先週の吉田さんの「オーストラリアでの教育の動き」について考えてみたいと思います。
「学校における理科教育に大切なことは3つある。
� 理科教育は、教師(教科書)のシナリオ通りに行われるべきではない 〜 興奮したり、発見できたりすることこそが大事。
� 唯一の答えが存在しない活動と子どもたちが意味を感じられる活動が大切 〜 生徒たちは自分の身のまわりの世界について理解し、重要な問題について考え、そして意思決定ができるようにしてあげるべき。
� 子どもたちの学習材と同じレベルで教師が学び続けることから得られる自信が大切である。」
以下は、それぞれの項目について私が考えたことです。
� これは問題解決型・課題解決型授業、プロジェクト型授業の提言です。これは、教師が教え授けるという旧来の授業イメージしかない人にとっては、「基礎・基本」が大切であって問題解決など、「後回しでいい」という発想しかないようです。でも、その両方をバランスよくやることが今のわが国の教育に求められているものだと思います。例のPISA2003ショックによる学力向上の全国的な流れから、ドリル学習やらプリント学習ばかりがもてはやされた時期がありましたが、この国の特徴として、どうもどちらか両極に振れ過ぎることが欠点だと思います。
� 「意味が感じられる」というのも、大きな課題ですね。
これまでは吉田さんがよく言われるように、教科書をカバーする授業ばかりでしたので、「なぜ学ぶのか」という必要感や自分の生活に身近に感じられるということが少なかったと思います。
以前、中学校教育研究会、いわゆる中教研(理科)の県大会で、私の所属する地区が研究発表をする割り当てになった年がありました。そのときに、研究テーマをどうするかという話し合いをして、この「学ぶ意味が感じられる」ということを取り上げることにしました。その「意味が感じられる」という一つの方向として、「日常生活に関連があること」「自分たちの生活に身近なもの」を教材とすることに取り組みました。
ほぼ半年間、このテーマで様々な教材を作りました。その結果、生徒はどう変わったか。やはり、以前より理科の授業に積極的に取り組む生徒が増えました。アンケート調査などでも、「理科が好き」と回答した生徒の割合も増えました。これは、「学ぶ意味が感じられる」ということがそのような変化を生み出した直接的な要因だと思います。そうなると、物事はうまい方向に働いていくもので、その後「科学クラブ」が設立されたり、そのクラブ員たちが「ロボットコンテスト」に参加したりして、全国でも優秀な成績を収めて、海外の大会にまで参加するようになりました。このような地道な種まきが結局はよい教育を支えるのだと今でもそのことを思い出します。�の「学び続けられる教師の自信」も今のことに関連しているのですが、当時の私以外の担当教師のなかに、この取組以降、次々といろいろな財団の研究助成を自分から見つけてきて、積極的に応募して、自分の勉強を継続させていく人が出てきました。それによって教師としての自信も一段と深めることができたのではないかと思います。このことも、実にうれしいことでした。
校内研修も「研究授業/授業研究」以外のスタイルを取り入れるという話が以前ありましたが、放課後の時間にゆとりがなくなっている今、各自が時間を見つけて、数人規模での学びを続けていくことがますます求められていると思います。
知り合いのある大学の先生が、学校訪問の感想を次のようにおっしゃっていたことがありました。
「これは憶測にすぎませんが、先生方は、教科書に書いてあることをしっかり説明できれば仕事の大半は終わるのという感覚なのでしょうか。だから、自分で教材を探し、自分のメッセージを込めて生徒たちと向かい合うなどいう経験はほとんどないのかもしれません。それでは、この仕事は何ともつまらないと思うのですが。・・・・」
「教科書に書いてあることをしっかり説明できれば仕事の大半は終わるのでしょう」
まさに、ここに問題があるわけですね。
ここを転換していくことが、どんな教育改革よりも優先されると言ったら、言い過ぎでしょうか。
前々回の吉田さんの記事にありました
・学校独自の(年間)指導計画を実際につくっている事例
・教師にカリキュラム開発能力や授業力をつけてもらう試み
・子どもたちが主体的かつ活き活きと授業に取り組んでいる事例
・授業改善のために指導案に代わるものを模索している事例
・その他、「良かれ」や「当然」、「マヒ」や「思考停止」から抜け出す試みなど
ぜひ、白鳥ないし吉田(pro.workshop@gmail.com)にお知らせください。
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