「問い」から出発した「探究力を育む理科授業」の次の段階は「発見ボックス」をどのように使うのかということです。『だれもが<科学者>になれる!』(新評論・2020年)で紹介された「発見ボックス」のことですが、これは理科の特定のテーマに関する素材が入っており、子どもたちは自由にその素材を使って、実験や観察ができるようになっているものです。
ここには、テーマに関連する科学読み物や記録をするための用紙が入ったフォルダーなども含まれています。ただ、入っていないのは「このような活動をやりなさい」という指示書です。教師の方は、この素材を利用すれば、こういう実験や観察が可能だという想定をしているわけですが、「これをこのような順番でこうしなさい」とは言わないわけです。つまり何をするのかは子どもたちの発想や考えに任されているわけです。ここが特に重要です。
料理本のレシピのように細かく手順を示されて、その通りの順番で「こなしていく」だけの実験・観察ではないのです。このような「準備」は、生徒たちが自身の力で自然現象などを探究していくために必要な力を養ってくれます。自動車教習所でたとえれば、いきなり路上教習に出ていくのではなく、教習所内を一人で運転できるだけの力をつけるわけです。このブログでも何度か紹介された「責任の移行モデル」が適用されているということです。
このモデルが充分に理解されていなかったために、今世紀初頭のわが国の「総合的な学習の時間」は頓挫しました。その経験もあり、現場の先生方の中には、こうした探究型の授業に懐疑的な方もいます。そこで、まず懐疑的な方々にはもう一度、理科の授業時間の構成を見直していただくとよいと思います。『だれもが<科学者>になれる』(新評論・2020年)の「p.75脚注」には次のように書かれています。
授業時間という限られた時間を、何をどのように費やすかは大事な選択となります。理科教育においては、教師が教える時間は十分に確保されていても、理科(科学)の根幹である、生徒たちが問いを立てたり、それをもとに自発的に探究したりする時間はごくわずかしかないのではないでしょうか。
特に最初の「授業時間という限られた時間を、何をどのように費やすかは大事な選択となります。」が重要です。したがって、指導計画が必要となります。無計画に行き当たりばったりでやっていては無駄な時間が必ず生まれてしまいます。最近の世界的な教育の潮流として、「authentic」(本物であること)が一つの特徴であることがあげられます。広辞苑によれば、「科学(science)」とは、「世界と現象の一部を対象領域とする、経験的に論証できる系統的な合理的認識。」として示されています。特に後半の「経験的に論証」が大切であり、そのために実験・観察が重要視されるわけです。本物であることが、学習者の意欲を掻き立てる要素であることは間違いありません。それを限られた授業時間の中で、どのように取り上げるのか、それを構想するだけでもワクワクしませんか。教師がワクワクしなければ、子どもたちもしらけたままです。
科学者の研究で重視されるものの一つに「記録」があります。かつてのスタップ細胞事件で、この実験記録がきちんと残されていなかったことが大きな問題になりました。「探究はノートに記録して、再現性を確認する」ことが重要なわけです。このあたりのことに興味がある方は、『科学的探究の喜び』(二井將光・ちくま学芸文庫・2023年)をお読みください。この本の帯には「疑問→研究→レポートへ」とあります。これぞまさに科学研究の王道ということです。最後のレポートについては、次回にふれたいと思います。
最後に、一つ小説を紹介します。
それは『宙わたる教室』(伊与原 新・文芸春秋社・2023年)です。東京にある都立高校定時制に集まった様々な境遇の生徒たちが「科学部」を結成して、「火星のクレーター」を再現する実験を始めるというストーリーです。科学の面白さを感じることができて、読後には前向きな気持ちにさせてくれる一冊と言えるでしょう。
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