令和4年度からの高等学校での学習指導要領改訂のなかで、国語科に大きな変更がありました。それまでの国語が文学作品の読み取りに偏りすぎていたという声を受けて、「実社会で使われるような文章を読ませるべき」という考え方に基づいて、必修の「現代の国語」のほかに、選択教科として「論理国語」「文学国語」が設けられることになりました。
(それ以外に、従来の古文の内容も含む「言語文化」が必修科目で、選択科目として「国語表現」「古典探究」が設置されました。「国語表現」は、「実社会において必要となる、他者との多様な関わりの中で伝え合う資質・能力の育
成を重視して新設」(学習指導要領解説編)され、「古典探究」は「ジャンルとしての古典を学習対象とし、古典を主体的に読み深めることを通して伝統と文化の基盤としての古典の重要性を理解」するという科目構成になっています。)
この「論理国語」の学習指導要領の解説にある文を取り上げて、分析している本があります。それが『文章は「形」から読む』(阿部公彦・集英社新書・2024年)です。
そのなかに面白い一文があります。それは「論理国語」の学習指導要領における解説です。
共通必履修科目により育成された資質・能力を基盤とし、主として「思考力・判断力・表現力等」の創造的・論率的思考の側面の力を育成する科目として、実社会において必要となる、論理的に書いたり批判的に読んだりする資質・能力の育成を重視して新設した選択科目である。
この文章は一見すると色が特についていなくて、明晰そうな感じがします。それを先ほどの『文章は「形」から読む』の著者・阿部さんは文章の形に注目して、次のような特徴を指摘しています。(同書24ページ)
・内容が列挙的もしくは箇条書き的にならべられている。
・説明するために立ち止まったり、詳細を差し挟んだりせず、一本調子に文章が進んでいく。
・文言の重複がある(ただし、何のための重複なのかははっきりしない)。
そして、さらに次のように続けています。(同書25ページ)
なぜこの文章はこのような「形」をとっているのでしょう。また、結果としてそこからどのような効果が生まれるのでしょう。
そこで、頭に入れておきたいのは、この文言の背後にさまざまな会議での討議や、行政的な手続きなどがあり、その「まとめ」としてこうした一節が書かれているということです。実際、こうした列挙をされると、含みとしては「こうした文言ができあがるまでには、一言では示せないが、さまざまな思慮と狙いがあったのだ。それをなるべく網羅的に言えば、こんな感じなのだ」という姿勢がありそうです。
要するに、学校現場の先生方に、「確かにこの科目につついては、もれなく言ったからな」という姿勢であり、「みなさんの意見を聞く気はない。後はここに書かれているねらいに沿って頑張りなさい」と宣言しているようなものです。阿部さんの言葉を借りれば、
「君臨し、規定し、従属を命ずる構えが見え隠れする」(同書26ページ)ということです。
また、先ほどの特徴として挙げた3点のうちの一つである「文言の重複」に注目し、阿部さんは次のように指摘しています。(同書33ページ)
この短い一節の中に、「資質」「論理」「思考」といったことばが繰り返されている。作成者は、これらが今回の学習指導要領の中で鍵となる重要な理念だから、何度も繰り返すことで強調しようと思ったのでしょうか。しかし、これでは逆効果。文章とは不思議なもので、無駄にことばを重ねるとかえって読み手は注意を払わなくなってしまう。ことばは重ねれば重ねるほど力を失い、意味が希薄になっていくことが多いのです。
つまり、学習指導要領の文章ですら「形」に注目することでいろいろなことが見えてくるわけです。ましてや「実社会で必要となる文章」をきちんと読むためにも、文学作品も含めたさまざまな文章を読むことが大切だということです。「論理国語」を解説するための文章が読み手に伝わらない文章になっていたというのは笑えない話だと思います。そうなると、「論理国語」と「文学国語」という区分け自体が果たして正しいことなのかと疑問になってきます。
「国語の時間に文学作品を扱うのはもういい。実社会に役立つ契約書やマニュアルの読み方をしっかり勉強させろ」という産業界からの要請がこうした科目の新設の背景にあるとすれば、「この国の国語教育は危うい」と言わざるを得ません。
相変わらず、「読むこと」と「書くこと」を別物としてとらえる考え方からも抜け出せずにいます。周回遅れのやり方にしがみつくのは、国語ばかりではありませんが、それを吹き飛ばすような大胆な実践を期待したいものです。
最後に『文章は「形」から読む』からもう一つ紹介します。
第4章「断片を読む」では、ニュース記事の見出し、メモ、注釈などを「断片」として扱っているのですが、その特徴のまとめとしてあげた中に次の一文があります。(119ページ)
・情報は短く断片的であるだけで、注目に値するものであると感じられることがある。ことばは、多くを語らないことでこそ、むしろ多くを語る。
この文に接したときに、じっくりと噛みしめたいものだと思いました。私たちは文章を書くときに、「伝えよう」という気持ちから、ついあれもこれもと詰め込みたくなりますが、それは逆効果だということです。この本の帯にもありますが、これは「画期的な日本語読本」の一冊であることは間違いありません。
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