「教育は、与えられるものから、自分たちでつくり出すものという考えに向かって進んでいく必要がある」(ステファン・ダウンズ)『教育のプロが進めるイノベーション』第2章
近年教員採用試験の受験倍率が下がり、質の低下が指摘されているところですが、それに合わせたかのように教科書や教師用指導書が実に懇切丁寧になっています。教師用指導書には各時間の具体的な板書まで書かれています。これはまさに「与えられるもの」ですが、それに沿って授業をしていればいいという若手教員も少なくないようです。
先日、知り合いの小学校の副校長さんと話をする機会があったのですが、総合的な学習の時間はネット検索で簡単に調査活動を済ませて、それをサッとまとめて「はい、発表」というような授業が多いと嘆いていました。それを改善しようとアドバイスしてもその若手教員自身が総合のまともな授業を受けた経験がないので、具体的によい授業のイメージができないのだそうです。この「PLC便り」で取り上げられている本を手掛かりにして、ブッククラブをやったらどうかと提案してみましたが、それもなかなか厳しい状況のようです。
若手の強みは多少の失敗は許されるということです。もっといろいろなことにチャレンジしてほしいと思うのですが、「成長のマインドセット」をもった若手が少なくなっているように思います。私自身、30数年の教師歴のなかで、今から考えると本当に恥ずかしい失敗がたくさんありました。特に20代のころは、今の分類でいうと問題教員に入っていたかもしれません。組織人であるという自覚は全くありませんでしたし、自分のクラスのことしか考えていませんでした。
また、学級経営でも苦い思い出があります。当時、全国的に流行していた「集団づくり」を基調にした生徒指導法がありました。班会議や班長会議などを核として、生徒たちに民主主義を教えていこうというのがその基本的な考え方です。
私はこれこそ次代の子どもたちを育てていく最高の指導法だと思い込み、それに熱中しました。しかし、これは完全に私だけの思い込みで、生徒の実態や思いを全く考慮しないやり方でした。その結果、生徒の心を傷つけてしまったこともたくさんあっただろうと思います。その後、しばらく行政機関に出向する機会があり、学校を離れることで自分自身の実践を振り返ることができました。結果として、その後学校に戻り、生徒の願いや思いを大切にする指導法に転換しました。
「失敗する自由があるということは、イノベーションにとっては重要です。しかし、そのプロセスにおいてより重要なのは、回復力とやり抜く力です。」
(『教育のプロがすすめるイノベーション』第2章、37ページ)
失敗したあとに、そこから立ち上がる「回復力」と最後までやり通す「やり抜く力」が大切です。「回復力」とは、言い換えれば、「打たれ強い」ということでもあります。教師の仕事は思うようにいかないことがたくさんあります。そこであきらめずにまた立ち上がる力が必要になってきます。
そして、このクラスに必要なものは何か、この生徒に一番必要なものは何か、それを求め続けることです。その際に、今自分がやっていることはどのように生徒のために役立っているのか、あるいは役に立っていないのか、これを絶えずモニタリングしながら、チェックすることが求められます。
そうすることで、独善的な指導と距離を置くことができ、教師を続けていると陥りがちな「学校だけでしか通用しない論理」の罠にはまることもないと思います。
中学校で言えば、3年もやれば、その教科の指導法や校内分掌事務の仕事も覚えて、一通りのことはわかったような気になります。そこからまた謙虚に学び続けるのか、それともそのレベルで安住してしまうか、ここが教師としての分かれ道の一つのように思います。
ぜひ「与えられるもの」ではなく、自分たちでつくり出す教育を求め続けてほしいと切に願います。
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