2013年10月6日日曜日

情報公開



学びの共同体においても、情報公開・情報共有が大切なことはもちろんです。

 いじめや体罰の問題でも、学校や教育委員会の情報隠しがたびたび問題になります。隠ぺい体質とよく言われていますが、よく考えると学校や教委だけの問題でもなさそうです。この国の近代・現代の歴史を振り返ると、官の「隠ぺい体質」は様々な場面で見ることができます。
 

 先週から「県民健康管理調査の闇」(日野行介・岩波新書2013)を読んでいるのですが、そこでもまた嫌になるくらいそんな場面が描かれています。この本は、福島原発事故の後の、福島県民に対する健康被害調査(特に、放射線からの影響)をある新聞社の記者が調査報道したものです。この健康調査検討委員会は20115月から開催されています。
 

私もこの委員会の活動には最初から注目していました。今振り返ると、その委員会に関する報道の内容はいつも「健康被害はない」「放射線の影響はチェルノブイリに比較して少ない」というものでしたが、個人的にはどうも信用できないという思いで受け止めていました。
 

今回この本を読むと、検討委員会の直前には必ず「秘密会」が開かれ、発言内容の調整が行われていた様子がわかります。県民の健康を本当に心配しているのならば、データをすべて公開するのが筋だと思うのですが、どうも「被害をなるべく過少に見せたい」「そうしないと観光や経済にいつまでも負の影響が残って、県の発展(復興)のためにはよくないことなのだ」という経済の論理が優先しています。県民の健康なくして、復興や経済の発展があり得るのでしょうか。
 
そう言えば、今の福島県知事は事故前には原発推進派だったのに、事故後は、あたかも自分も被害者のような顔をしています。ですから、この「県民健康管理調査の闇」という本の82ページにも「知事の希薄な存在感」という見出しで、検討委員会をめぐる問題で、すべて副知事任せにして、一言も発しないで会見から退席した様子が描かれています。

この筆者は「トップが何をどう考えているのか、ほとんど発信しない状態では、県民も、そして職員もどう考えたらよいかわからない」と綴っていますが、その通りです。まさに学校で言えば、校長が何を考えているのかわからない学校が迷走するのと同じ状況です。

 

こんなことを書いているうちに、あることを思い出しました。

それは、原爆のことです。「原爆と原発」は基本原理に関しては核分裂ということで同じです。原発は制御棒を利用して、核分裂をゆっくりと起しているだけです。
 

そのもう一方の原爆ですが、1945年広島と長崎に落とされました。アメリカ軍にも、そのあまりの爆発のすごさに心が痛むところがあったとみえて、事前に新型爆弾投下の警告ビラが何十万単位で空から日本国内にばらまかれていたそうです。それを当時の軍部は敵の謀略であるとしてすべて回収させていました。また、海外からの短波放送で、ポツダム宣言のことや原子爆弾開発の情報が流されており、当然軍部でもそれらの放送は傍受していたので、軍の一部の人間はすべて知っていたようです。しかし、全く一般の国民には知らされていませんでした。隠ぺい体質の最たるものです。
 

この国は、1945年から全く進化していないのでしょうか。戦争後、経済復興して、瞬く間に先進国になりました。しかし、様々な組織に巣食う「隠ぺい体質」からは自由になれていないようです。これは教育によって改善の見込みがあるものなのか、あるいは改善への別な道筋があるのかわかりませんが、これからも追究していきたい問題の一つです。

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