2018年4月28日土曜日

『言葉を選ぶ、授業がかわる ! 』を読む


先々週のこのブログで『言葉を選ぶ、授業がかわる ! 』が取り上げられました。
その本に対する井久保先生の「読書記録」が掲載されており、そこに次のような文がありました。
     『「明確に指導するだけで指導はもっとよくなる」という思い込みは、言葉を話すという事を「情報や知識を味気なくパッケージ化して運ぶ単なるシステム」とみなしています。ですが、このような考え方はまちがっています。社会的な交流の中で、言葉を話すということには、それ以上の働きが含まれています。たとえば、人に何か話すということには、目に見えない犠牲を払っているということでもあります。なぜなら、子ども自身で理解できるにもかかわらず教師が教えてしまえば、その子の主体性や自立心の感覚を形成する機会を奪ってしまうからです。』
 

教師が子供に知識を伝達することが授業の基本だと考える限り、子ども自身の育ちを教師自らが阻害していることになります。この従来からの授業観を変えることがどの教師にも求められています。古来より、優れた師とよばれる人たちはその後に続く者たちに、自らの力で自立していくことができるように必要以上のことは教えませんでした。
     ところが、近代的な教育システムのなかで、効率性を追求する過程では、教師が必要なことをほとんどすべて伝えてしまうことが中心でした。しかし、今や真似する対象がない分野において、創造性を発揮することに経済的な活路を見出していくことが求められている現代の先進諸国にあって、「子供は教えを受ける存在」から「子供は自ら学ぶ存在」へと転換することが喫緊の課題です。
 

また、この本の中には教師の言葉の使い方が子供たちの学習意欲や内容にまで影響を与えていることが具体的な事例を通して語られています。授業中に教師の意図した学習に取り組むことができない生徒に対しては、教師はどうしても否定的な言辞を弄したくなります。その否定的なサインが積み重なれば、その生徒は学ぶ意欲を失うことになるでしょうし、授業自体もその魅力を失うでしょう。しばらく前に佐藤学さんが「学びからの逃走」を指摘しましたが、今やその学びからの逃走は不登校児童生徒数などの増加にも顕著に表れています。




日頃から、言葉を通して児童生徒とともに学んでいるはずの教師ですら、言葉の大切さを忘れることもあると思います。しかし、「言葉は魂の糧となる」という先人の言葉もあるくらいですから、人の行動を変えたり、心の底から感動させたりするのも言葉の力だと思います。いくらネットが進化して、ネットのビデオ授業で多くのことが学べるようになったとしても、対面のリアルな授業における言葉の力には勝てないでしょう。教室における教師の言葉はまさに体を通して教師の存在そのものから発せられたものだからです。


年度当初にあたり、多くの先生方にこの本を手に取っていただき、言葉の大切さについてもう一度確認する機会になるとよいと思います。そのことによって、「言葉」を選ぶことが授業を変えることにつながることを多くのみなさんに実感していただけると確信します。
 



 

 

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