念ながら、生徒たちまで還元されることがほとんどない、「専門的」とも「持続可能」ともいえない研修がほとんどです。教師たちのほとんどは、それに対して「ノー」と言っているのであって、生徒たちに還元でき、自分の専門性が高まり、持続可能なものであれば、喜んで取り組んでくれるはずです!
出典:https://ascd.org/el/articles/five-myths-about-teacher-professional-learning