年度末になると「評価」が始まる。私はこの時期あまりハッピーではない。というか、いつも悩み続けているといった方がいい。
不合格をつけるときは、本当にそれまでに十分に声がけや励ましをしたのか、学習のプロセスは適切だったか、さまざまなことに思いを巡らせ、難しい決断をします。良い成績を残している学生たちに対しても同様です。十分に学びがいのある内容であったか、それによって、気づきや成長をもたらすことができたのかといったことは、とても気になります。それを、5段階(私のところは、AA,A,B,C,Fです)の単純な記号や数値に置き換えて示す。実に難しいと思うし、納得のできない思いが残り続けます。
各学校が、一年間の教育実践を評価(自己評価)し始めるのもこの時期です。私は、職場のある町の小学校のコミニティースクール運営指導委員会の委員をしていて、先日は学校が一年間の取り組みを自己評価し、それに対して運営指導委員会が意見を述べるという会合がありました。この日、学校が示した自己評価は、S,A,B,CのうちすべてがB。日頃から学校の様子を見ている委員からも、「そんなに低いはずがないだろう」との意見がでました。学校の見解を正したところ、「この程度の目標は、100%達成されて当然である」と頑なに主張する人がいて、達成度が80-90%を超えているものも、ことごとく低評価になっていたというのです。当然のことながら、委員からは「達成可能なゴール設定をすることが大切ではないか」との意見が出されました。
研究指定校なども年度末の実践を評価します。私のかかわってきた学校では、実践研究の客観性を高めたいとの思いが強すぎて、数量的データを多用しすぎる事例もありました。数値的、量的な評価にのみ依存してしまうと、授業の中で測定しやすいデータのみを取り出そうとするなど、単純化、断片化した結果分析に陥る危険性もあります。
教育というのは、とても複雑で、雑多な営みです。そして、人間的営みであるとも言えます。数量的データに加えて、教員による観察やひらめきが必要だったりすることもあるはずです。
評価のためのデータ収集の方法も多様化すべきです。いくつか事例を紹介しておきたいと思います。★1
1 授業記録(フィールドノート)
2 授業記録のグラフ化(タイムログ)
3 観察ノート(生徒の発言の回数を記録するなどテーマを設定して)
4 日誌や感想文(ジャーナルとも呼ぶ)
5 ビデオによる撮影
6 転写(トランスクリプション、授業内の発言を文字で書き起こしたもの)
7 写真や絵
8 言葉による収集(アンケート、インタビュー、生徒の事故報告、生徒の作品など)
また、一つの数値や記号による評価に、様々な要因を入れ込むことへの対応策として、「三つのP」を使ってはどうかという提案は、実に示唆に富んでいます。★2
三つのPとは次のようなものです。
Performance / Product(パフォーマンスないし成果物):学習目標としての知識・理解・スキルに対する生徒の状況
Process(プロセス):困難な時にどのようにやり通せるか、改善するのにどうフィードバックを生かしているか、必要に応じて確認の質問ができるかなど
Progress(成長):成績表をする期間における学習目標としての知識・理解・スキルにおける生徒の成長
この3つのPを平均して成績を出すのではなく、それぞれが別々に報告され、それぞれが何を表しているのか明確な指標と一緒に提示されるとしています。
評価は、懲罰のためにするものではないはずです。生徒や学校が成長するために、本当に必要な評価とはどのようなものか、これからも考え続けていきたいものです。
★1 佐野正之(2000)『アクション・リサーチのすすめ』大修館書店, pp. 61-85.
★2 C.トムリンソン&T.ムーン(2018) 『一人ひとりをいかす評価: 学び方・教え方を問い直す』北大路書房, pp. 193-196.
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