2013年9月8日日曜日

カリキュラム

カリキュラム開発の大切さが、8月25日のPLC便りで強調されました

 「カリキュラム」は、基本的に学校レベルの専権事項なのでは?
 教育委員会の承諾を得て、という前提つきですが。
 (でも、基本的に、良し悪しの判断ができる人は、そうたくさんいるとは思いませんから、出したものは通ると思っていいと思います。)

 大切なのは、教科書(ないし指導書)どおりのを提出するのか、それとも自分たちが考えたカリキュラムを提出するのかの違いです。

 私が教育に関わり始めた80年代の半ばに、学習指導要領を書いている教科調査官たち数人と話し合ったことがあります。その一人(世界史担当)が、たとえば「フランス革命は、いつ始まって、いつ終わったのか」をテーマにして1年間授業をしてくれてもいっこうに構わないのです、と言っていたのをよく覚えています。(もちろん、学習指導要領の内容はカバーされるという、前提での話しですが。)そして、教科書は使わなくてもいいのです、とも。(学習指導要領さえおさえられれば。)

 しかし、その後で、こうも付け加えました。
 「大いにやってくれていいのですが、致命的なのは、養成過程でも、現職研修でも、それができるカリキュラム開発能力を教員につけない、ということです」

 私に言わせると、当時から、今も変わりませんが、それがわかっているなら、「なぜ、カリキュラム開発能力をつけてあげないのですか?」です。

 その方が、子どもたちはよく学べるのに。
 教科書をカバーする授業で、よく学べる子は何割ぐらいいると思いますか?

★ 教科書があること(教科書をカバーする授業をし続けること)のプラス面とマイナス面を考えてみてください。そして、ぜひ下のコメント欄に書くか、pro.workshop@gmail.comにお送りください。

 目的は、教科書をカバーすることでしょうか? それとも、子どもたちが学べることでしょうか?

 目の前にいる子どもたちのことを知らないどこの誰かが書いたのかわからないもので、目の前の子どもたちはよく学べるでしょうか?

 秋学期もはじまったのを期に、ぜひ、もう一度「カリキュラム」とは何だったのかを考えてみてください。

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