2023年9月3日日曜日

「無邪気なクラス」をめざして ―『みんな羽ばたいて』の紹介

はじめに

 この記事では、私が翻訳に携わった、アメリカの教育者キャロル・アン・トムリンソンの本、『みんな羽ばたいて ―生徒中心の学びのエッセンス―』(新評論、20236月刊)を紹介します。(佐賀大学・竜田徹)


 目次

 目次は次の通りです。生徒中心の学びを構成する要素が、各章にわけて論じられています。

訳者による用語解説 3
1章 「生徒中心」とは何か? 7
2章 教師:生徒を尊重し、学びを整える 37
3章 生徒:生徒一人ひとりの成長を促す 81
4章 学習環境:生徒中心のクラスをつくる 113
5章 カリキュラム:夢中で取り組める学びを提供する 165
6章 評価:学びと成長のために評価を活用する 227
7章 教え方:生徒中心の授業をつくる 283
8章 考え方:生徒中心の学びに共通する土台を身につける
最後に 323
訳者あとがき 327
訳注で紹介されている本の一覧 330
参考文献一覧 334

https://docs.google.com/document/d/1NLGVsiRh8x0I6F0zA900PpteAIXA6JKGagGyLslQ4ec/edit で、第8章は読むことができます。

 このように、学級づくり、授業づくり、両方が論じられています。学級経営、学習環境の構築、学びの個別化、生徒中心の学び、現職教員のスキルアップなど、生徒を中心とした学校教育の理念や方法に関する理解を深めることができる本になっています。

本書のポイント

 私は佐賀大学で国語教育を研究し、学校教員の養成に携わっています。研究者の一人として改めて読み直すと、推薦したいポイントが数多く見つかりました。あくまで私自身の限られた視点からにはなりますが、3点にわけて紹介します。

前著とのつながり

 1点目は前著とのつながりです。トムリンソンの本の邦訳は、2017年に『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ ―「違い」を力に変える学び方・教え方―』が、2018年に『一人ひとりをいかす評価 ―学び方・教え方を問い直す―』が、それぞれ刊行されました(いずれも北大路書房刊)。

 3冊には連続性がありますが、前の2冊と比べると、今回の『みんな羽ばたいて』は、副題にもある通り、「生徒中心」という概念を追求している点に特色があります。また、記述が一般読者向けに、より平易になっているようです。
 いうまでもなく、「生徒中心」とは生徒の自由にすべて委ねることではありません。生徒が、学びがいや、自分の成長を実感できるようにするために、教師はどう関わればよいのでしょうか。このことが、わかりやすい語り口で、自分の実践を回顧しながら書かれています。

 その意味で、この3冊の本を書くプロセスの中で、トムリンソンの考えがどのように変化したのか、あるいは変化していない部分はどこかを考察するのは面白そうです。トムリンソンという一人の教師のライフストーリーとして本書を読むことも可能でしょう。

学習指導要領との向き合い方

 2点目は学習指導要領との向き合い方です。「近年、日本の学校現場では、学習指導案に指導目標を書く際、その文言のほとんどが学習指導要領からの引き写し、あるいは国立教育政策研究所の指導資料の書き方を追随する形になっている(そのような書き方が教員研修等で推奨されている)実態がみられるのではないか。これに伴い、教師自身によってかみ砕かれた、自分のことばで書かれた目標が少なくなったのではないか」。このような指摘を最近の学会発表で聞きました。私もそう感じます。子どもを見て目標を書くよりも、学習指導要領を見て目標を書くことに比重がかかっているのかもしれません。近年の教育政策のさまざまな浸透プロセスを通して、現場の教師たちから、目標を立案する専門性やプライドが吸い上げられてしまったように思えます。

 トムリンソンは、「学習指導要領そのものは、決して学びの敵ではありません。正しく使用すれば、情報過多な世界における道標になります。学習指導要領は、私たちが生徒と共に、また生徒のためにつくり出す学習体験が逸脱しすぎていないかどうかを確認するのに役立ちます」(p.173)と述べたうえで、さらに次のように指摘しています。

学習指導要領は適切に使用されれば、私たちが生徒のために、生徒と共につくる「本物の学び」となり、生徒が朝起きて、学校に来るだけの十分な動機となります。しかし、教科書と同じく、それらは道具であり、十分なカリキュラムにはなり得ません。カリキュラムを夕食とすれば、学習指導要領はその食材のようなものです。夕食を調理する代わりに、食材をそのまま出すことに甘んじていては、生徒中心の学びという目的の達成はできません。p.174から引用)

 「夕食を調理する代わりに、食材をそのまま出すことに甘んじて」いるという指摘を、重く受け止めたいと考えます。これは先ほど述べたように、現場教員に対する指摘にとどまるものではありません。教員研修を行う側(たとえば、私のような大学の教科教育担当者)や、各自治体の教育委員会、教育政策担当者の側が、知らず知らずのうちに、「食材をそのまま出す」ように促してしまっているのではないかという意味において理解すべきでしょう。

 研究の文脈に引き付けていえば、現在の学習指導案がどのような実態にあるのかを検討することが重要だと考えます。たとえば、まず「食材をそのまま出す学習指導案」と「調理された学習指導案」を2極とする座標軸上に複数の学習指導案を位置づけます。そのうえで、相対的にみて、授業プランとして分かりやすいのはどちらの学習指導案なのか、子どもにとって取り組みやすく学力が伸びる学習指導案はどちらかを研究することもできそうです。

 なお、教科や校種によっては、ここで学習指導要領について述べたことを、「教科書」に置き換えて捉えることも重要なことでしょう。授業が教科書主義に陥っていないかを検証したいという意味です。

生徒との信頼関係を構築する方法

 3点目は信頼関係を構築する方法です。本書の主眼は、なんといっても、生徒と教師がクラスの中でいかに信頼関係を構築していくのか、その方法を具体化することにあります。すべての章にわたってそのことが書かれているといっても言い過ぎではありません。たとえば第4章の中では、「生徒と信頼関係を構築する方法」という表が示されています。この表は、現場教員や教師教育者としての長年の実績をもつトムリンソンが、その経験から得たコツ、つまり経験則を整理したリストとして、大変貴重なものであると考えます。その一部を以下に引用します。

・生徒の名前と正しい読み方を、できれば生徒に初めて会う日までに覚える。遅くとも、新学期がはじまった日か翌日までには確実に覚える。
・生徒が属する文化や民族ごとの祝祭日、そのほかの特別な行事を把握する。
・学級経営に生徒を巻き込む。
・教師がどのように授業を計画し、楽しくて力のつく授業にするためにどのようなことをしているのかについて、定期的に生徒に伝える。
・生徒を叱責しない。その代わり、生徒がより良い選択や決断をするためにはどのようなサポートをすればよいかについて考える。
・教師が失敗したときには、そのことを生徒に伝え、失敗から学ぶ姿勢を示す。また、生徒を傷つける言動をしてしまったときはすぐさま謝罪する。

pp.122-123 表4-1「生徒との信頼関係を構築する方法」より抜粋

この表には、日本の教師がすでに知っていることも数多く含まれています。とくに学級経営に関する知見はそうでしょう。むしろ本書を読むと、アメリカの学校教育においても学級経営(クラスづくり)のことが重要視されていることがわかり、新鮮に感じられるかもしれません。本書には、学級経営の方法だけでなく、学級目標の立て方のコツ、学級のルールのサンプルまで書かれています。このあたりも研究の糸口になりそうです。本書は、アメリカの学校教育における学級経営論の一つとして考察することも可能です。

 他方、上の表には、日本の教師がこれから知っていかなければならないことも数多く含まれています。例えば、「生徒が属する文化や民族ごとの祝祭日、そのほかの特別な行事を把握する」ということがなぜ重要なのでしょうか。これからの新しい時代、共生社会の学校教育を築いていくにあたり、これまでの学校文化において当たり前になっているさまざまな慣習によって、知らず知らずのうちに傷つけられている子どもがいないかを想像する力が、教師にとって非常に重要な資質になると考えられます。その慣習は、たとえば、クラスにおける机の配置や、掲示物の貼り方や、名前の呼び方や、給食の献立や、体育祭の種目や、合唱コンクールの曲選びや、入学式や卒業式といった儀式の段取りや、文章の音読の仕方などにも表れていることでしょう。私たちにとっては当たり前になっている、このような慣習に馴染めずにいる生徒の存在に気付くことが、まさに信頼関係の構築につながるのです。「郷に入りては郷に従え」は、学校教育では過去のことばにしなければなりません。

 経験年数の浅い教員の増加、多くのベテラン教師の退職時期の中にあって、教員研修を通し、新しい学習指導要領の解説をすることも必要かもしれません。しかしそれ以上に若手の先生が必要としているのは、生徒と教師がどのようにして信頼関係を構築していくのか、その方法やコツを、ベテラン教師と共有するプロセスではないでしょうか。少なくとも教師のたまごを現場に送り出す場所で仕事をしている私には、そのように感じられます。

 クラスづくりの経験則は、その先生だからこそ語れることですから、大変貴重です。しかも、学習指導要領には載っていません。

 トムリンソンの経験則を一つの鏡として、日本の学校教育において大切にされてきた「生徒との信頼関係を構築する方法」は何かを明らかにし、補い合う。このことは若手の先生にとって大きな力になるはずです。今後のクラスづくりや授業づくりにも大きく貢献すると考えます。

まとめに代えて:無邪気なクラス

 以上、本書のポイントとして、前著とのつながり、学習指導要領との向き合い方、生徒との信頼関係を構築する方法の3点を取り上げました。それぞれにおいて、研究の糸口になりそうなことも私なりに指摘したつもりです。
 結びに、本書がめざす学びの形が集約された部分を引用します。

 生徒を中心とする考え方において教師は、学び手である生徒一人ひとりが、また学級全体が学び、成長できるように伸び伸びと過ごせる「無邪気なクラス」をつくりあげるために最善の努力をしなければなりません。これが、私が理解する「生徒を中心とする教え方」の根本的な目標です。なお、本書で紹介しているほかのアイディアの基盤にあるのもこのような考え方に基づいています。p.163から引用)

 「無邪気なクラス」ということばは、作家アレックス・ペイトの著作から引用されたものなのですが、ここにはトムリンソンが追い求めてきた学びの理念が凝縮されているように思います。学びが生徒中心になっているかどうかを証明するもの、その一つは、生徒一人ひとりが「無邪気」でいられるということだと私は考えています。
 私たちも、自分がめざす理想の授業、理想のクラスとはどのようなものかを考え続けていきましょう。訳者の一人として、多くの方に本書を手に取っていただき、「生徒中心の学びのエッセンス」を分かち合っていただきたいと願っています。

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