2012年11月18日日曜日

はるかに望ましい授業・研修のあり方


オーストラリアの理科教育への反応を、白鳥さんのを含めて、数人からいただきました。
その中の一つを紹介します。

毎回PLC便り拝読しております。
 今回記述の3点とも賛成です。
 特に
 興奮したり、発見できることが大事。
 唯一の答えが存在しない活動と子どもたちが意味を感じられる活動が大切。
 教師が学び続けることが大切。
 の部分に共感します。
 2007年の資料ということは,5年前にかかれたものということでしょうか。
 きっと今は実践が進んでいるんでしょうね。
 現在,本課では,問題解決能力向上のための授業デザインモデル,パフォーマンス課題とルーブリック評価を用いたパフォーマンス評価等の研究をしています。

 以下は、返信です。
メール、ありがとうございました。
オーストラリアは、私が最初に教育に足を踏み入れた1980年代の初頭からすでに、「教科書を使う先生は能力のない先生」と出会った指導主事が言っていたのでビックリしたことをいまでもよく覚えています。
「じゃ、教科書は何のため?」という私の質問に、「能力のない先生、自分で勉強しない先生のためにある」との答えでした。
その意味では、2007年に新たに言い始めたというよりは、長年言われ続けてきたことを、改めて強調したという感じだと思います。

その教科書も、1990年ぐらいには、私が1991年に訳した『ワールド・スタディーズ』という本をベースにしたものを社会科でつくってしまいました。
要するに、正解がない、生徒主体に学ぶ方法で教科書をつくってしまったのです。著者たちに聞くと、別に教科書をつくりたかったわけではなかったそうなのですが、オーストラリアは本のマーケットが小さいこともあり、生徒主体の学び方(興奮したり、発見できること 唯一の答えが存在しない活動と子どもたちが意味を感じられる活動を実現するには、その方が手っ取り早いと考えたからだそうです。

問題解決能力向上のための授業デザインモデル,パフォーマンス課題とルーブリック評価を用いたパフォーマンス評価等の研究をしています。
 これにも、ライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップがそのまま使えてしまうのですが・・・
    国語で? とお思いでしょうが、できてしまうのです。

  <メルマガからの続き>



日本の授業は、子どもたちが学ぶことよりも、教科書に書いてあることをカバーする(教えること)が優先されています。「学ぶ」ということを吹っ飛ばして、「教える」ことが横行している状態にある、とさえ言えると思います。それが、子どもたちがよく学べない最大の理由です。そこで、「学ぶ」とはどういうことかを考えていただいたわけです。

いくつかいただいた反応の中に、以下のものがありました。
野球とスキーがそれなりうまくなった理由
・継続した
・自分よりうまい人の真似をした
・うまいやり方をイメージして、それに近づけるように練習した
・自分自身ではわからないところを見てもらい、アドバイスを受けた
・もっと上達したいという気持ちがあった
・練習することが楽しかった
・家族や仲間がいた
などを思いつきました。

共感できる方は、多いのではないでしょうか?

私が、いい学校のつくり方を書いた『いい学校の選び方』(中公新書)の中で紹介したのは、料理がうまくなった先生の事例です。
       料理を学ぶことは自分が選んだ。興味があった。やる気になっていた。
       どうしたらいいか、それなりの予想がついていた。計画が立てられた。
       誰も私を急かせる人はいなかった。十分な時間をかけることができた。
       料理のうまい人たちを何人か知っていて、アドバイスをもらうことも含めて、その人たちとのやり取りを楽しんだ。

ちなみに、この先生の場合、自分が料理の作り方がうまくなった要因を書き出す前に、子どもの学びに必要なものについても書き出すように言われていたのですが、ほとんど書き出せませんでした。しかし、自分のことについてはスラスラ書けてしまいました。そして、その違いについて考えました。年齢に関係なく、私たちも子どもたちも両方が学習者でありながら、なぜ与えられている条件がこんなにも違うのか、と。そして、子どもたちは、
       自分の興味・関心に合わせた選択を提供されているか?
       予想や計画が立てられるか?
       十分な時間が提供されているか?
       アドバイスをもらえる人や相互に助け合える環境が提供されているか?
と。
以上は、この本の133ページに書いてあることです。

この先生が発見したことは、まさに「目からウロコ」としか言いようがありません。学校で行われている学ぶ/教えるという極めて当たり前の行為が、実は「人はどう学ぶのか」という基本的なことを踏まえることなく日々展開されている、という事実を浮き彫りにしてしまったのですから。

皆さんは、「人はどう学ぶのか」という基本的なことを考えられたことがありますか?
上で紹介したこと以外に、何か大事な要因を考えられますか?

このことがライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップとどう関係するのかまで紹介したかったのですが、長くなってしまったので次回にします。

今回のテーマに関連するようなご意見・ご質問は、下のコメント欄かpro.workshop@gmail.comぜひお寄せください。

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