私の職場がある町は、「よってたかって教育」という言葉を掲げ、学校だけでなく市民全員でよってたかって地域の子どもたちを育てようといった取り組みを進めています。
この考え方を下支えしているものの一つが、「香美教育コラボレーション会議」という集まりです。地教委、町に一校だけある高校と特別支援学校、そして、大学。すべての教育機関の有志が集まって、お互いの実践の交流や教育問題についての議論を続けています。
月一回の集まりが、相互理解の場となっています。2月には、一年間の振り返りをしました。全員が、Google Documentに自分なりの振り返りを記入し、それをみんなで眺めながら、じっくりと語り合うことができました。「この会議から得られる情報は、学校運営のヒントになる。有効な会議である」「多くの人と連携し、勇気がもらえて頑張るしかないと思わせてくれる会議である」といった声が聞かれ、来年度も継続していくことになりました。この会議が、お互いの学び合いの場になっているのです。アクション・ラーニングの場というのは、こういうものではないかと思います。★1
その振り返りの議論で、もっとも盛り上がったというか、全員が課題と感じたのは、「広報」の問題でした。
「こんなにも頑張っている学校がある。もっと多くの人に知ってもらいたい」
「素晴らしい実践をしているのに、それを効果的に発信できていない」
「個人情報やプライバシーの問題があって、情報発信には慎重になってしまう」
「地方紙などのマスコミを使うのが上手い学校もあるが、そうでない学校もある」
「もっと高校の入学希望者を増やさないといけない」
「山間部の小中学校は存続の危機にある。山村留学なども考えたい」
いろいろな意見は出ましたが、決め手となるようなアイディアはなく、次年度の最優先の共通課題として、取り組むことになりました。
この会議のあと、学校にとっての「広報」とは何か考え続けています。
高校や大学であれば、進学希望者を増やすための重要な手段と言えるでしょう。存続の危機に瀕した山間部の学校も少しでも多くの生徒も呼び込みたいと考えるかもしれません。今日、田舎にある地方自治体の多くが定住促進のための課をもっていて、移住者を呼び込むための涙ぐましい努力を続けています。山間部の学校の特色ある教育に惹かれて定住を希望した家族もあるようです。
ただ、これらは広報の一側面に過ぎないでしょう。
「学校のストーリーを語る究極の目的は、宣伝でもなければ、罪悪感をもたせてコミュニティーの人たちを学校に巻き込むことではありません(p.119)」★2 という指摘が、この問題の本質をついているのではないかと思います。
学校にとっての広報は、決して学校の宣伝ではない。ましてや、校長や学校の実績をひけらかすことも、目的ではないはずです。
学校の「透明性」を保つことによって、教師と保護者がより良いパートナーシップを築く。これこそが、学校にとっての広報の重要な役割ではないでしょうか。学校がやっていることを、知ってもらうことです。
生徒自身が語る学校のストーリーは多くの人を惹きつけます。それが、より良い学校コミュニティーづくりに役立っていく。学校を取り巻く人たち、学校を応援してくれる人たち、そのような人たちと信頼を築き、より良い学校づくりのために協働していく。
そういった視点から、もう一度、学校の情報発信について考えていきたいものです。
★1 「アクションラーニングとは」 https://www.jial.or.jp/about/detail/
★2 ジョー・サンフォリポ&トニー・シナシス(2021) 『学校のリーダーシップをハックするー変えるのはあなた』新評論,. なお、この引用の後半部分はやや分かりにくですが、同書の脚注には「地域や保護者が子どもたちを学校に任せっきりにしていることを匂わせて、その引け目から渋々協力を引き出すようなことでしょうか」とあります。
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