2025年1月5日日曜日

二項対立を超えて

世の中は「対立」であふれています。コーヒーはブラックかラテか?といった日常に関わる小さな対立から、民族や国家の血みどろの対立まで様々です。私たちは、それらを、回避、強制、受容、妥協、対話、協調といった知恵とアイデアで、乗りきろうと努力してきました。スムーズに解決する場合もあれば、長年にわたる遺恨を残す場合もあります。

イノベーションが起こる時は、常に古いものとの対立があります。私の好きな言葉に、「悲観主義者はいつも正しい。楽観主義者はいつも間違いを犯す。しかし、すべての偉大な変革は楽観主義者が成し遂げてきた」★1 というものがあります。学校という場所は、子どもたちの未来を預かっているという点で、慎重にならざるを得ないとは思いますが、イノベーションが起こりにくい場所です。

21世紀に入って25年目に突入しましたが、今、日本の教育はターニング・ポイントにあると思います。

「中央教育審議会「令和の日本型学校教育」の構築を目指して(答申)」★2 の中に、いくつかの対立する考え方が提示されています。教育においても、ビジネスなど、他の多くの事柄でも、つねに二項対立はあるものですが、学校教育における二項対立の例として、示されているものは、次の4つです。

一斉授業 or 個別学習
デジタル or アナログ
履修主義 or 修得主義 ★3
遠隔・オンライン or 対面・オフライン

一斉授業と個別学習の二項対立などは、日本の学校教育を根本から変えうる大きな問題でしょう。個人内の評価や「個」に注目した考え方は従来からありましたが、それらも一斉授業の範疇の考え方でした。一斉授業から「はみ出てしまう」あるいは「ついていけない」子どもたちへの手立てといった意味合いが強くあった。一方で、学習の個別化は、まったく違う考え方です。我が国で、かなり早い時期に学習の個別化を取り上げた翻訳書『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』★4 には、「たった一つの授業プランですべての生徒が効果的に授業ができるというのはまったくの幻想です(p.19)」とあります。

いずれも、しっかりとした議論が必要な項目ばかりですが、学校の教室の様子が根本的に変わる可能性を秘めたものばかりと言えそうです。

この答申では、これらの対立する考え方への対応の方向性として、「二項対立の陥穽」★5 に陥らないようにすべきとの考え方が示されています。要するに、どちらの良さも適切に組み合わせて生かしていくことが重要であると主張しているのです。

二項対立を超えて、ベスト・ミックスを探していこうというのは、至極真っ当な主張だと思います。一方で、多様化する学校・社会において、単一の価値観や方法論で、ものごとを解決していくことは難しくなっていると感じます。

どうやって、このような二項対立を超えて、新しい教育を創っていくか、我々が試される時が来ているのでしょう。

今年も、教育のこと、学校のことをご一緒に考えていきたいと思います。よろしくお願いします。



★1 “Pessimists are usually right and optimists are usually wrong but all the great changes have been accomplished by optimists.” ― Thomas L. Friedman(American Journalist, 1953- )

★2  中央教育審議会「「令和の日本型学校教育」の構築を目指して(答申)総論解説資料 https://www.mext.go.jp/content/20210329-mxt_syoto02-000012321_1.pdf 2021/03/30

★3  履修主義は、一定期間在学し授業を受ければ自動的に進級進学するという考え方。何を、どの程度身につけたかは重要な判断基準とはなりません。一方、修得主義は所定の課程を履修し、目標を実現できているかどうかが求められます。高校、大学などはこれにあたります。

★4  キャロル・アン トムリンソン (著), 吉田 新一郎他 (翻訳) (2017)『ようこそ,一人ひとりをいかす教室へ: 「違い」を力に変える学び方・教え方 』北大路書房.

★5  読みは「かんせい」、「おとしあな、わな」といった意味のようです。なかなか目にすることない言葉です。なんで「罠」と簡単に言わないんだろう?という素朴な疑問がわかないでもありません。

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