2025年1月19日日曜日

メンターメンティーチームの2学期のおわりに…

 1224日、私が勤めている地域では終業式。1224日はクリスマスということもあり、本校では納め会が昼となっている。夜はそれぞれの家庭やプライベートで…というスタンスではあるが、やはり同じ職場で2学期の間、共に過ごしてきた仲間たちと共に美味しい飲み物を酌み交わす時間は私にとって貴重だ。そんな中、突然個別で連絡が入り、何人か同じ思いをもっている仲間からの誘いを受け、店が指定された。非常に喜ばしいことだったが、そもそも誰が何人くるのかなど全く知らない状況だった。

仕事をすべて済ませ、一度家事をしに家に帰ったあと、お店に行ってみた。すると、4年次~初任までの、メンターメンティー研修(以下、メンメン研)経験者たちがずらり。もちろん、事情で来られなかった先生もいるが、多くの先生がいたことにまず驚いた。立場上(それを気にするのは悪しき習慣だと怒られると思うが…)自分からこういう席を設けることはよくないと思い、全く誘ってこなかったが、普段、お酒は大好きなので、素直に嬉しかった。

 別に深い意図はなく、話したい・飲みたいという話になったらしい。せっかく最後の日なのだからと。でもその日にまず、このメンバーで…となってくれたことが私にとって、ここまで学校内で取り組んできたことの一つの成果だと思う。そこにおまけで私もつけてくれたことには予想外だったが、せっかくだから、本音を聞きたいなぁと思い、色々尋ねてみた。

質問:このメンメン研から何か学んでいることはある?

 以下、様々なメンメン研のメンバーからの回答。

 ・ 自分が先輩としてもっとしっかりしなきゃいけないという自覚が芽生えた。

 ・ 下の(自分より若い)子たちどうなっているか気になるようになった。力になりたいと思った。

 ・ 横のつながり(同期)の言葉に助けられた面が多かった初任時代。その関係を横だけでなく、縦でもつことは大切だと考えている。

 ・ 学年が厳しかった分(厳しい主任や先輩と組んでいた)、助けてもらったり、話を聞いてもらったりする相手がほしかった。同期がいなくてどうしようと思ったが、それを違う学年の先輩や教務主任が親身に一緒にやってくれたことで救われた。

  ・ 今度は自分が!という気持ちが本当につよい。これからの後輩たちにもそういう思いで仕事をしてほしい。一緒に考えて、言いたいことは言い合いたい。

・ 1番はじめの初任者の研究授業が終わったあと、周りの先生方はみなさん褒めて下さって嬉しかったのに、最後に校内指導教諭である私との会話でたくさんの問いを投げかけられて、それにうまく応えられない自分がいて悔しかった。

  ・ その経験があったから、授業を組み立てたり、手立てを考えたりする時は自分から「なん

で?」「どうして?」「他には?」と問いかけながら作ったり考えたりするようにしている。最後の初任者研の研究授業のときに、問われたことにすべてスラスラと応えられている自分がいて本当に嬉しかったし、驚いた。(校内指導教諭からも)「自分の考えをもって、自問自答しながら、起きたことに対して次どうするか、どうすればよかったかを考えられている。これが1番の成長だね」と言われて嬉しかった。

  ・ 先日の研究授業(2年次研と学校課題研究の研究授業を兼ねて行った授業)でも、研究主任(以前話題に挙げた、初任者を詰める学年主任)に「こうするべきだよ ね」「これはこうだよね」と(授業前に)たくさん指導されたが、「○○だから、こうしたいです」「~ことを狙うので、これでやりたいです」と自分の思いもしっかり伝えられた。1年やってきてよかった。

  ・ 先輩方が本当に優しすぎる。常に声をかけてくれる。一緒に考えてくれる。一緒に動いてくれる。そんな環境でできることが嬉しい。何かあっても相談できる人、考えてくれる人がいれば、(今年初1年で、結構大変な学級)まだまだ乗り越えられると常に思えた。

ここまでコメントを挙げてきたメンメン研を共に過ごした教員たち。私自身が手探り状態で始めた時期に初任者だった者が、今やメンターとなってチームを引っ張る姿が見られるようになった。

また、学校事情や私が初めて教務主任という立場になった時期も重なって、とにかく優しくしてしまった初任者。その初任者が自分なりに考え、経験を引き継ぎたいという考えや組織づくりや同僚性への思いを強くして、メンターとしてメンティーと向き合っている。

そして昨年初任者だった先生は、私が試行錯誤した年なので、1番に「問い」に対する思いが出てきた。それを自分の仕事に活かしたりその後の事案に活かしたりできていることが分かった。加えて、組織づくりにも少し目が行き始めている。上に挙げた、先輩の先生方がメンターとなってチームを引っ張ってきたからこそ、メンティーが新たなメンターとなってチームをよりよくしたいという思いが芽生えたようだ。

  職場が働きやすい。悩みを共有できる。共に切磋琢磨できる。そういった職員室であれば、子どもを輝かせることも協働しながら行うことができるはず。大学院で組織マネジメントを学び、メンターメンティーチームという仕組みを知った私が抱いた思いが、今、目の前で形になってきたことを改めて実感した瞬間だった。このような体験を初任者や若手教員が次々としていき、その後自身の後輩教員たちへ引き継いでいくことができれば、私がいなくても学校の文化・風土として根付かせることができるはず。その実現に向けて、今日も職員とのコミュニケーションを大切に、メンターメンティーチームの行く末を全力でサポートしていきたい。

 以上は、8月18日、9月21日、10月6日、11月17日、12月15日、12月29日と続いている、埼玉で教務主任/初任者校内指導教諭をしている田所昂先生の第7弾です。

2025年1月12日日曜日

スピノザから考える、一人ひとりが自由になる教育とは

 この冬休み、スピノザの倫理学から多くを学びました★。読了後に感じたのは、この哲学が現代の教育を見直すための非常に効果的な視点を提供してくれることです。それは、一時的な対処法や表面的な知識にとどまらず、深い洞察と実践に基づいたものである点が印象的でした。今回、いくつかの書物から学んだ内容を皆さんと共有し、一緒に「より善い教育のあり方」について考えるきっかけにしてもらえたらと思います。

★特にオススメの本は國分功一郎『はじめてのスピノザ』(講談社現代新書)です。以前、NHKの「100分de名著」で語られた内容をさらに補説されたものでした。

 

スピノザは17世紀オランダの哲学者であり、倫理学の分野に重要な影響を与えた人物です。彼の主著『エチカ』は、「どのように生きるか」という問いを中心に、自己の生き方を探求するものです。スピノザは、一律に誰にでも当てはまりそうな道徳的な価値観を他者に押し付けるのではなく、一人ひとりとしての個人が主体的に自分の価値基準を見出すことを重視していました。

 

スピノザの哲学における重要なテーマの一つに、「善悪は固定的なものではなく、組み合わせによって決まる」という考えがあります。例えば、音楽はある人にとって心を癒す存在であっても、別の人にとっては騒音に感じられることがあります。同じ対象であっても、状況や相手によってその善悪は変化するのです。一人ひとりの生徒と向き合う際には、単に一律な方法で関わるのではなく、個別の状況に応じた対応が必要です。「今どのような課題に直面しているのか」「どこを目指しているのか」「そのためにどのような取り組みが可能か」といった視点から、それぞれの生徒に合った支援、カンファランスすることが求められます。これはまさに、スピノザが語る「組み合わせの重要性」を教育現場で実践することなのだと思います。

 

スピノザが説いた「コナトゥス」という概念があります。コナトゥス(conatus)とは、物や生物がその存在を維持しようとする力、あるいはその存在の本質そのものを指します。シマウマと競走馬はどちらも馬としての「形」を持っていますが、それぞれの「力」や特性は異なります。この視点から、個々の本質を理解するには、単なる形だけではなく、その活動能力や特有の力を考慮する必要があります。また、コナトゥスは欲望と密接に関係しています。私たちの本質は、外部からの刺激(変状:affectio)によって影響を受け、その結果として欲望が生じます。この欲望は単なる感情ではなく、私たちの本質の一部であり、行動を駆り立てる力そのものです。暑さという刺激に応じて汗をかくという反応は、身体がその状態を維持するための一つの表れです。

 

コナトゥスをうまく活用するには、自分の力の性質を知り、それを高めるための組み合わせを見つけることが重要です。農耕馬と競走馬の違いを理解することが示すように、ネガティブな刺激によって自分の状態が悪化しないよう、自分に合った環境や人間関係を見つけることが鍵となります。嫌なことを言われたとき、精神的に強い人はわずかな「変状」で済むのに対し、活動能力が低下している人は大きな影響を受ける可能性があります。こうした状況を乗り越えるには、生徒一人ひとりの特性を把握し、喜びをもたらす環境や行動を積極的に探す必要があります。

 

エソロジー(ethology)という学問分野は、コナトゥスを理解するための重要な視点を提供してくれます。これは動物や人間が特定の環境でどのように行動し生きているのかを具体的に観察する研究です。例えば、ファーブルの昆虫観察のように、生物の行動を環境との関係性から見ることは、個々の特性や力を把握する助けとなります。一方で、生物学的分類が形相に重きを置くのに対し、エソロジーは環境や習慣といった動的な要素に注目します。うまく生きるためには、自分自身のコナトゥスを深く理解し、ネガティブな影響を最小限に抑えつつ、ポジティブな刺激を受け入れられるような生活環境や行動を設計することが大切となるのです。

 

いよいよ本題であるスピノザのいう自由とは。スピノザの哲学において自由とは「与えられた条件のもとで力を最大限に発揮すること」と定義されます。一般的に、自由は束縛や制約がない状態を指すことが多いですが、スピノザは完全に制約がない状況は存在しないといいます。むしろ、与えられた条件、例えば身体の構造や生活環境といった必然性に従いながら、その中で力を発揮することこそが真の自由であると説きます。

 

魚が水中で自在に泳ぐことは、その身体的条件と環境に従った自由の表現です。人間もまた、自分に与えられた条件を理解し、それを最大限に活かすことによって自由になることができます。ただし、この自由は静的なものではなく、実践を通じて徐々に獲得されるものです。赤ちゃんが自分の身体の使い方を試行錯誤しながら学んでいくように、私たちも自分の必然性を理解しながら自由を追求していく必要があります。

一方で、自由の反対は「強制」です。強制とは、自分の本質が他者によって押し付けられたり、外部の力によって支配されたりする状態を指します。

自由を追求するには、自分の力(コナトゥス)を理解し、それを表現するための行動を積極的に模索する必要があります。自分の状況や環境を冷静に見つめ、エソロジー的な視点を持つことが重要です。自由は意志の力だけでは達成できず、試行錯誤と環境の調整が不可欠です。

スピノザの自由論では、私たちが学校教育において生徒一人ひとりがどのように環境に適応し、自らの力を活かすかを問い直す重要な示唆を与えてくれます。その思想は現代社会においても依然として有効であり、人間の可能性を追求するための指針となるものです。まさに、スピノザ哲学は、生徒一人ひとりの自由を探究していく思想なのです。

2025年1月5日日曜日

二項対立を超えて

世の中は「対立」であふれています。コーヒーはブラックかラテか?といった日常に関わる小さな対立から、民族や国家の血みどろの対立まで様々です。私たちは、それらを、回避、強制、受容、妥協、対話、協調といった知恵とアイデアで、乗りきろうと努力してきました。スムーズに解決する場合もあれば、長年にわたる遺恨を残す場合もあります。

イノベーションが起こる時は、常に古いものとの対立があります。私の好きな言葉に、「悲観主義者はいつも正しい。楽観主義者はいつも間違いを犯す。しかし、すべての偉大な変革は楽観主義者が成し遂げてきた」★1 というものがあります。学校という場所は、子どもたちの未来を預かっているという点で、慎重にならざるを得ないとは思いますが、イノベーションが起こりにくい場所です。

21世紀に入って25年目に突入しましたが、今、日本の教育はターニング・ポイントにあると思います。

「中央教育審議会「令和の日本型学校教育」の構築を目指して(答申)」★2 の中に、いくつかの対立する考え方が提示されています。教育においても、ビジネスなど、他の多くの事柄でも、つねに二項対立はあるものですが、学校教育における二項対立の例として、示されているものは、次の4つです。

一斉授業 or 個別学習
デジタル or アナログ
履修主義 or 修得主義 ★3
遠隔・オンライン or 対面・オフライン

一斉授業と個別学習の二項対立などは、日本の学校教育を根本から変えうる大きな問題でしょう。個人内の評価や「個」に注目した考え方は従来からありましたが、それらも一斉授業の範疇の考え方でした。一斉授業から「はみ出てしまう」あるいは「ついていけない」子どもたちへの手立てといった意味合いが強くあった。一方で、学習の個別化は、まったく違う考え方です。我が国で、かなり早い時期に学習の個別化を取り上げた翻訳書『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』★4 には、「たった一つの授業プランですべての生徒が効果的に授業ができるというのはまったくの幻想です(p.19)」とあります。

いずれも、しっかりとした議論が必要な項目ばかりですが、学校の教室の様子が根本的に変わる可能性を秘めたものばかりと言えそうです。

この答申では、これらの対立する考え方への対応の方向性として、「二項対立の陥穽」★5 に陥らないようにすべきとの考え方が示されています。要するに、どちらの良さも適切に組み合わせて生かしていくことが重要であると主張しているのです。

二項対立を超えて、ベスト・ミックスを探していこうというのは、至極真っ当な主張だと思います。一方で、多様化する学校・社会において、単一の価値観や方法論で、ものごとを解決していくことは難しくなっていると感じます。

どうやって、このような二項対立を超えて、新しい教育を創っていくか、我々が試される時が来ているのでしょう。

今年も、教育のこと、学校のことをご一緒に考えていきたいと思います。よろしくお願いします。



★1 “Pessimists are usually right and optimists are usually wrong but all the great changes have been accomplished by optimists.” ― Thomas L. Friedman(American Journalist, 1953- )

★2  中央教育審議会「「令和の日本型学校教育」の構築を目指して(答申)総論解説資料 https://www.mext.go.jp/content/20210329-mxt_syoto02-000012321_1.pdf 2021/03/30

★3  履修主義は、一定期間在学し授業を受ければ自動的に進級進学するという考え方。何を、どの程度身につけたかは重要な判断基準とはなりません。一方、修得主義は所定の課程を履修し、目標を実現できているかどうかが求められます。高校、大学などはこれにあたります。

★4  キャロル・アン トムリンソン (著), 吉田 新一郎他 (翻訳) (2017)『ようこそ,一人ひとりをいかす教室へ: 「違い」を力に変える学び方・教え方 』北大路書房.

★5  読みは「かんせい」、「おとしあな、わな」といった意味のようです。なかなか目にすることない言葉です。なんで「罠」と簡単に言わないんだろう?という素朴な疑問がわかないでもありません。