2012年5月27日日曜日

「てん」の話から学ぶこと

「てん」のお話は今回吉田さんの紹介で初めて知りました。周りの大人の評価や対応で、子どものやる気は簡単にしぼんでしまうことがわかります。
ワシテの先生は、真っ白なままの画用紙を見て「ふぶきのなかの北極熊ね」と。なかなかこうは言えません。その「てん」が、額に入れて飾られ、展覧会まで開かれるとは。
このあたりは、教師の教材・教具の工夫や授業の展開のしかた、個に応じた指導法などにつながるものです。このお話のワシテはどんどんやる気になっていきます。
そして、周囲にもどんどんいい連鎖がつながっていきます。
これこそ、「学びの共同体」ですね。

ワシテの先生のような対応ができるようになるためには、やはり豊かな人間性、知識、思考力、判断力などが必要になるでしょう。それには、教師自身が学び続けることが不可欠です。
最近、いろいろな場面で次のようなことを感じます。
教師という職業には、「好奇心」という言葉が適切かどうかはわかりませんが、「何でも見てやろう」「わからないことを知りたい」「気になることを追究したい」というような態度が必要なのだということを。

最近、橘 玲(たちばな れい)の「かっこ日本人」(幻冬舎)という本を読んだのですが、そのなかに「農耕社会には『進歩』という概念がない。農耕というのは、春に種を播いて秋に収穫するという同じ営みの繰り返しだ。・・・・この世界観が前提となって社会がつくられている。」という文章がありました。
これはまさに学校社会そのものでもあります。春に入学式があり、次の年の冬の終わりに卒業式を迎えるというサイクルは毎年変わりません。したがって、そこにいる人々は自覚しない限り、「進歩という概念」のない「ぬるま湯」につかることになります。もっとも、最近はときどき、このぬるま湯も外からの刺激で急に熱くなったり、時には熱湯に近くなったりもします。
 外からの刺激で「熱く」なるのではなく、その内部にいる人の力で、適温にしていくのが校長のリーダーシップであり、マネジメントなのだろうと思います。

 日本の教育界はやや大げさに言うと、今後10年以内に、それを支える教員の三分の一が入れ替わるという大変動の時代を迎えることになります。その世代交代をうまくやっていくためにも、ますます教師が学び続けられるかどうかが問われることになります。

 管理職やベテラン教員は、若手教員の育成に知恵を出し合いましょう。
 そして、忙しいなかではありますが、互いに学び合いましょう。

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