2023年2月12日日曜日

ナンシー・アトウェルから学ぶ「段階評価」よりも「丸ごとの評価」

 前回は、ナンシー・アトウェルの実践をもとに学習者の自己評価における重要性についてふれました。アトウェルは各学期末に行う質問用紙「自己評価用紙」を使って、自己評価を総括的な評価に活用しています。

 

PLC便り『イン・ザ・ミドル』から学ぶ 学期末に向けた自己評価

 http://projectbetterschool.blogspot.com/2023/01/blog-post_08.html


 

『イン・ザ・ミドル』から、今回は「教師からの評価」について考えていきます。

 




私は1つひとつの作品に成績をつけることはしません。同書P.330

 

例えば、アトウェルは、 ライティング・ワークショップ(日本における「作家の時間」実践)においては まず生徒の自己評価を読みます。それから、生徒がするのと同じように、評価の根拠になるものを以下の資料を見てふるい分けていきます。

 

完成作品ファイル、批評家ノート、簡単な説明書きを加えたポートフォリオ(自分で選ぶ一番良いレター・エッセイ、筆記記録と読書記録、自分のメモ付きの一番良い詩、校正項目リスト、役に立ったミニレッスンの情報)、 毎回授業で使う今日の予定表とチェックイン表などなど。これらすべてのデータに基づいて、 学習者の読み書きについて、まずメモ書きをしてから、生徒の成長記録を書くというわけです。

 

そのあらゆる場面で、生徒は書き手として成長しています。一つの作品で、生徒の能力を正確に測ることなど不可能です。ある作品は、生徒の成長過程にある段階を示しているに過ぎません。しかも、新しい技巧、形式、ジャンルに取り組むのは、どの年代の書き手にも負担が大きく、いつも前進できるとは限りません。同書P.330

つまり、学習者の成長には、一直線ではいかずに、なかなか時間のかかるものなのです。

 

ここにアトウェルの評価観は、学習者を総合体として丸ごとみようとする重要さを示しています。このあたりの感覚は日々「個別最適」に翻弄されてしまう私たちとって、学ぶことが多くあることでしょう。

 

パーソナリティー心理学においては、学習者を各要素に分けたその総和として「個」を理解する「特性論的アプローチ」の限界がすでに指摘されてきました。(Argyris1957) 現行における個別に評価される観点別評価は、一人ひとりを要素にわけて「できる/できない」といった視点で捉えると一見、合理的のように見えます。しかし、学習者を一人ひとり、かけがえのない唯一無二のユニークな存在としてみることができません。トータルな総合体としてまるごと捉えることこそがより重要な実践的課題となっています。

 

この段階別の成績を出さざるを得ない状況においても、学習者の目標設定をもとに評価を決めようとアトウェルは既に対応していました。

 

教師が評価をするのではなく、読み手、書き手としての自分で設定した目標の進捗状況を土台にすることで、この問題を解決しました。各自で立てた目標達成していればA。着実に学び、一定のレベルを超えていたらB、 水準レベルで可もなく不可もなければC、目標に遠く及ばず取り組み不足のせいとはD、になりました。同書P.340

 

ここにおいても生徒の自己評価をベースにして、教師からの評価をしている点が特徴的です。これは、通知表の文言をさがすためのあらかじめ生徒にとる事前アンケートとは全く意味が異なります。

 

意味のある評価は、自分の学習成果への見方、先生からの見方が一致すること、結果、それが信頼性となります。こういった評価を工夫することで、評価が誰の物かが明確になるはずです。

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