2016年4月17日日曜日

大切な教師の創造性

教師の仕事は、創造性なしに存在するでしょうか?

管理職に限らず、教職員は誰しもリーダーシップが求められています。
よく言われる「一国一城の主」である教師は、当然です。教室の中に入ったら、他にリーダーシップを発揮できる存在はいませんから。

リーダーの特徴を表わす言葉として、「影響力がある、献身的、視野が広い、集中している(焦点/優先順位が明確?)」などたくさんありますが、「創造性」は含まれているでしょうか?

少なくとも、最近よく言われる「21世紀のスキル」の中には、創造性が必ず含まれています。ということは、教師(管理職も)はそれを子どもたちに(教師たちに)モデルで示さないといけない立場にあることを意味します。創造性こそが、イノベーション=革新的な製品やサービスやビジネス等の核と捉えられているからです。

創造性は、想像性と深い関係にありそうです。そういうこともあって、創造性は従来のリーダーの特質には含まれていなかったのかもしれません。リーダーに欠かせないと思われている「コントロールや管理」とは対照的な「自由で流動的、無秩序/混沌/カオス的状態、無拘束/無制限」といったイメージを伴っていますから。しかし、間違いなく言えることは、リーダーが習慣どおりにつつがなくこなしてさえいればいいわけではないので、適量の(しかも適切な)創造性を使うことで、驚くほどの素晴らしい効果を生み出します。それこそが教育の世界でも求められており、「革新的な製品やサービスやビジネス」につながります。(授業を「サービス」と捉えることはとても大切ではないでしょうか? 現時点では、悲しいかな、それがあまりにもなさ過ぎます!!)

それでは、このコントロールと管理、硬直化、創造性の対極にあるような学校という場で、想像的/創造的になり、そして想像性/創造性を発揮することができるのでしょうか?

下の2つの表を見ていただくと、それほど難しくはないと思われるのではないでしょうか。

資料:① 創造力をつけるためにできること

 このリストは、研修会に参加した普通の参加者によって作成されたリストです。
 
  
            出典:『効果10倍の<教える>技術』の183ページ

資料② 創造的な人の特性

 誰もがこれらすべてをもっているわけではありません。これらの中で自分がもっているものを活かせばいいのです。

 

                    出典:『創造的問題解決』B.ミラー他著の16ページ

環境・雰囲気・文化は、創造性とイノベーションに適していますか? それとも、妨げるものですか? 妨げているものは、いったい何でしょうか? 
妨げている要因にはどんなものがあるでしょうか?
     よく聞いてもらえない ~ 互いに聞けた上での、改善やアクションのためのフィードバックが行きかっていない。
     新しい考えを排除している! ~ 単に従来のやり方と違うという理由だけで。まずはじっくりオープン・マインドで聞くことから。
     安心・安全を優先している ~ 創造性=リスクを冒して挑戦すること! 無難にことを運びたいという気持ちは、その対極にある。従って、楽しむことも驚きも味わえない。
     疑問や質問が提示できない ~ 現状への疑問は、創造性の「核」と言える。疑問は「批判的思考」と言えるので、これら2つはイノベーションの両輪!
     自由を制限している(ほとんど存在しない) ~ 創造性と自由は相関関係にある。その意味でいまの学校にどれほどの自由があるかを見直す必要があり、そしてその幅を広げる努力こそが大切! 自分がベストと思えるものを追求する自由が(ある一定の枠内で)ないと創造性を摘み取りこそすれ、発揮させることはできない。
     グループ(学年や学校)の中の多様性を排除している ~ 違いがないところでは創造性は存在しない! 異なるやり方や見方は集団としての動きを必ずしも円滑にはしないが、多様性=違いの排除は互いの中にある可能性を殺すことであり、結果的に質を飛躍的に高める芽を摘み取っているだけである。





2016年4月10日日曜日

吉井コーチ(日本ハム)のコーチングから考えたこと

吉井コーチはすごいです。メジャーで経験してきたことをけっしておごるのではなく、自分の教えたいことを教えるのでもなく、あくまでもプレーヤーを中心に据えている。

私のしていることに当てはめてみると、「子どもを中心に物事を考えている」ということになる。でも、自分はどうだろう? 自分の教えたいことを教えている従来の日本のコーチと近いのではないかと思う。

そして、選手が教えを必要としている時、あるいは悩みを打ち明けてきた時、適切なアドバイスができるように自らも学び続けている。かっこいい。私自身もそんなふうでありたいと思う。

青空ミーティングも良い取り組みだと思う。学ぶ主体である選手が何をしたいのか、どんなことを考えているのかを探り、練習や試合の様子を見守る。そしてその後に彼らが何を学んだのか聞き取っている。きっとそんなときに何か声をかけているのだろう。

さらにすばらしいこととして、コーチはいつか変わっていく。でも学ぶ選手はそこに残される。コーチが違えば教え方や考え方もちがう。学び方を教えておくことでそんなことに選手が振り回されることはなくなる。

私達がしていることも、そういうことなのだと感じた。自立した学び手を育てることが大切なのだ! 
なにができる?(自問)

以上は、Y先生が
日本ハム・吉井コーチの育成術目指す理想は“選手のための図書館”
を読んで考えたことを書き出してくれたことです。

あなたは、どんなことを考える/参考にするでしょうか?

以下、記事(一部)を貼り付けておきます。

青空ミーティングで選手と対話

“選手たちにとって図書館みたいな存在になりたい”

「明らかに間違えている部分があったら指摘するが、それ以外は彼らのやりたいようにできるよう手伝いたい」

 2月のアリゾナキャンプで目撃したある光景が今も印象に残っている。紅白戦が終了した後、登板した投手全員をグラウンドに集め、芝の上に座りながら青空ミーティングを行っていた。吉井コーチはノート片手に選手たちと対話をしていた。

 後で確認したところ、キャンプ中は毎日、投手からその日の課題を聞きノートに書き出し(吉井コーチはそれを“取材”と称していた)、それを各人と練習、試合後に確認作業を行っていた。青空ミーティングもその一貫だった。

 つまり吉井流コーチ術とは、選手自ら自分の課題を考えさせ、さらにそれを克服していくにはどう対処すべきかをも一方的に指導するのでなく、話し合いながら選手にその方向性を導かせるというものだ。まさに学生が勉強に困った時に資料を集めるため図書館を利用するように、コーチは選手が自ら成長するため利用する存在であるべきだと考えているのだ。

押し付けるのではなく自主性を伸ばす


   <写真>

 これまでプロ野球のコーチ(打撃、投手に限らず)といえば、自らの経験で培った知識を元に選手たちを指導するというのが大半だった。もちろん吉井コーチは数少ない日米球界に精通する知識の持ち主であり、それだけでも他のコーチたちとは一線を画す存在ではあったはずだ。だが逆に他のコーチたち以上の経験を積んできたからこそ、少しでも多くの選手を育成するには知識の押し売りではなく、自ら考えて取り組ませる選手の自主性を伸ばすことだと感じ取っていた。

 しかしプロ野球のみならず日本の野球環境の中で、吉井コーチの理想を追求するのは簡単ではない。そもそも選手たちは子供の頃から監督、コーチから指導を受けるのが当たり前で、中には高校、大学、社会人と自分で考えることもなく、指導者に言われるがままプロまで駆け上がってきた選手も少なくない。

 こうした選手は壁にぶつかった時に自分で対処する術がなく、コーチの指導に頼り切りになってしまう。だがプロ野球でもコーチの指導は人によってさまざまで、しかも入れ替わりも激しい。コーチとうまく合致した時はいいが、多くの場合は自分の才能を開花できないまま去っていくことになる。そうした選手が自分で考え取り組むようになれれば、もっと多くの選手たちが成長していけるかもしれないのだ。

 だが選手の図書館になるには経験上の知識だけでは限界がある。それを痛感したからこその大学院入学だった。野球専門の研究室で学術的な知識を広げる一方で、吉井コーチは他の研究室の講義にも積極的に参加。スポーツ心理学、生化学、栄養学、運動学などアスリートとして必要な知識も深めていった。

意識改革が進む先に見据える投手王国

 もちろん吉井コーチをフル活用できるかどうかは各選手次第。自ら図書館に向かわなければなんの知識も得られないのは学生と変わらない。ただ吉井コーチは前述の青空ミーティングでも理解できるように、選手たちにモチベーションを与える対話も忘れてはいない。常に彼らの道標になろうとしている。

 吉井コーチの試みは即効性のあるものではない。だが投手たちの意識改革が進めば進むほど、日本ハムは投手王国へ着実に歩を進めていくことになるはずだ。

「順調です」

 開幕直前に今シーズンの活躍を祈願するメッセージを送ったところ、こんな短い返信が戻ってきた。これからも吉井コーチの選手育成術に期待を込めて注目していくつもりだ。


2016年4月3日日曜日

新刊『算数・数学はアートだ!』


あなたは、算数・数学の授業が好きでしたか?
楽しんでいましたか?
私は、決して嫌いだったわけではありませんが、単位を得るため、卒業するために仕方なくお付き合いしていたというのが本音です。
いずれにせよ、私たちはみなそれがどんな授業だったかは鮮明に覚えています。
この本は、音楽家と画家が悪夢を見ている場面から始まります。音楽家は学校で、楽器を奏でることは一切許されず、ひたすら「ルールに従って」五線譜に記号を記す練習だけをさせられています。画家も同じように、キャンバスに絵を描くことなく、ワークシートのマス目に指定の色を塗る練習ばかりをさせられています。
夢だと気づいた二人は、ともに次のことを確認します。「どんな社会だろうと、音楽や美術といった美しくて価値のある芸術を、くだらない作業に落とし込んだりはしないだろう。どんな社会だろうと、音楽や美術によって極めて自然に自分を表現することができる機会を、子どもたちから取り上げるなどという残酷なことはしないだろう。もしそんなことが起こったら、狂気としかいいようがない」と。
しかし、本書の著者に言わせると、私たちの知っている算数・数学は、まるっきりこうした悪夢にほかならず、その点で今の社会は狂気に陥っているのです。上の文の「音楽や美術」を、算数・数学に置き換えて読んでみて下さい。それでもピンとこないとすれば、ある種の感覚がすでに破壊されている証です。
幸いにも音楽と美術は、音楽家と画家が見た悪夢のような状況にはなっていません。算数・数学を音楽や美術以上にアートであると信じる著者は、本書の中でその本来の魅力を取り戻すための具体的な方法を提示しています。この本を読めば、「狂気の授業」のせいで算数・数学嫌いになってしまった人、仕方なしにやっていた人も、きっと「今からでもやってみようか」と思うはずです(訳者がその生きた証拠です!)★。生徒・学生時代から好きだった人は、さらに好きになること請け合いです。
<訳者による本の紹介・おわり>

★ 算数・数学が大嫌いだったという人も、読める本です。(原稿の段階で、数人に確認してもらいましたから。)ほとんど「文学」として書いてあるといっても過言ではありません。それほど、読み応えがあります。

◆大事な付け足し
私は、これまでとは違う算数・数学の教え方を知って欲しくて、この本を訳しましたが、読んでいただけると納得して頂けますが、算数・数学に言えることは、すべての教科で同じように言えてしまいます。あらゆる教科と教えるという行為を見直すためにも、ぜひ読んでいただきたいです。

この本は、単なる知識の本ではありません。アクションの本です。読まれて、どのようなアクションを起こしたくなったか、ぜひ教えてください。

◆注文受付◆
1冊(書店およびネット価格)1836円のところ、
訳者経由だと1冊=1600円(送料・税込み)です。
5冊以上は、1冊あたり1500円(送料・税込み)です。
本は、4月8日発売です。(届くのは、それ以降になります。)
ご希望の方は、①冊数、②名前、③住所、④電話番号をpro.workshop@gmail.comにお知らせください。
お近くの図書館でリクエストを出して読んでいただくという手もありますので、ぜひ。

2016年3月27日日曜日

校内研修のあり方


これまでの校内研修の定番は、研究授業・授業研究という手法でしたし、今でも大半の学校はこのやり方を続けています。この手法は今後も初任者の教師には授業の基本的な進め方を学ぶという点では多少は必要かも知れない。しかし、その経験の浅い時期を過ぎた教師にはそれよりも「カリキュラム開発」がこれまで以上に求められるでしょう。

 
先月パートナーから紹介のあった『イギリス教育の未来を拓く小学校』(マンディ・スワン他 / 大修館書店 )で取り上げられている「限界なき学び」をテーマにしたイギリスでの研究では、校内に「専門領域チーム」を設置しています。このチームは校内のカリキュラムについての責任をもつ役割を担うものです。同書には次のような説明があります。

 
専門職の学びとは、取り組んでいるものの欠陥を明らかにして直すことではなく、子どもの学びに対する理解を深め、その新しい理解に基づいて実践を開発することです。★

このやり方は、学校で独自のカリキュラムを各教科等で開発していくという方向なので、時間もかかるし、手間もかかるものです。それでもこれをやっていくことが重要なのです。かつて中教審答申にも引用されたホワイトヘッドはその著書「教育の目的」のなかで次のように述べています。

 
理論的な諸概念は生徒のカリキュラムのなかで、つねに重要な応用例を見付けねばならないということでした。これを実行するのは容易なことではなく、きわめて困難な原則です。ですが、この原則には知識に生気を保たせ、不活発になることを防止するという問題が内在している訳で、これこそ教育全体の中心問題なのです。★★

 
各学校にはそれぞれ各教科等の年間指導計画が整備されています。各教師はそれを基にして日々の授業を実践しているわけですが、その授業には各教師の個性が反映されたり、それぞれの学級の児童生徒の実態に応じて修正が加えられたりするのは当然のことです。ホワイトヘッドの言葉を借りるならば、「知識に生気を保たせる」ことが授業の中核であり、そのために教師が学ぶことが最も重要であるということです。つまり、校内でカリキュラムをどうするかということを日常的に話し合い、検討し、学校独自のものを作り上げていくことが校内で最も優先されなければならないということになります。そうであれば、校内研修においてもこのことが最優先となるはずです。さきほどのイギリスの小学校のように、校内に「専門領域チーム」を置くかどうかは別にしても、年間の研修計画のなかにカリキュラム開発を位置付けて、時にはこれまでに取り組んだことのない、新しいカリキュラムを開発していくことも必要なのです。

 「知識に生気を保たせる」授業ができれば、子供の学習意欲の問題などは一気に解決です。要は、教師がすべて管理して授業の主導権を握るやり方から、子供たちにかなりの部分を任せ、子供たちとのパートナーシップの下に授業を促進するやり方への転換がまったなしに求められているということです。そして、そのためには子どもたちのそれまでの体験、興味・関心、学び方などが一人ひとりみな違うということを教師がしっかりと、今一度自覚することが出発点となるでしょう。

★マンディ・スワン他(新井浅浩他訳)『イギリス教育の未来を拓く小学校』大修館書店、45頁、2015
★★ホワイトヘッド(森口兼二他訳)『教育の目的』松籟社、

2016年3月20日日曜日

多様な教師のニーズに応える教員研修を!

いま、子どもたちの能力差というか、多様性に応じた教え方の本を訳しています。
この本は、2000年ごろに出版社数社に翻訳のアプローチを持ちかけましたが、まったく興味をもってもらえなかったので、時期が来るのを待つことにし、15年間も置いたままにしたものを、昨年の暮れにある出版社にアプローチしたところ、企画として通りました。(原書の第2版が2014年に出たので、いいタイミングでした。もちろん、訳しているのはこちら。)

その本の最後に、子どもたちの能力差/多様性に対応する教え方を求めるなら、まずは教員研修でそれをしない限りは無理、というのが出てきます。
まったくです!!
子どもたちのもっている「体験、レディネス、興味・関心、知能、学び方、学ぶ動機づけ、得られるサポート」などが一人ひとりみな違うのと同じように、教師たちのもっている「体験、レディネス、興味・関心、知能、学び方(や教え方のアプローチ)、学ぶ動機づけ、得られるサポート」なども一人ひとりみな違います。★

そういう状況であるにもかかわらず、(一つの方法で誰もが同じように成長するという幻想のもとに、)教員研修を実施し続けたところで、効果的であろうはずがありません。従って、圧倒的多数の教師は、研修を「時間の無駄」と捉えています。学べるものや活かせるものが極限的に少ないのです。★★そんな時間に呼び集められるなら、他により意味のあることを過ごせる時間をいくらでもあげられるのです。

でも、これは、子どもたちが日々の授業を受けながら考えていることと同じではないでしょうか?

ということで、まずは教員研修を改善するためのアイディアです。

1.まずはレディネスを重視する
 しっかり扱うテーマに関するレディネスを把握した上で、プログラムを練るのです。そうすることで、どういうグループがいいのかもわかります。講義などで新しい情報を得る必要がある人たちもいる一方で、知識や情報はもう知っているので、それについての具体的な導入の仕方について突っ込んだ話し合いをしたい人たちもいることでしょう。
 (授業で、子どもたちのレディネスを把握した上での進め方やグループ活動などがどれだけできているでしょうか?)

2.各参加者の興味関心を活かす
 研修のほとんどは「上」から降ろされる形で行われます(授業も同じです!!)。まずは、個々の教師が何を改善したいのかこそが大事ではないでしょうか? 自分が取り組みたいテーマに取り組めるなら、より積極になれる人がほとんどではないでしょうか? それは、子どもたちも同じです!!(でも、「授業では教科書をカバーしなければならない」という言い訳が必ず出てきますが、その前提はどこまでが真実でしょうか?)

3.すでに取り組んでいる人や理解している人に指導者役になってもらう
 講師役がすべてを取り仕切る必要などはまったくありません。参加者の中に「すでに取り組んでいる人や理解している人」がいたら、その人たちに指導者役になってもらった方が、誰にとってもいいことです。(同じことは、授業でも成り立つと思われますか?)

4.大切なのは研修の時ではなくて、その後
 すでに、このブログでも繰り返し触れてきたように、より大切なのはフォローアップ、フィードバック、継続的なサポートです
 1回の話を聞いたり、ワークショップに参加してできるようになる人など10人に一人いるかいないかです。そういうイベント的な研修を続けていることが「役に立たない研修」というレッテルを貼られる最大の要因です。(ということは、授業も同じ??)
 ぜひ、最初からフォローアップ、フィードバック、継続的なサポートを組み込んだ形の教員研修プログラムを計画してください。★★★それ以外は、時間の無駄なので。

 教員研修は、教師に成長してもらいたくて行われるものです。授業と学校をよりよくするために。それを実現するためには、そのやり方を変えない限りは無理です。プロセスを教師が楽しみ、そして学べるようにしない限りは。


★ 文科省や各教育センターが当たり前のように実施している「ライフ・ステージ研修」は、このことを認識できれば、いかにおかしなことを行っているかが明らかです。同じ年齢の先生たちだからニーズも同じ、ないし近いだろうという前提は、まったく成り立ちません。(これは、子どもたちの「学年」にも言えそうです!?)単なる、管理のしやすさに過ぎません!

★★ 教員研修を講義形式でやられようものなら、悲惨ですが、ワークショップなどの参加型でも結果はそう変わりません。その時は、参加しましたから印象はいいのですが、各教師たちのもっている「体験、レディネス、興味・関心、知能、学び方(や教え方のアプローチ)、学ぶ動機づけ、得られるサポート」などを無視して行われていることでは、変わりがないからです。

★★★ このために参考になるのは、『「学び」で組織は成長する』(光文社新書)です。


参考:The Differentiated Classroom: Responding to the Needs of All Learners, 2nd Edition, Carol Ann Tomlinson, ASCD, 2014年、(特に第10章)と、



2016年3月13日日曜日

成績をつけることの功罪

いま、1年間の成績を書くピークの時期ではないかと思って・・・考えました。

最初は、「成績をつけることの善し悪し」としましたが、そのレベルではないので「功罪」に変えました。(同じか??)

いったい、「功」(よい点やプラス面)として挙げられるものには、何があるでしょうか?
そして、「罪」(悪い点やマイナス面)は?

ぜひ、一人ブレスト★をして、その結果を吉田(pro.workshop@gmail.com)までお知らせください。

これは、「教科書をカバーする教え方の功罪」とコインの裏表の関係にあるかもしれません。
(その意味では「教科書があることの功罪」と設定した方がいいぐらいかもしれません。)
興味のある方は、ぜひこちらの方にも挑戦して、結果をお知らせください。

もちろん、成績を付け終わった後に、です。

これら2つは学校ないし教育の大きな柱になっていますから、これらをどう捉えるか、どう付き合うかを考えることは、他のことすべてに影響しますから、とても大切なことではないでしょうか?
(そして、それをしないことが、日本の学校=社会の学びの質と量を極めて低いレベルに押さえることにつながっていないでしょうか?)


★ 一人でブレーンストーミングをすること。つまり、頭に浮かんだものをすべてリストやマインドマップの形で書き出す方法です。



2016年3月6日日曜日

関係と誠実が鍵

バルセロナオリンピック野球日本代表監督(銅メダル)・山中正竹氏が、野球殿堂の特別表彰を受けたのを機会に、インタビューを受けていたのをラジオで聞きました。その中で山中さんが強調していたのは、選手たちとの間の「関係と誠実が鍵」ということでした。

まったく同じことが、校長にも、教師にも★言えるのではないでしょうか?

以下は、いま翻訳している『A Mathematician’s Lament(ある数学者の嘆き)』★★の46ページに書いてあることです。(太字は、原書にはありません。私が今回の内容に関連すると思ったところを分かりやすくするために太字にしました。そして、これも原書にはない斜体にも気づいてください。とても大切なことです。)

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 もし教えることが単なる情報の伝達になってしまったら、もし興奮とワクワク感がなかったら、もし教師自身が情報の受身的な受け手で、新しい考えの創出者ではなかったら、どんな期待を生徒たちにもつことができるでしょうか? もし教師にとって、分数を足すことが単なるルールに過ぎず、創造的な過程の結果でも、選択や期待の結果でもなかったら、その教師の生徒たちもまったく同じことを味わうことになるでしょう。
 教えることは、情報ではありません。それは、自分の生徒たちと誠実で理性的な関係をもつことです。それには、方法も、ツールも、トレーニングも必要ありません。ただ誠実であることが求められます。もし誠実になれないなら、素朴な子どもたちに何かをさせるような権利はありません。
 誰かに教え方を教えることはできません。教育学部の存在自体が完全なるまやかし★★★です。もちろん、幼児期の発達などについての授業を受けることはできますし、黒板の効果的な使い方や指導案の書き方のトレーニングを受けることもできます(ちなみに、指導案は事前に計画するものなので、見せ掛けであることを約束したものです)が、もし誠実な人間になれないなら、誠実な教師になることはできません教えるということは、心が開かれており、正直であること、そして興奮や向学心を共有できることを意味します。これらがなかったならば、世界中の教育の学位をもっていても助けにならず、もしあったならば、逆に学位は必要ありません。
 とても単純なのです。生徒たちは、宇宙人ではありません。彼らは、美しさとパターンに反応し、誰もが好奇心をもっています。話してみればいいのです。そしてより大事なのは、彼らが言うことに耳を傾けることです。

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以上を読まれて、どんな印象をもたれましたか?

教師がモデルで示せなくて、人間性など育めるはずがありませんから。
(もちろん、それは、教師たちがどう接せら/遇されているかの反映なわけですが。★)


★ もちろん、教育委員会や文科省の人たちにもです!
★★ 日本での出版時には、『算数・数学はアートだ!』になる予定です。
★★★ 誤った前提によって存在しているもの、という意味。