2020年6月14日日曜日

分散登校で忘れちゃいけないメアリー先生のまなざし


 
610日は時の記念日。東京天文台(現:国立天文台)と文科省の外郭団体である財団法人・生活改善同盟会が1920年に制定しました。時間をきちんと守ることで、生活の改善・合理化を図ることは大切です。

その一方で、新型コロナウイルスにより生じた休校により、カリキュラムの遅れを取り戻すために文科省は再開後の小中学校で授業時間の20%程度を補習や家庭学習で補うことを可能とする通知を全国の教育委員会に出しました。この間の学習の遅れを、夏休みの短縮や土曜授業により数年内で取り戻そうとしています。時間は取り戻せません。しかし、そこまでして限られた時間の中に詰め込む必要があるのでしょうか。知人の学校は土曜日にはすでに6時間授業が実施され、ものすごい疲労感だと訴えています。

すでにオンライン授業による整備や大量に配布される課題プリントの消化など、家庭からは「家庭の学校化」に疑問が出され、その多すぎる負担に悲鳴が聞こえてきます。果たして、文科省が躍起になっているような、これまでどおりにカリキュラムを網羅する必要が本当にあるのでしょうか? 文科省はそれに対する説得力ある説明をしていません(あるようでしたらぜひ教えてください)。

学校が再開されつつある今、子どもたちにとって本当に必要なことは一体なんなのでしょうか? 休校中、一方的に出され続けていた課題プリントの束やオンライン授業、その学びを止めないことなのでしょうか?

多くの学校ではこの6月から、3密を避けた分散登校がはじまっています。各クラスを午前班や午後班に、または曜日によって少人数化され、授業では私語厳禁、休み時間にはボール遊びも厳禁。これまでの3ヶ月間の休校からたたき起こされ、急な6時間授業がはじまる学校もあり、マスク生活とその暑さと共に子どもたちは体力的にも精神的にも苦しんでいます。

今、私たち教師がやるべきこと、それは子ども一人ひとりのペースに寄り添うことです。教師の都合でカリキュラムを焦ってカバーすることではありません。一人ひとりを受け止めること、学校は一度立ち止まって考えてみましょう。目の前の子どもたちがこの長い休校中、どのような時間をすごしてきたのか、聴き取ることです。学校再開にあたっての不安や期待など、一人ひとりの気持ちを丁寧に引き取っていくことです。これは、分散登校の少人数の今だからこそできること。

子どもたちは、心のどこか奥にある言葉にならない不安を抱えています。分散登校がはじまった今、まず私たち教師がやることは、教室の消毒に加えて、子ども一人ひとりの違い、その気持ちを、ありのままに教師によって受け入れ、尊重することです。子どもたちをみんな同じと思い込まずに、同じ方法で同じスピードで教えることではありません。違いに目を向けるからこそ、はじめて一人ひとりに焦点を合わせた学びができるのです。

海外の文献に目を通していると、必ずといっていいほどこの「違い(Differentiation)」というキーワードが飛び込んできます。日本ではまだ目にする機会は驚くほど少ない!? C.Aトムリンソン著『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ「違い」を力に変える学び方・教え方』には、子どものレディネスや興味関心、学習履歴を使って、どのように授業に活かしていくのか具体的な実践が載っています。その第一人者でもあるC.A.トムリンソンの著作が日本語読めるのは大変ありがたいことです。ぜひ手に取って学習してみてください。★

その中の一節に、メアリー先生の子どもたちへのまなざしが紹介されています。メアリー・アン・スミス先生に受け持ってもらったその一年間、子どもたちは居心地よく過ごすことができました。

“・どの子も他の子と似ているところもあり、違っているところもある。
・子どもたちは人間として無条件に受け入れてもらうことを望んでいる。
・子どもたちは今日よりも明日はよくなれると信じたがっている。
・子どもたちは自分の夢を叶える手助けを求めている。
・子どもたちは自分なりに物事を理解する必要がある。
・子どもたちは大人と一緒に取り組む時、より効果的により一貫して物事を理解する。
・子どもたちは動きや楽しさや安心を求めている。
・子どもたちは自分の生活と学習に一定の権限を求めている。
・子どもたちはその権限を伸ばしたり、それを賢く使ったりする手助けを求めている。
・子どもたちはより広い世界で安心できることを望んでいる。“

C.Aトムリンソン著『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ「違い」を力に変える学び方・教え方』北大路書房 第4章「一人ひとりをいかす教育を支援する学習環境」のP.62より 

メアリー先生は、子ども一人ひとりの共通する性質ばかりでなく、違いついても敬意を払っていました。子どもたちのことについてまず考えなければ、教えることはできません。教えるべきこと先にあるのではなく、目の前の子どもたちがいることから始めることです。メアリー先生のまなざしは、子ども一人ひとりの違いを受け止めて尊重しようとするマインドセットに気付かせてくれるはずです。

子どもたちは安心できることを望んでいます。今、私たちは一人ひとりの違いにしっかりと注意を払うことです。分散登校の今だからこそ、寄り添えることがよりできるはずです。今、やるべきことは、一人ひとりの安心できる環境をつくることなのです。躍起になって学習の遅れ(そもそも文科省の基準に沿って一方的に遅れているといっているだけなのですが、子どもたちにとってはいい迷惑です)を取り戻すことではありません。

最後に『ようこそ、一人ひとりを活かす教室へ』から、大切な問いを紹介します。

“証拠も無しに、生徒がすべて同じ内容を同じような方法と同じスピードで教えることを私たちが受け入れてしまうのはどうしてなのでしょうか? 生徒が同じ大きさの靴を履き、同じ量の夕食をとり、同じ睡眠時間が必要だというのがおかしいことはわかっているにもかかわらず、です。” 同書P.55

もう一度、子どもたち一人ひとりをいかすことについて考えてみませんか? この時期、文科省はまだ気付いていないようですので。★

子どもたちを平均値の集まりとしか捉えていないのは、なにも文科省だけに限ったことではありません。全体を同じ(平均)にあわせることにしか頭にない人たち。教育委員会も、管理職だってそうかもしれませんね。私たち教師には選択があります。鵜呑みにする選択も、自分なりの味付けをする選択も。このことについてすでにPLC便りで紹介しています。ぜひご覧になってください。

生徒が学校に合わせるのではなく、学校を生徒に合わせるべき

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