2022年4月17日日曜日

learning, unlearning, and relearning

  教員養成大学で教えている教授から、以下のメールをもらったことが、上の三つのlearningについて考えるきっかけを与えてくれました。すでに、最初のlearningよりも、その後の二つのunlearningrelearningの方が重要な段階に入っているように思うからです。

私が日本の教育で脱却すべきは教科書中心主義だと思っています。教師自身がオリジナル教材をどんどん工夫すべきです。国際バカロレアをはじめ、海外では検定教科書がない分、教師自身が生涯学習者たり得ます。団塊の世代が抜けて、若手教師ばかりになり、しばらくは教科書を使ってしっかり授業できるようにはなってほしいです。が、3年目くらいからはオリジナル教材が作れるようになってほしいです」

あなたは上の文章を読んで、どのような感想・印象、疑問・質問をもたれましたか? ほんとうに、この教授が書いていることは実現するでしょうか? 実現させるために、養成課程ですべきことはなんでしょうか? 現職研修ですべきことは?★

 あなたは、養成課程や現職研修で、自分が生涯学習者になるためにどのようなサポートを受けましたか? 何を学ぶべきかの情報提供は結構あった/あるかもしれませんが、どう学ぶのかに関しては決定的に欠落しているのではないでしょうか? (この点は、最初に紹介した大学の教授の盲点にもなっています。「何を」(教科書を含めて「教材」)ばかりにこだわりすぎるのが日本の養成課程であり、授業であり、現職研修の特徴です! あたかも、教材以外に考えるものがないかのように。「どう」学ぶかの広がりがないので、アクティブ・ラーニングも、個別的な学びも協働的な学びも、20年前の「指導と評価の一体化」もいっこうに実現しない状態が続きます。これも、次に紹介する「unlearn, and relearn」の欠落に原因があります。

未来学者のアルビン・トフラーは大分前(確か、『未来の衝撃 : 激変する社会にどう対応するか 1970年の中で!?)に、「21世紀における無学な者とは、読み書きができない人ではなく、学べない人、間違って学んでしまったことを捨て去れる人、そして、学び直せる人である」と言いました。原語では、「learn, unlearn, and relearn」です。最初の、学べないというか、継続的に学び続けられない人であることは、すぐに納得できますが、後の二つは、世の中の変化が加速化するなかでは特に重要になります。そして、これら二つの大切さはわが国(特に、教育界)ではまだ認識されているとは言えません。

 これら三つの学び方を実現するための方法にはどんなものがあるでしょうか?

1.マインドセット(見方・考え方)を変える

 イギリスのある教育学者が、「すべての教師が、自分たちは教え方がよくないからではなく、さらによくなれるから改善し続けると思えるようになれば、私たちが達成できることに限界はない」と言っていました。

 今の世の中で「unlearning relearning」が求められているのは、教師だけではありません。多くの人が、これが当たり前の状況なりつつあるのです。生徒の場合は、とくに従来の教科書を覚えることでいい成績を上げていた者が、従来の教科書/教師中心の学び(正解あてっこゲーム)から、探究/プロジェクト学習やワークショップによる学び方にシフトすることによって、真の意味で「learn, unlearn, and relearn」することが求められます。そのためには当然、教師もその体験者である必要があります(というか、「learn, unlearn, and relearn」のサイクルを何度も回し続けている人であることが! もはや、教科書をカバーすることで教えているとは言えない時代です)。

2.以前ほど生徒を助けない(手を差し伸べない)

 教師としてのアイデンティティー(仕事)として、これまでは生徒たちを助け、答えを提供し、問題を解決してきましたが、それをすることで、自分たちが他の人から学べるチャンスを失うと同時に、他の人が学ぶ能力を身につけるのを奪ってきました。これまでのように救済するのを控え、自分の役割と採用する方法にもっと戦略的になる必要があります。

 私たちは、生徒の問いに対して「答えを分かりませんが、あなたと一緒にぜひ学びたいです」と言える勇気をもつ必要もあります。そして、自分が教えたり、話したりする時間を減らし、生徒の言うことに耳を傾ける時間を増やす必要があります。

3.たくさんの質問をする

 これは、従来の自分がすでに答えを知っている発問ではなく、自分も答えを知らない問いを発することを意味します。そのためには、自分の好奇心★★や想像性・創造性を活性化させる必要があります。(教科書をカバーする授業によって、それらはほとんど萎えてしまっている可能性が高いですから!)

 あなたが、「unlearning relearning(間違って学んでしまったことを捨て去ったり、学び直したり)」する重要性を認めたとして、何を捨て去ったり、学び直しが必要だと判断するにはどうしたらいいのでしょうか?

 

★ 最初から教科書なしで教えられるように、養成課程でしっかり体験していないとダメです!(それが言い過ぎなら、教科書を参考書程度に使いながら教えられるように、より楽しい、生徒たちがイキイキする授業ができるようにしないと、いったい教師になってから、どこで、それを体験して、そんな教え方自体があり得ることを知るのでしょうか?)体験するには時間がかかりますし、その体験を自分のものにしていくにはさらに時間とサポートが必要です。

★★ この好奇心を失ってしまってしまった集団としての教育に従事する人たちという側面が否定できません。教科書(あるいは、それに代わる何らかの「教材」)がすべてだと、正解を教える側はすでにもっていることになりますから、好奇心が満たされた状態というか、消えてしまった状態を意味します。教師が正解をもっていない状態でこそ、好奇心や想像性・創造性は発揮できるのです! これらを萎えさせず、維持し、活かすための最適の本が『「おさるのジョージ」を教室で実現 ~ 好奇心を呼び起こせ!』『教育のプロがすすめるイノベーション ~ 学校の学びが変わる』ですので、参考にしてください。

参考:https://www.edutopia.org/article/3-keys-evolving-lifelong-learner

 

2022年4月10日日曜日

親ともいっしょに保護者会をつくろう

前回、「先生同士で学年開きをやろう★」では、先生たち同士が気軽に話し合える関係性を築き、子どもたちをどんなふうに育てていきたいのか、願いを共有することから始めるために、新学期に向けた「先生同士の学年開き」を紹介しました。

 

PLC便り「先生同士で学年開きをやろう」

http://projectbetterschool.blogspot.com/2022/03/blog-post.html

 

今回は、その保護者編です。私たち教師が悩まされもすれば、励まされもするのが保護者との関係。子どもたちの教育に親が効果的にかかわることは、その場しのぎの教育改革よりも確実に変化をもたらす可能性を持っています。子どもたちを育てるために、一緒に支え合っていくのが学校と家庭。新年度に、その関係性づくりをしていきましょう。

 

膨大な学級事務と新学期準備に追われた4月の始め。そのままの勢いで保護者会に突入してはもったいないものです。子どもたちの成長へとつながるように年間を見通し、保護者と教師、保護者同士がどのように関係をつくれるか計画が必要です。

 

年度が進むにつれて、1学期はほぼ100%に近かった保護者会でも(PTAの役員決めがあるから!?)、年度が進むにつれて参加率は一気に下降し、ほんの数人の年度末。どうして参加人数が減っていくのでしょうか。単に保護者会がつまらない、または刺激を受ける場になっていないからではないでしょうか。配れば済む資料を読み上げること、学校で困っていることの報告事項など、そんな話を聞かされ続けてくれば、保護者会自体にわくわく期待するどころか、PTA役員の決める場程度しか認識されなくなり、それはとても残念なことです。

 

私の学校では保護者全員と一同に会するのは1学期に3回、2学期に2回、3学期に2回の計7回です。7回も一緒に活動ができる時間があるのです!年間を通して保護者の願いとコミュニケーションを深める練習のチャンスと捉えてみませんか? 一年間終わる頃には全員が仲良くとまではいきませんが、お互いを知り合い少し緊張がほどけて話し合える関係に進むものです。それが保護者との協働のベースとなり、日常の子どもへの関わりや学びの支えの授業の素地となっています。

 

1回目の保護者会は、PTA役員を決めたり、年間の学習計画を伝えたりやることも多く、じっくり時間をとることが難しいものですがやってみる価値はあります。ウォーミングアップに「4つの窓で自己紹介」(A4用紙を4つに折りにしたそれぞれの部屋に「子どもの頃呼ばれていた名前」「私のスキな○○」「我が子のいいところ、すごいところ」「今年、子どもたちに成長してほしいこと」)で4人ほどで一つずつ紹介し合い、話しやすい雰囲気をつくります。その後のPTA役員決めも毎回がスムーズとまではいきませんが、温かい雰囲気の中で進められていきます。そこで出てきた「子どもたちに成長してほしいこと」集めておいて、今度に話し合うテーマの一つとし、引き続き次回の保護者会からでも、子どもの成長のために親ができそうなことを考え合っていきます。

 

ここ数年、コロナでオンラインの開催となることが多かった保護者会ですが、社会状況に応じて柔軟に対応していきましょう。大まかな流れは毎年以下のようになっています。

 

 1回目「4月の保護者会」:顔合わせ、自己紹介、子どもたちへの願いづくり。

 2回目「6月の土曜参観」:保護者同士で課題解決のアクティビティで関係づくり「タマゴ星人救出大作戦~大火事編~★」、子どもたちへの願いの合意形成

3回目「7月の保護者会」:保護者からの願いを活かした、夏休みの関わり、できそうなことリストづくり

4回目「9月の保護者会」:夏のふりかえり、課題解決のアクティビティで関係づくり「パイプライン★★」


★★甲斐﨑 博史『クラス全員がひとつになる学級ゲーム&アクティビティ100』(ナツメ社)にある協力するアクティビティがオススメです。


 5回目「12月の保護者会」:冬休みの関わり方、傾聴練習、

 6回目「1月の保護者会:冬休みの様子、子どもたちの学習経験(自主学習ノートなど)

7回目「3月の保護者会」:親子で一緒に活動、そのふりかえりと一年間の願いと成長した点や課題点

 

もちろん毎回の保護者会では、学習の様子や生活の様子など子どものエピソードを踏まえて紹介しますが、必要な連絡事項も含め、あまり長すぎないようにします。PTA役員さんからは事前に伝えて欲しいことは書面にして教えてもらうとスムーズに進みます。

 

このように、保護者からの願いや親同士のコミュニケーションをねらいとしただけではなく、本質的な学び、親と教師が「読み・書き」を含めた多様なワークショップを毎月、組織する取り組みもあります。それらは親同士の一体感を強めるだけではなく、親自身の学びへの情熱を新鮮なものにしてくれます。ワークショップの学びで親と教師が学び会う学びの場をつくる実践は『ペアレントプロジェクト★★★』にその詳細が紹介されています。ぜひ参照してみてください。


★★★ジェイムズ ボパット(著)・ 吉田 新一郎他 (翻訳)『ペアレント・プロジェクト学校と家庭を結ぶ新たなアプローチ』(新評論)

 

私も、10年ほど前は保護者と読書ワークショップを月1回開催していました。みんなで同じ本を読んで感想を述べ合うブッククラブと読んだ本をブログで紹介しあうリレー方式の読書ブログに数年、取り組みました。


それまでは保護者対応に終われて見えなかった、子どもたちの成長の支えとなってくれる保護者との出会いがたくさんありました。その経験は今でも宝物です。新年度が始まります。保護者との協働をいかにつくるか、ぜひ取り組んでみてください。

 

親は、子どもにとって一番最初の先生であるばかりではなく、実践を通しての先生でもあり、生涯にわたって影響を与え続ける存在です。臆せず、つながっていけるといいです。

2022年4月3日日曜日

パートナーシップに根ざしたリーダーの時代

いつの時代にも、さまざまなタイプのリーダーがいた。権威主義的なリーダーもいたし、民主的なリーダーもいた。学校は、民間企業などに比べると、比較的フラットな社会であると言われており、そこでのリーダーシップのあり方は、まだ確立されたものはないようにも思える。

我が国の学校における、学校リーダーがリーダーシップを発揮しやすい環境を整えようとする動きはあった。2000年の「学校教育法施行規則」の一部改正による職員会議の法的位置付けが規定されるなどの法改正だ。

現状で、日本の学校リーダーは望ましい方向に変わってきているでしょうか?

今後の学校リーダーシップのあり方を考えるうえで、参考になりそうなのが「パートナーシップの原則(The Partnership Principle)」だ。この考え方を主唱しているジム・ナイトは、教育コーチングの研究者であり実践家だが、著書の中で次のように述べている:

「パートナーシップの原則は、実行するには難しさもある。なぜなら、それはリーダーに権力を放棄することを求めるからである。多くの人はそれを望まない。しかし、トップ・ダウン型のリーダーは、その地位によって権力を得てるに過ぎないが、パートナーシップ型のリーダーの権力にはより価値があると言える。なぜなら、人々が自ら望んで、そのリーダーを支持したいと考えるからだ。」(p.177)★ 

ナイト氏が提案する「パートナーシップの原則」は、次のとおりだ:

平等性: 全て人に同等の価値がある。
 
選択:自分自身で選択できることで主体性が生まれる。

声:相手の意見や感情を理解し、共有しようと努める。

対話:対話の中で、影響しあい、学び合う。

振り返り:より深い省察によって学ぶ。

実践:教室(実践の場)において最もよく学べる。

相互主義: 一方が他方を教えるのではなく、お互いに学び合う関係となる。

この原則は、学校コーチングが成功するための、不可欠な原則として提案されているが、学校リーダーが職場や地域で、良い人間関係を築き、学校づくりを進めるうえでも、参考となることが多いのではないだろうかと思う。

特定の価値観を、一方的に教え込むことに価値があった時代は終わった。トップダウンでものごとが、決まり、動いていけばすむほど、教育という営みは単純とも思えない。

学校に関わるすべての人が、パートナーとして、協働し合いながら歩んでいく。そういった新しいリーダーシップが求められる時代になっているのではないかと思う。

★ 出典をお知りになりたい方は、pro.workshop@gmail.comに連絡ください。

2022年3月26日土曜日

本を読む

 

もう3月も終わりとなり、4月からは新年度がスタートします。

 2月下旬のロシアによるウクライナ侵攻により、世界は混とんとした時代を迎えようとしています。コロナの状況にやっと出口の見え始めたときに、このような世界的な変化が起きるとはだれが予想していたでしょうか。

 古代ローマが舞台の漫画『テルマエ・ロマエ』で有名な漫画家ヤマザキマリさんの本に次のような一節がありました。(『国境のない生き方』小学館新書2015)

「こん棒でひたすら殴り合うみたいな戦争をいまだにやり続けているのは、なぜなのか。突き詰めて考えれば、これも想像力と寛容性がないからだと思うのです。

かつての革命家は、ほとんどが教養人であったというのがすごく象徴的な話だと思うのですが、たとえばキューバ革命の英雄チェ・ゲバラは、キューバを捨ててボリビアに行った時に、まずゲリラの人たちにゲーテの詩集を配ったんです。「まずこれを読め」と。

「本を読めよ。そこから始めようぜ」と。

~(途中略)~

私がキューバという国に対してものすごくシンパシーを感じているのもそこで、あの国の人たちはどんなに貧しくても非識字率ゼロですから。

どんな田舎のおじいさんだって、立派な筆記体の字を書けるし、読んでいる。平和を維持するには、人が自分の力で考え、判断していく力をつけることがものすごく大事なことだってわかっているんです。」

 私たちにできることは、まさにこの「自分の力で考え、判断していく力をつけることがものすごく大事なこと」であると信じ、そうした思いを多くの人たちと共有し、そのような力を身につけた子供たちを育てていくことではないでしょうか。

そのための手掛かりがここ「PLC便り」にあります。

 4月からは、高等学校において新教育課程がスタートします。

今月18日発売『世界史の考え方---シリーズ歴史総合を学ぶ①』(岩波新書)の帯には、次のように書かれていました。

「私たちが考えているのは、今、目の前にある「歴史総合」の教科書をいかに解釈するかではなく、教科書の向こうにある「問い」を見いだし、いかに深く掘り下げていくかです。たとえ、本書が提示した問いをそのとおりに考える授業ができなくても、本書を素材にして、教師が深い問いを持とうとする知的好奇心を高めれば、きっと授業は進化(深化)していくのではないかと私は考えています。」

この言葉は著者の一人である長野県蘇南高等学校の校長・小川幸司さんのものです。

そのような授業が国内において、一つでも多くの教室で展開されることを願いたいと思います。

この本を読んで、私自身も新教科である「歴史総合」をテーマに勉強を始めました。

たとえば、「明治維新とフランス革命の比較」「イギリスの産業革命と日本の産業革命の比較」「近世の定義」など。後日その報告をしたいと思います。

2022年3月20日日曜日

先生同士で「学年開き」をやろう

いよいよ学年末。私たち教師にとっては一年間の成果と達成感、そしていくばくかの反省とともに子どもたちとの別れを惜しむといったそんな季節。そして、来年度の人事も気になるところ。どの学年、どんな同僚と学年を組むのか、噂話を耳にしはじめる季節でもあります。今が一番、期待に燃え「来年こそは!」と思いを新たにできる時期ではないでしょうか。

 

しかし、新年度の学年主任がとても管理的で、「やりたいと思っていたワークショップ授業の実践にブレーキがかかりそう」「学年なんでもそろえないと怒られそう」「いっそのこと、こっそりやってしまおうか?」 と、不安は尽きません。しかし問題の多くは、コミュニケーション不足だったりします。事前のちょっとした確認不足が誤解を生んでしまい、せっかく思いをもってよく学び、取り組もうとしていることなのに、同僚に否定されてしまうことだってあります。

 

新しい学年が発表された時、お互いどんな教師なのかはまだ分かっていないことがほとんどです。まずは先生たち同士が、気軽に話し合える関係性を築くことから始めてみませんか。学年内の心理的負担を減らすためにも、学年の先生を理解し、そして理解され、学年の先生と一緒に取り組めるための協力関係を耕すことです。何より、わかってくれる人が身近にいることが実践を続ける中で一番の励みとなるはずです。

 

 

 

そこで、新学期に向けて「学年開き」をしかけてみましょう。子どもたちとではありません。まず、先生同士の学年開きからです。自分は何者なのか、学年として子どもたちをどんなふうに育てていきたいのか、そんな思いを共有することから始めましょう。始業式が始まる前までに、学年内で1時間ほど時間をつくり、お互いの自己紹介から始めます。新学期の準備期間は様々なやるべき事は多いのですが、その多くは学期が始まってからでも可能です。今、学年団に必要なことは、お互いを知り、わかり合うことです。

 

ウォーミングアップにおすすめのテーマは、「その担当する学年だった子どもの頃の自分」です。誰にもある若かりし頃。その当時を思い出し、自分を少しだけ開いてみる経験をしてみます。当時の自分がどんなことを考えていたり、どんなことを夢中だったのか、それをもとに今度、出会う子どもたちとは、どんなことを大事にしたいのか改めて考え直すきっかけをつくります。もちろん話したくないことは自己選択することを事前に確認しておきましょう。そういう安心感の中で対話をする文化をまずは学年内に築き上げていきます。

 

実際に小学校時代の思い出の一品を用意して話し合うと実に面白いものです。ベテランな先生ほど、「まさか○○先生がその漢字ドリルでそんなことをしていたなんて!」といった話題も出てきますし、また、それを聞くのも楽しいものです。秘密を共有するかのように自分を開き、オープンマインドで話し合うことで、お互いどんなことを大切にしている教師なのか少しずつ分かり合えるきっかけをつくっていきます。

 

ここには学年に関わる全ての先生、支援員といった、あらゆる人たちを巻き込むことです。その人たちは学年の願いを委託する人ではありません。一緒に子どもたちたちと学年をつくり上げていく人なのです。大人の声、一人ひとりの声を大切にしていく。こういったことがまず先生同士でやれることで、子どもたちへ民主的なモデルとしての一歩となるはずです。

 

ここで、注意したいことがあります。自分のやりたいことをエンジン全開と打ち明けてしまうと、よけい怪しまれます。まずは同僚の人となりを理解することからです。関係が築き始めてから、「相談」とう形で投げかけていけばいいのです。時には、否定される不安もあるかもしれませんが一方で、率直に伝えた方が、のびのびとやれるように助けてもらえることが多くあるはずです。関係性の浅いままで、同僚の知らないところで勝手に何かやっているから、不審がられるのです。

 

年度の初めにつくった共通の学年のテーマやめあては、目の前の子どもたちを見てつくられたものではありません。次に5月の学年会で、学年のテーマやめあてをメンテナンスしていく必要があります。大事にしていたことできたことやもう少しこうしたかったことなどを毎回、話題にしていくことです。学年の願いは、具体的な日常とつなげてこれを話し合わなければ前に進むことはできません。

 

新学期は大人であっても心理的に不安になる時です。そんな不安を受け止めてもらったり、今後、支えたり、支え合ったりするため、学年の先生と「一緒に話しませんか?」と声をかけることからはじめてみませんか。いつも怪訝な顔をしていた先生ほど、自分の話を聴いてもらうことで、その鎧がとけるかのように笑顔となるものです。先生同士の関係性のストレスから少しでも解放されるように、また自分が居心地良く働けるように、新学期できることはありそうです。

2022年3月13日日曜日

『もしもあなたがコロナに感染したら』 6年道徳

   213日(日)のPLC便りを拝読し、道徳で、コロナ感染に関する授業をしてみました。実施したクラスは、6年生の1クラス。普段は英語を担当しているクラスです。(私は学級担任ではありません。)

 元々、その時間は不在担任に代わり、「差別や偏見」をテーマに道徳の授業をすることになっていました。前々週、6年生にも陽性者が出ていたのでタイムリーな教材と判断して取り組んでみました。

 飛び入りの道徳。いつも担当している英語の授業では、あまり話し合ったり聴き合ったりという活動がなく、しかも1時間目だったので、子供たちは戸惑ったかもしれませんが、概要は以下のとおりとなりました。(T:教師 C:児童)

 

T「学校からのメールには、陽性者が出ましたと書かれるが、名前はでないよね。どうしてだと思いますか。」

C「いろいろ噂される。」「誹謗中傷が起こるからでは。」

T「今日は、『コロナの感染について考えよう』というテーマで道徳をします。」

 「もしも、あなたがコロナに感染したら、①周りの人にしてほしいことは何ですか。②反対にしてほしくないことは、何ですか。理由も教えてください。」

二つの問いが書かれたワークシートに自分の考えを書き、その後発表してもらいました。

ワークシートに記入しながら「これは差別につながる」とつぶやいている子もいました。

<あなたが感染したとき、してほしいこと>

C「友達には、近づかず離れておいてほしい。うつしたくないから。」

C「予防してほしい。自分のせいで感染してほしくないから。」

C「そっとしておいてほしい。感染理由や症状を聞かれるといやになるから。」

C「『大丈夫?』などの、優しい言葉をかけてほしい。不安だから安心できる。励ましになる。」

C「でも、あまりしつこく優しい言葉をかけられるのは、嫌だ。特別な感じがして変な感じがする。普通に休んだときと同じように、いつもどおり接してほしい。」

T「優しい言葉はかけてほしいけれど、コロナだからといって特別なのは嫌なんだね。」

<あなたが感染したとき、してほしくないこと>

C「差別をしてほしくない。」

C「感染した人がだれか、探さないでほしい。避けられたり差別につながる。」

C「感染理由を聞かないでほしい。自分はちゃんと予防している。感染するのは仕方のないこと。」

C「ウイルス扱いをやめてほしい。自分は人間だ。」

C「避けたり、仲間外れにされたりするのは嫌だ。差別されている。」

CSNSなどで、○○がコロナになったなどと拡散してほしくない。差別されそう。」

C「差別したいならすればいいけれど、自分が差別されても文句はいえないと言いたい。」

T「差別する人は、自分が差別される可能性が高くなるということかな。」

T「あなたは、自分が感染した後、学校に来なかった理由を聞かれたら、コロナに感染していたと答えますか。」

C「答える。軽く『ごめんな。』と言って、『俺、コロナに感染していた。でももう大丈夫。』と、普通に言う。だって、感染は悪いことをしたわけじゃない。」

C「私も答える。黙っていたら、隠し事をしたみたいになる。あとで分かったら、なんで言ってくれなかったの?と友達関係が悪くなるかもしれない。」

C「ぼくは言わない。やっぱり差別されるかもしれない。『あいつ、コロナだったらしい。』と言ってうわさが流されるかもしれない。

T「このクラスの中だけでも、感染したことを話す人と話したくない人がいます。コロナに感染したことで、差別されるのを恐れている人もいます。そういうことも考えて、今度は、周りの人になって考えましょう。コロナに感染した人があなたの周りにいたら、どういうことをすればいいと思いますか。どういうことはしない方がいいと思いますか。ワークシートに書きましょう。」

<コロナに感染した人に対して、自分がどうするか>

 授業の締めくくりとして、書いてもらいました。すべてが、「そっとしておく」「大丈夫?など、体調を気遣う言葉をかけるが、普段通りの態度にする」というものでした。

 

コロナ感染は、あくまで差別や偏見について考える手段の一つであると考えます。コロナ感染をとおして、差別や偏見がなぜ起こるのかを、もう少し子供たちと考えたいと思い、もう1時間、以下のことを考えてもらいました。

(1)コロナに感染した人に対する差別が、なぜ起きるのか。

(2)差別をなくすことはできないのか。

 

<コロナに感染した人に対する差別が、なぜ起きるのか>

T「あなたは、コロナに感染した人が差別された話を見たり聞いたりしたことがありますか。」・見聞きしたことある2名 ・見聞きしたことない23名。

C「高校生が仲間外れのいじめにあったニュース。」

T「差別が起きたことを知っている人は2人しかいないのに、みんな差別がおきるって考えている。おかしいね。なぜだろうね。そういうところも考えたいけれど、今日は、同じ伝染病のインフルエンザでも差別は起きないのに、どうしてコロナだと差別が起きるのか、そのことをについて意見を聞いてみたいと思います。なぜだと思いますか。」

C「恐怖心」

C「薬がない」

C「治らないかもしれない」

C「死者が出ている」

C「よくわからない病気」

C「感染したときどうしたらいいか分からない」

<差別をなくすことは、できないのか>

T「感染するのが怖い。だから排除、仲間外れにするという考えなのですね。ワクチンはあるけれど、100%感染予防できるわけではないし、完全に治る薬もないね。コロナ感染だけでなく、世の中に差別があるのを聞いたことはありますか。」

C「ある。障碍者の差別とか。」

T「差別って、なくすことはできないのでしょうか。」

C「できない。」「むずかしい」

C「できるけれど、時間がかかる。」

C「なくせるかどうか、分からない。」

T「なぜ?」

C「人間には悪い心がある。」

C「差別する人が、悪いことだと納得、理解するのに時間がかかる。説得するのに時間がかかる。」

C「世界は広い。いろんな人がいる。人が多いから説得するのに時間がかかる。」

C「心がよごれている。」

C「道徳を学んだらよい。よいこと悪いこと。」

T「よいことと悪いいことを判断することを『理性』といいます。」

C「でも、学んでも『きらい』とか、感情があるから無理だ。」

C「感情は無意識に出る。」

C「くせは、直しにくい。」

C「むりやりなおすべきだ。」

C「差別とかは集団でする。まず周りの人を説得して、中心の人を一人にする。一人だと差別はしにくい。」

T「あなたも、コロナに感染する可能性がある。ということは、差別されるかもしれない。差別されてもいい人は? いませんね。どうすれば差別がなくなるのかを考えることは、自分を差別から守ることにもなると思いますよ。」

 

 差別をなくすには、まず理性を育てること。次に感情に負けてしまわないようにすることを子供たちは指摘しているように見えました。

学校から配信されるメールには、(保護者スマホに、学校や市教委からメールを配信するシステムができています。)「誹謗中傷やプライバシーの保護には十分お気をつけください。」という決まり文句が書かれています。そのため、子供たちは「誹謗中傷」「プライバシー保護」という言葉は、知識としては知っています。

しかし、誹謗中傷とは実際にどんなことが発生したのか、プライバシーとはどういうことなのかは、実感としては分かっていないと思います。配信文を教材として読んでみる。いったい誰がどんなことを誹謗中傷するのか。「あなた」は、あるいは「あなたの家の人」は誹謗中傷やプライバシー保護に努めないのか。学校は保護者を疑っているのか。反対に知りたいこと(陽性者の名前)を知る権利はないのか。(憲法ともつながります)陽性者の名前を知ろうとする保護者は、だめなことをしているのか。配慮のない自分勝手な人なのか。

陽性者の匿名問題を扱ったとしても、いろんなことができそうな気がしてきました。

コロナ感染は、来年度も収まらないかもしれません。行事の中止と感染。その中から差別につながる事象が浮かぶかどうか、先ほどの陽性者匿名問題なども含め、自分に自己の生き方を突きつけられた状況になる学習が、道徳には必要だと感じました。

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 以上の実践報告を送ってくれたのは、S先生です。最初は1時間のみの記録でしたが、「もう1時間やれたらいいですね」という返信に対して、なんとかやりくりして2時間続きの実践になったので、(内容はともあれ?)紹介しないわけにはいかなくなりました。今の問題を扱う価値は、教科書教材をカバーするだけの授業よりも何倍もあると思いますから。

2022年3月6日日曜日

新刊紹介『感情と社会性を育む学び(SEL)』

 二人の紹介文を載せます。

 一人は、翻訳協力者の佐野先生ので、もう一人は、訳者の一人の大内さんのです。

 

  佐野先生の紹介文

あなたのクラスの生徒は安心して教室の席に着けているでしょうか? 苦しいときに誰かに助けを求めることができているでしょうか? 私たち大人は学習活動に注目するばかりに、生徒たちの感情を置き去りにしてはいないでしょうか? そして自分自身の感情も。

教師は生徒の幸せを願って、多くの学びの場を提供しますが、それらは往々にして認知(知識)的なものに偏りがちで、感情的なものが取り扱われることはほとんどありません。認知的思考も感情的ふるまいも同じ一人の人間のなかで起こっていることで、それぞれが大きく影響し合っていることは、私たち大人が毎日のように体感していることです。

生徒によりよく学んでほしいと心から願うのであれば、目に見える現象だけでなく、生徒の背景にあるものや心の状態を理解することが大切になります。生徒は自分が安心できる居場所が確認できたとき、周囲の大人との良好な関係性が築けたときに、自ら学ぼうとする健全な心(成長マインドセット)を養っていきます。

とは言え、日常の教育活動にどのようにして「感情と社会性の学び(SEL)」を取り入れることができるのでしょうか? また、SELの観点を学習活動に取り入れるとき、教師自身は自らの感情にどのように向き合っていけば良いのでしょうか? 本書では、あなたの教室で明日から使える具体的なアイディアと豊富な実践例が紹介されています。さらに、SELの効果について脳科学の見地から述べられており、SELを実践するうえで、その有効性について同僚や保護者への説得力を添えています。子どもたちの主体性を育むうえでプロジェクト学習や探究的な活動に魅力を感じ、授業に取り入れてはみるものの、自身の想い描くような授業にはならず、悩まれている方にとっても大きな気づきやヒントをもたらしてくれることでしょう。       協力者・佐野和之(かえつ有明中・高等学校)

 

  訳者の大内さんの紹介文

 本書のテーマ、Social Emotional Learning (SEL)は、日本語に訳すと、感情に向き合い対応する力であるEQ(感情知性)と、社会性に関わる力のSQ(社会的知性)を育てるための学びです。本書では、この感情と社会性の学びをSELと呼び、そのスキルをSQEQと呼びます。(「EQ」と「SQ」で検索すると、たくさんの関連図書を見つけることができます。)

 SELには、社会認識と人間関係の構築、維持、修復などの社会性(SQ)と、共感する力、自己認識、自己管理能力などからなる自分と他者の感情と向き合い対応していく力(EQ)を学ぶことが含まれます。これらの力は、学校を越えて、社会で必要な力、学び続けるために鍵となる力です。子どもたちにとっての社会である学校では、子どもたちが日々の生活を通じて、SQEQを鍛えていくことが必要です。学習レベルが異なるように、EQSQも一人ひとり異なります。EQSQを子どもの特性や性格と捉えるのではなく、学力と同じように、現時点での子どものEQSQをふり返り、目標を立て、それに向かって学べる環境をつくることが必要です。基礎的な認知能力である読み書きや計算がその後の学びに必要不可欠なように、EQSQも学ぶために必要な基礎的なスキルとみなし、その発達に取り組んでいくことが大切です。

 アメリカでは、SELは、この二〇年間で大きな広がりを見せ、実践や実証研究が進んでおり、SQEQは学びと人生において鍵となるものだと考えられています。SELの実践により、学力が平均11%向上することや、子どもの向社会的行動を促し、鬱やストレスを軽減すると指摘する研究もあります(参考文献45)。現在、CASEL: Collaborative for Academic, Social and Emotional LearningEASEL: The Ecological Approaches to Social Emotional Learningなどの団体をはじめとして、SELに関する研究、実践、政策提言を行う機関やプログラムは数え切れません。日々の学びにSELの視点が重視されている学校が増え、教員向けのSELのトレーニングも普及し、SELに関連する本も数多く出版されています。そのなかで、EQSQは働きかけ伸ばしていくスキルの一つとして捉えられ、客観的に目標と指標を立て、成長が評価されるようになってきています。課題の多い子どもには、個別やグループでの対応がされているところもあります。 (中略)

  本書の文章で印象に残っているのは、「生徒たちは、カバンと教科書だけを持って教室に来るわけではありません。生徒一人ひとりが精神的・感情的・身体的に異なる状態で登校しており、学ぶことに対する準備や意欲も異なっています」(76ページ)という文章です。

子どもたち一人ひとりの状態を知ることは、日々の業務に追われる先生方にとっては、多大な努力を要することと思います。しかし、本書にある具体的な実践方法は、数分でできる小さな方法が多岐にわたって紹介されています。最初から一度にたくさんの方法を取り入れようとはせずに、自分のクラスの生徒に合った方法を一つ、二つと見つけて試し、徐々に増やし続けてほしいと思います。 (中略)

 より多くの子どもたちの日々の学びに、SEL(感情と社会性に関する学び)が取り入れられていくことを願っています。 (以上、訳者まえがきより)

    大内さんは、現在The Right Question Instituteにて、問いづくりのトレーニングと問いを立てることが学びや行動に及ぼす効果についての理論的研究に携わっています。日米の教育にふれるなかで得た知見(特に、学ぶ力を伸ばす取り組み)について広げていきたいとのことです。

 

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