2025年6月22日日曜日

子どもたちが楽しく夢中で取り組む授業 と 教科書を押さえる退屈な授業 とのうまいバランスはあるのか? (教師と生徒のエイジェンシーで共に創る授業=The Co-Constructed Classroom ①)

 という悩みを抱えている先生は結構多いのでは? あるいは、後者の授業に疑問をもちつつも、前者の授業にどういう移行できるのかを悩んでいる先生は?

ちょうど、台湾にあるインターナショナル・スクールで教えているAnn Lautrette先生が書いたThe Co-Constructed Classroom: Why agency in curriculum, pedagogy and assessment is the key to an inclusive classroomを読みました。意訳すると、『共に創る授業──カリキュラム・教え方/学び方・評価における教師と生徒のエイジェンシー(主体性)こそがインクルーシブな授業の鍵』というタイトルです。

内容的には、『みんな羽ばたいて』『学びの中心はやっぱり生徒だ!』『あなたの授業が子どもと世界を変える』『プロの教師がすすめるイノベーション』(これらの本は、カナダを含む北米の本)などと似ています。

著者は、イギリス人なので、英語圏では、この方向でかなり進みつつあることが分かります。どの方向かというと、教師(ないし教科書)中心の授業から生徒中心とは言わないまでも、生徒と教師が一緒につくる授業です。それが、まさにこの本のタイトルになっています。そのためには、生徒が(そして当然、教師も!)①カリキュラム(何を学ぶか)、②教え方・学び方、そして③評価の仕方に声を発する/エイジェンシーを発揮する必要がある、ということです。逆に言えば、教科書をカバーする授業である限りは、教師も生徒も声を発する/エイジェンシーを発揮することはできませんから、退屈で残るものの少ない授業が約束されていることを意味します!

本の最初のところには、次のように書かれています(The Co-Constructed Classroom Kindle版の位置: 5365より)。

 

最終的に、私たちは自分たちの教え方に対して自信をもてる地点にたどり着きました。それは、自分たちが「何をしているか」ではなく、生徒たちが何をしているかに焦点を移すことができるようになった地点です。

私たちは、キャリアの初期のある時点で、「教えること」を心配することから「学ぶこと」を心配するように変わりました。

私自身について言えば、当初は、教育(授業)とは教師が「する」ものであり、結果として、生徒に「施される」ものだと理解していました。

20年前には、生徒の主体性(student agency)や、生徒の声や選択(student voice and choice)は、教育の中で大きな位置を占めていなかったように思います。

しかし今では、生徒の学びにとって多様な教育方法(pedagogies)が有効であると理解が進んできたので、このアプローチは依然として「3ステップのプラン」★1として使えるかもしれませんが、探究学習(inquiry-based learning)★2や、I do, you do(まず教師がして見せて、生徒がやる)」モデル★3、あるいはまったく別のもの★4でもいいのです。

 

 日本では、上に書かれているのと似たような状況にすでに来ているでしょうか? それとも、まだでしょうか?(ぜひ、上に引用した箇所をもう一度読み直してください。)

 これから何回かにわたって、教師と生徒が、①カリキュラム(何を学ぶか)、②教え方・学び方、そして③評価の仕方にエイジェンシーを発揮して取り組める授業のつくり方について紹介していきます★5。

 

★1これは、典型的な授業の組み立て方です。(日本では、どのようなものがありますか?)少し長くなりますが、「3ステップのプラン」について書いてあることを下で紹介します。日本の指導案を見ても、同じ気がしますが・・・(でも、真ん中は、教師主導になっていませんか? 最後も、教師がまとめをしていませんか? または、機械的でマンネリ化した振り返りになっていませんか?)

●授業の最初

導入は、何か面白いもので始めましょう。生徒たちの興味を引くこと(釣ること)が絶対に大切です。もしそれができなければ、その時点でもう授業中ずっと生徒の関心は戻ってこないと思ってください。教師の教えたいことが、生徒に届くことはないでしょう。

導入はbell work, a bell ringer, a question of the day, a warm up, a do no(「ベルワーク」「ベルリンガー」「今日の質問」「ウォームアップ」「Do Now」)など、呼び方は何でも構いません。

それと、授業の目的を明確に、はっきり伝えるのを忘れないでください。そうしないと、生徒たちは何を学ぶのか分からないままになってしまいます(同上、位置: 2932

以上は、常に、当てはまりますか? 少なくとも、ライティングやリーディング・ワークショップ(「作家の時間」や「読書家の時間」およびそれらの他教科への応用である「社会科ワークショップ」「数学者の時間」「科学者の時間」あるいは、この下で紹介している★2の探究学習では、毎回の授業では毎回というわけではない気がします。ミニ・レッスン的な形でははじまりますが。

●授業のメインの部分

それから、授業のメインの部分では、生徒に何かを提示する必要があります。新しい概念やトピック、つまり彼らが学ぶべき内容です。授業の目的としてあなたが伝えたものですね。

でも、あまり長く話しすぎないでください。生徒たちは長時間集中できません。彼らに何か作業をさせましょう。話すことも必要ですが、読むことも、書くことも必要です。

この部分では、全員が成長・進歩することが必要です。そして、あなたは一人ひとりをサポートしなければなりません。同時に、全員を常に評価(アセスメント)し続けることも必要です。全員がどういう状況かをちゃんと覚えておいてください。あとでそれが必要になります(同上、位置: 3436

まさに、見取り(見取りをして終わりではなく、それをどう活かすかがないと、見取りをしている意味がない。個別の指導やフィードバック、全体の教え方等に活かす)! それが「指導と評価の一体化」ということそのものなのでは!

●授業の最後の5分間

何をするにしても、授業の最も重要な部分であるPlenary(全体でのふりかえりの時間)のために5分は必ず残しておいてください。もしこれをやらなければ、生徒たちはあなたから学んだことをすべて忘れてしまい、すべてが無駄になってしまいます。

Plenaryでは、目的をもう一度繰り返さなければなりません。絶対に繰り返す必要があります。そして、全員がその目的を理解したかどうかを確認しなければなりません。

生徒が何人いようと関係ありません。あなたに与えられているのは5分だけですから、付箋をちゃんと用意しておいてくださいね。なぜなら、出口チケット(exit ticketsはあなたの味方ですから(同上、位置: 3840

作家や読書家の時間では、最後の5分間は必ず共有の時間として確保されています。その意味では、ミニ・レッスン→ひたすら書く(ないし読む)→共有(作家の椅子ないし読書家に椅子)は、上で紹介されている流れになっています。というか、それの上を行く形で最初のミニ・レッスン以外は、生徒がする(エイジェンシーをもつ)形になっています! 毎回の授業が、パターン化されているので、生徒たちは何を期待されているのか、自分が何をすべきかが容易に予想でき、その分、主体的に行動することができるのです(本物の作家や科学者などのように)。それに対して、教師がその場の成り行きや気分ですることを判断したり、変えたりしていると、生徒たちが自分で考えて、判断して、行動することはできません。

 

★2では、https://docs.google.com/document/d/1Wu_UtIPHoPQQOSbsA_8NNFa1X9W0MN3zxS6gxisks-o/edit?tab=t.0(200%にしてみてください)などがあります。

★3は、『「学びの責任」は誰にあるのか?』で詳しく紹介されているモデルです。教師なら誰もが知っておくべき内容です。元々は、読み方の指導で開発されましたが、いまではすべての教科で応用されています。

★4には、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』で紹介されているアプローチが、よく知られており、欧米ではかなり普及しています。他には、算数・数学教育から生まれたhttps://projectbetterschool.blogspot.com/search?q=%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E6%95%99%E5%AE%A4 などもあります。これも、算数・数学だけでなく、すべての教科に応用できる方法です!

★5 本のタイトルとブログのタイトルにある「子どもたちが楽しく夢中で取り組む授業」の条件として、「教師のエイジェンシー(主体性)」は欠かせないです。別な言葉でいうと、「教師が本気でやりたい授業」ということです。教師が忖度してやっている授業は、子どもたちも見抜いてしまい、お付き合いする選択肢しかありませんから。

 「子どもたちが楽しく夢中で取り組む授業」と、文科省のキャッチコピーの「主体的で対話的な深い学び」ないし「個別最適な学び」と「協働的な学び」を置き換えられるかというと、厳しいです。まず、これらは教え方・学び方しか対象にしていません。カリキュラムと評価は無視しています。文科省は、一方で教科書をカバーする授業を教師に強いながら、「主体的で対話的な深い学び」ないし「個別最適な学び」と「協働的な学び」を教師に期待しているわけですが、両者は相容れないことをご存じないようです。教科書がある限りは、「主体的」も「個別最適」もほぼあり得ませんから! それほど、何を学ぶかと、どう学ぶかは密接に関係しており、切り離せません。

さらに、文科省はほとんど評価にも言及していませんが、https://wwletter.blogspot.com/2023/11/blog-post.html の「主体的に学習に取り組む態度」のところをお読みください。こちらも、生徒の学びの態度や量を評価するというよりも、9割がたは教師の側(教える内容、方法、態度・姿勢)を評価しているとしか言えないでしょう。カリキュラムと教え方・学び方と評価の3者は切り離せないのです!

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