春のらんまん。すべてが新しく、光り輝いて見える季節。
学校にとって、新しい一年が始まる時です。ついこの間、評価をつけるのに、憂鬱な気持ちを抱えていたのが、うそのようです。新学期を、桜の季節においている国は、世界では少数派のようです。圧倒的に9月新学期が多い。日本は、農家の米による収入が税収が中心で、農家が現金に換えてから納税して、そこから予算編成をしていると、1月には間に合わなかったので会計年度が、4月スタートになり、それに併せて学校の新学期も4月になったとのこと。★1
3月から4月の短い春休みの間に、日本の学校は一年間の計画を立てることになります。もちろん、前年度一年間の振り返りや総括のうえに積み上げていくので、この期間だけでやっているわけではありませんが、ゆったりと、そして、じっくりと構想を練る時間はあまりないというのが実感かもしれません。
そこで改めて考えさせられるのが、夢中になる学びと基礎学力の関係です。中高の先生方と教育に関するブッククラブをやっていて、たびたび話題にのぼるのがこの二項対立なのです。新しい考え方や新しい手法が紹介されると、みなさん関心をもちます。「すばらしい!」と感嘆する方も多い。
しかし、決まって出てくる発言は、「うちの生徒では無理。まずは、基礎学力をつけないと。」という一言なのです。これは、まさにマーサ・ラッシュが、『学びに熱中する教室 − すべての生徒に主体的で深い学びを』の中で指摘していることです:
「標準学力テストの結果、低学力の学校であると判定された場合、決まって採用される方法は、知識中心の学習方法をより厳密に推し進めることである。主体性を重視した、アクティブ・ラーニングの方法が採用されることはまずない。これは、一つの学校の中でも起きることだ。低学力層の生徒にのみ、講義とドリル中心の学習をさせるのだ。低学力の生徒には、高度な思考が求められる学習に移行する前に、「基礎学力」を身につけされる必要があるという考え方が根強くあるからに他ならない。」★2
高校時代、日本文学史が得意な友人が、「二葉亭四迷というペンネームは、自身を「くたばって仕舞めえ」と罵ったことによるといったことや、『小説総論』を発表し、写実主義小説『浮雲』は言文一致体で書かれ、日本の近代小説の開祖となった。」いった知識をひけらかしていたのを思い出します。彼の知識には、驚きましたが、彼はどの本も読んだことはなかったのです。
そういった知識のことを「基礎学力」と呼んでいることが多いのではないかと思います。
今は、刺激に満ちた学びの場は、日常の中にあふれています。YouTubeを見れば、日常生活で疑問に思うことは、ほぼ解決できます。家庭内におけるDIYやものづくり、調理、掃除洗濯、もちろん、学校で学ぶ様々な教科に関すること。あらゆることに関して、完璧な解答が、とても分かりやすく、魅力的な形で提示されます。昨年末に発表されたChatGPTなどのAIの進化も驚異的です。教員や学校の役割も変わらざるを得なくなると痛切に思わされます。
もうそろそろ、「夢中になれる学び vs 基礎学力」という二項対立を超えて、新しいフェーズに入らなければ、手遅れになる思います。今年は、もう一度そのことを真剣に考えながら、実践を続けていきたいと思っています。
★1 「世界の多くの国々では9月入学が主流!4月に入学する国は少数派」https://benesse.jp/kyouiku/201504/20150406-4.html
★2 マーサ・ラッシュ (2020) 『退屈な授業をぶっ飛ばせ!: 学びに熱中する教室』新評論, pp.25-26.
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