2024年9月15日日曜日

授業づくりのための2冊の本の比べ読み

 石井英真『授業づくりの深め方』とキャロル・アン・トムリンソン『みんな羽ばたいて』の比べ読みをしました(飯村寧史・執筆)。

 まず、『授業づくりの深め方』ですが、日本のこれまでの教育や授業の傾向、風潮について、その歴史的な変遷を丁寧に綴っているという印象を受けました。その中で、これまで行われてきた一斉授業の限界を述べ、現状での「わかる」授業、そして将来的には「教科する」授業への移行を提言しています。

 この移行については、第8章で詳しくまとめられています。表にまとめてみました。

一方、『みんな羽ばたいて』は、「生徒中心」をキーワードに、それを実現するために、学校の諸要素をどのように意識し、変えていくと良いかを述べています。

 生徒中心にするのは、筆者の言葉では「在学中でも卒業後の人生でも、受け持った生徒の一人ひとりが有意義で生産的に、そして満足できる人生が送れるように十分な準備をする義務が教師にあるから」という理由からです。したがって、授業での学習内容だけでなく、生徒一人ひとりの個性(境遇や心情も含む)や、その成長に資するもの、所属するコミュニティーの部分にも重点を置くことを主張しています。

 そして、生徒中心を実現するために、教師、生徒、学習環境、カリキュラム、評価、教え方を観点として、それぞれの章でどのような姿や方法を目指すかが具体的に描かれています。各章では読者の思考を促すために、考えるポイントを問いとして提示しており、読者は自分のこととして考えることができるようになっています。

 この2冊の共通点としては、従来型の一斉授業からの転換を述べていることです。後者は海外の教育書ではありますが、変えていくべき従来型の授業は、先ほど提示した表の左端の欄と全く同じです。つまり、変化の必要性は日本も海外もどちらも同じで、そこからのスタートという点は変わりません。ですから、従来型の一斉授業に疑問を抱いている人、変化させたいと思う人が読者として想定されていると言えるでしょう。

 一方、相違点としては、「目的」の違いが最も大きいです。

 『授業づくりの深め方』は、タイトルにもあるように、授業改善を目的とした本です。日本型の従来の授業を踏まえ、この先どのような改善の方向性が良いかを示すことが目的ということです。そういう意味では、日本の教師が、無理なく自分の授業を変えていくために読む本だといえます。

 『授業づくりの深め方』は、確かに無理のない移行を考えているのでしょうが、果たしてそれが学校教育に対して大きなインパクトを与えられるのか、疑問が残ります。「教科する」授業は確かに魅力的ですが、日本の現行の教育制度=教科書使用や単元、教科縦割りなどの条件を満たしつつ、実行可能と言えるのか疑わしいところがあると思います。海外書籍で紹介される「教科する」授業は、従来の制約を脱して、教師が発想を転換したところからスタートしたものです。そういう意味では、現状制度のもとでこの「教科する」授業を目指したところで、「木に竹を接ぐ」ようなものにならないかという懸念があります。

 それに対して、『みんな羽ばたいて』は、生徒中心の学校、授業を実現することを目的としています。ですから、自分で授業を改善することは一つの手段になっていますが、そこが目的ではありません。従来の学校や授業の枠組み、何よりも教師が生徒を見る「目」を大きく捉え直して行くための方向性や手段、実践などが書かれています。

 ここで紹介されている方向性や手段、実践などは、もしかしたら、日本の学校でチャレンジするのには抵抗があるかもしれません。土台となる考え方からの転換は、ともすると、現実離れしたものに見えることもあるでしょう。しかし、先に述べたように、著者の国でも授業は一斉指導が当たり前の時代があり、著者はそこを脱却するために様々な実践を経て、体系的に教育に関する考え方を変え、実践を積み重ねた、という経緯があります。日本で実行することも、不可能とは言えないでしょう。より大きく日本の学校や授業を変えることを望んでいる教師が読む本だと思います。

 また、もう一つの相違点として、教育を変えるための「観点」の差があります。

 『授業づくりの深め方』では、授業づくりの観点として、①目的・目標、②教材・学習課題、③学習の流れと場の構造、④技とテクノロジー、⑤評価の5つを挙げています。それに対して、『みんな羽ばたいて』は、教師・生徒・学習環境・カリキュラム・評価・教え方を観点として設定しています。

 『授業づくりの深め方』の方は、やはり、タイトルどおり、授業づくりに特化していることがよくわかります。いわば、ミクロな視点です。しかし、気になるのは、どの観点についても、「教師」が主語であり、主導する存在だという考え方が貫かれている点です。肝心な要素としての「生徒」が観点の中にありません。確かに、同書では、生徒が自立して学ぶ、主体的に学ぶことを期待して「教科する授業」を志向しているのですが、この観点が欠けていていいのでしょうか。一人ひとりの生徒が決して均一ではなく、「違う」存在である以上、教師主導の授業づくりには限界があるように思います。従来と同様、より上手な先生によって、導かれるような授業ができ上がることは予測できますが、それで主体的な学びになるかどうか疑問です。

 一方、『みんな羽ばたいて』では、より大きな観点設定がなされています。最初に教師のあり方や生徒との関係性、生徒同士の関係性について、考え方の転換を求められます。「授業」を変えることが目的ではなく、その授業を通して、どう一人ひとりをいかし、育てるか、ということに主眼が置かれています。当然、生徒については、生活背景から、学習体験、関心、学び方の癖など、一人ひとりが異なっている、という前提で考えられています。テクニックというよりは、「生徒中心のクラス」、「生徒中心の授業」を実現するために、どのように考え、どのように声をかけ、どのように行動するのか、それを考えてもらう、マクロな視点で書かれた本だといえます。

◆

 以上をまとめると、『授業づくりの深め方』は、従来の日本型授業をふまえ、その延長線上にあるものとしての「わかる授業」「教科する授業」への移行を促すものですが、日本の教育のこれまでの慣習や制度上の制約、あるいは教師主導体制が変わらない以上、実現はやや難しいように思います。

 一方、『みんな羽ばたいて』は、教育の根本から見直すのに大いに参考になる本です。確かに日本の教育の慣習や制度は強固で、覆しにくいものを感じます。しかし、生徒中心のクラス、授業にはしたくない、と思う先生が果たしているでしょうか。教師であれば、誰もが理想としながらも、実現は難しいと思って、諦めているだけではないでしょうか。従来の延長、ではなく、考え方の転換によって新しい授業をつくっていく、そう考えたい人にお勧めしたい本です。

2024年9月8日日曜日

ネガティブな感情と向き合い、考え続ける力を引き出す 

これまでの学校教育における算数・数学は、本物の数学的思考を育むには十分ではありませんでした。その一因は、算数・数学の学習内容を単に習得することに重点が置かれていたためです。

短時間で手順を覚え、教科書通りに考え、それを他の問題にできるだけ早く適用する。こうした教科書の内容を網羅することを重視する教育では、子どもたちが自ら質問を作り出したり、数学的解決に向けて挑戦したりする機会が十分に与えられていません。さらに、解法の応用や他の問題への活用を深く振り返る時間も確保されていないのが現状です。

果たして、あの膨大な知識量は本当に必要なのでしょうか。むしろ、教える内容を減らし、じっくりと数学的に考える時間と環境を提供することが求められます。理想的には、定期試験や受験問題も、ていねいに数学的思考を問う問題へと変わっていくべきでしょう。

これまで、算数や数学は筋道立てて論理的に考えることを中心に語られてきました。しかし、問題を解く過程では、自分の感情や信念と向き合うことが欠かせません。数学的思考を身につけるためには、この感情に気づき、それを起点にして解決方法を見つけ出すことが重要です。そうすることで、より深い数学的思考を育むことができるのです。このことについて、『教科書では学べない数学的思考』の9章には、多くの示唆を与えてくれるものとなっていますので、ぜひ再読してみてください!




 

問題に行き詰まったときに感じる「わからない」「もうダメかもしれない」といった不安や諦めの感情は、実は思考を深める上で重要な要素なのです。しかし、これらの感情が強すぎると、問題への興味を失い、思考が止まってしまいます。そして問題解決では、あまりこの感情との向き合い方について語られてこなかったのではないでしょうか。このネガティブな感情と向き合い、考え続けるためには、これまでの考えと新たに浮かんだ予想との「ギャップ」を活かすことが重要です。このギャップを埋めようともがくことで、思考が持続するからです。そのためには、問題の「わかっていること(条件文:例えば、何人でわけられますか?)」と「求めること(求答文:例えば、3人で同じ数ずつ分けます)」を再確認することが効果的なのです。これによって、新しい予想や疑問が生まれ、「これはどういうことだろう」「確かめてみよう」と予想がふっと立ち上がり、思考が続いていきます。これが行き詰まった現状と予想から生まれたギャップを埋めるためには必要なのです。そして、このプロセスを実現するには、じっくりと考えるための十分な時間が必要です。より多くの学習内容を身に付けようとする学び方とは相容れません。

 

ここで私たち教師ができるサポートは、子どもが自分で導き出した結論を尊重し、教師がその問題解決のプロセスとそこでの感情を支えることは非常に重要です。湯傷待ったときに思考のギャップを乗り越えるには、心理的な安心感と「やってみたい」「もしかしたら?」という挑戦する気持ち、自信が欠かせません。子どもの思考や興味に敏感になり、その挑戦を励ますことはその場にいる教師にしかできないことなのです。

 

問題解決し、感情に対処できる優れた数学的思考者を育てるためには、「質問すること」「チャレンジすること」「ふりかえること」の3つが重要です。

 

1. 質問すること

 数学的探究において、質問する力を身につけることは非常に大切です。疑問を持つことで、知識や情報に頼らず、自分で思考を深める鍵となります。質問を通じて、予想を立てたり、疑ってみたりする探究心が育まれ、数学的思考が鍛えられます。これは教室に一人しかいない教師に対してする質問よりも、自分自身、もしくは友だち同士で質問し合うことのほうがより効果的です。自問自答することは思考の習慣です。

 

2. チャレンジすること

 予想を立て、それを検証し、修正する過程で数学的思考が発展します。正解を求めるだけでなく、予想を立てて挑戦できる環境を整えることが、子どもたちの成長に繋がります。「やってみよう」と思えるような環境には、ギャップを埋めるために条件文や求答文に立ち返ること、そして考え合える学習環境は欠かせません。

 

3. 振り返ること

 自己批判や異なるアプローチを求める姿勢が大切です。自分の考えを振り返ることで、方向性を修正し、他者との合意を求める力が養われます。「数値や式が正確か」「他の方法はないか」「どこで予想がひらめいたのか」「似たような問題はないか」「他の問題でも同じことがいえるのか」など、常に自分の頭をモニターすることとなります。

 

授業では、正解を求めることよりも、これらの3つの要素を育む文化を作ることが重要です。こうした文化が自然に数学的思考を育てるのです。こういった授業を続けていくと、どんなに美しい解法を見つけたり、どんなに難しい問題を解決したりしても、単に答えを得るだけでは満足できないことがあります。数学的思考の目的は、ただ数学的に考えること自体にあるわけではありません。むしろ、数学的に考える問題解決のプロセスを理解し、それを身につけることで、より広い分野の問題にも応用し、世界の理解を深めるための自己認識(豊かな気づき)を成長させることにあることでしょう。数学的思考は、このように算数・数学を通じて「気づき」を育てる上で非常に効果的な学問なのです。



 

2024年9月1日日曜日

国が想定する教師の「新たな職」

 2024(R6)年8月27日、文部科学省は「「令和の日本型学校教育」を担う質の高い教師の確保のための環境整備に関する総合的な方策について」という答申を公表しました。★1 教師の働き方改革はここ数年大きな話題となってきましたが、その更なる加速化。教員志願者の急激な減少が引き金となった教師の処遇改善、主に教職調整額の割合の引き上げ。さらには、学校の指導・運営体制の充実など。教師を取り巻く環境整備を、一体的・総合的な推進しようとする政策のパッケージです。

その答申文書の結びには、次のように述べられています:

「我が国の学校教育は、世界トップレベルの学力の育成や、知・徳・体にわたる全人的な教育の提供など国際的にも高く評価されている。このような結果の背景には、自己研鑽や学び合いによる教師のたゆまぬ努力と国際的にも長時間の勤務実態がある。

強い使命感や責任感の下で、時に自らを顧みることなく、子供たちのために尽力している教師には、まずもって謝意を伝え、心から敬意を表したい。

しかし、その中で教師が疲弊していくのであれば、それは結果として子供のためにはならない。そのような働き方が、教師の心の余裕を失わせ、意図と反して、教育の質を低下させてしまうことがあるとすれば、これほど悲しいことはない。」

この問題意識は、多くの方が共有できるものだと思います。私も賛同します。同時に、相当の危機感も読み取れます。

一連の政策パッケージの中で、目を引いたは「新たな職」の創設という部分でした。
答申の「(4)組織的・機動的なマネジメント体制の構築」の中に「新たな職の設置」という記述があります(p.41):

「現在は、こうした職務を主として教諭という同一の職が校務分掌の1つとして担っているが、若手教師へのサポートの充実を体制面でも支える新たな仕組みの構築も含め、ベテラン・中堅・若手層の教師が専門性を発揮し、効果的に校務を役割分担しながら、知識や経験の共有や継承を行う体制を早急に整備することが必要である。

このため、学校の組織的・機動的なマネジメント体制の構築に向けて、若手教師へのサポート機能を抜本的に強化するとともに、子供の抱える課題への対応や学校横断的な取組への対応について、学校内外との連携・調整機能を充実させるため「新たな職」を創設し、中堅層の教師をこの新たな職として学校に配置することができるような仕組みを構築することが必要である。」

しかも、

「なお、こうした職務については、教務主任や学年主任、生徒指導主事等のいわゆる省令主任として位置付けることも考えられるが、各学校において組織的に対応が必要な事柄については、地域や学校の状況により異なるとともに、その時々の状況により変動するため、個別に国が一律に法令上の位置づけを与えるよりも、「新たな職」となる教師に対する校長等の職務命令により地域や学校において柔軟に対応できる仕組みとすることが適当である。

また、具体的には第5章において詳述するが、「新たな職」が制度上位置付けられ、配置される場合には、その職務と責任に見合った適切な処遇を図るため、都道府県等において、給料表上、教諭とは異なる新たな級を創設することが必要である。」

各地域や学校が、その状況に応じた、新たな職を考案、創設し、しかも、その処遇についても、相応の仕組みを準備せよと書かれているのです。

これまで、学校における中間管理職的な職が、いたずらに増えてきたように感じていましたが、学校が真に必要とする「新たな職」を、学校が独自に研究し、創設するのであれば、大いに期待できるのではないかと思います。

まさに、このあたりに、私が「PLC便り」で繰り返し主張してきた、インストラクショナル・コーチング導入の糸口(というかチャンス)があるのかもしれません。

『インストラクショナル・コーチング』の筆者ジム・ナイト氏は、その終章「結論:コーチングと豊かな人生」に次のように記しています:★2

「豊かな人生とは、学びのある人生です。そして、学びこそがコーチングの中心にあるものです。私にとっての座右の銘とも言えるピーター・センゲの言葉を紹介しておきましょう。「学習を通じて、私たちは自分自身を再形成する。学習を通じて、以前は決してできなかったことができるようになる。学習を通じて、私たちは、自分の中にある創造する能力や人生の生成プロセスの一部になる能力を伸ばす。私たち一人ひとりの中に、この種の学習に対する深い渇望があるのだ。」コーチは、教室をよりよい学びの場にするために、教師と協力し、この「深い渇望」に働きかけるのです。そして、パートナーシップにより、教師がよりよい学習者に成長することをコーチが後押しするのです。この過程において、コーチ自身も、人や生徒、教え方、コミュニケーションなどについて学び続けるのです。」

先の答申の副題は、「全ての子供たちへのよりよい教育の実現を目指した、学びの専門職としての「働きやすさ」と「働きがい」の両立に向けて」でした。このことの実現に、もっともふさわしい「新しい職」は、このあたりにあるような気がするのです。

今、我々は、教師を取り巻く環境整備の大きなターニング・ポイントにあると言えます。このタイミングで、教師の成長を助け、教師の「働きやすさ」と「働きがい」をサポートしつつ、自らも学び、成長し続ける、そのような「新しい職」を、日本の学校は必要としているのではないでしょうか。



★1「令和の日本型学校教育」を担う質の高い教師の確保のための環境整備に関する
総合的な方策について~全ての子供たちへのよりよい教育の実現を目指した、
学びの専門職としての「働きやすさ」と「働きがい」の両立に向けて~(答申)
(令和6年8月27日)中央教育審議会

★2『インストラクショナル・コーチング』(ジム・ナイト著、図書文化、2024)まもなく発刊予定。

2024年8月25日日曜日

授業観の転換

 

『あなたの授業力はどのくらい?』(J・C・マーシャル/教育開発研究所/2022年p.72)

によると、すべての生徒に力をつけるために長年次のような方法が用いられてきたことが述べられています。

長年にわたって試みられてきた解決策は、教えて、模範を示して、練習させて、そしてテストをすることでした。この教師中心のアプローチでは、教師が教え、教師が模範となり、生徒が真似をします。そして、テストでは基本的に、教師が生徒に教えた知識を生徒が繰り返します。

これは、今でもわが国の多くの教室で見られる光景であろうと思います。それを変えていく必要性は何でしょうか。

前掲書によると、まず「生徒のニーズがこれまでの世代とは大きく異なっていることです。」とあり、また時代の変化により、これからの学習者には「クリティカルな思考、コミュニケーション、協働する力、創造力を発揮する」ことが求められているからだと指摘しています。この21世紀に求められる4つの力は、文部科学省の文書にも盛んに登場しますが、なかなか現場で実現するにはさまざまな困難があるように思います。

そこで、このうまくいかない理由を考えることが、教育を変えていく第一歩ではないかと考えます。

まず手がかりとして、近年日本で出版された授業論をテーマとした本のなかで、『授業づくりの深め方』(石井英真著・ミネルヴァ書房・2020年)を取り上げます。この本は、2020年6月に初版が出て、4年余りで9刷となっていますので、現場の先生方も多く買っていることがうかがえます。この本の「はじめに」で、著者はこの本の狙いとして「日本の教育現場や教育実践研究が蓄積してきた「現場の教育学」を包括的に整理・統合すること」をあげています。

そして、この本の第1章・第4節「授業づくりにおける卓越性の追求」において、「創造的な一斉授業」(練り上げ型授業)が取り上げられています。その授業を取り上げる理由として、「個々人の思考が組織化され思考が質的に深まっていく「練り上げ」のイメージ」(同書23ページ)を引き継ぐことで、形式的な参加型授業を超えて、「創造的なコミュニケーション」をつくり出すことが可能であると述べられています。

この「練り上げ」という言葉は50代以上の先生方には懐かしい言葉だと思います。私が指導主事をしていた90年代終わりから2000年代にかけて、教育委委員会の学校訪問などで盛んに授業に関する指導・助言の一つとして語られたものだからです。「練り上げ」は、学級全体で一つの課題について、さまざまな角度から意見を出し合い、決して一人ではたどり着けないような考え方や見方がそこから生まれるというダイナミックな指導方法です。これがうまくいくと、子どもたちに発見の喜びをもたらしたり、ものの見方の変容まで見られたりしたものです。

ただ、たとえ素晴らしい結果を生み出したとしても、これは「集団」による「一斉」授業であることに変わりありません。日本の授業研究はこのような、言わばこうした「名人芸」のような授業に価値を認め、授業研究などではそれを目指すことを目標としていた時代でした。私自身もそう考えていました。

しかし、その後欧米の授業に触れる機会が多くなり、その考え方を変えました。それは冒頭で紹介した『あなたの授業力はどのくらい?』の第2章「生徒中心の学習方法」に書かれているように「ベンチに座り続けた状態から、生徒を試合に参加できるようにする」ことを大切にするということです。これは、単に参加型授業という、ともすると形式的なものに陥りがちな方法論にとどまることではなく、授業観の転換というべきものです。たとえば、探究型の授業であれば、「教師が説明したり手本を見せたりする前に、生徒が探究するテーマについての理解の共有を行うことが必要」(前掲書80ページ)になります。また同時に、探究の主導権を子どもたちに「譲り渡す」ことが求められます。

「譲り渡す」は、アメリカンフットボールの司令塔・クォーターバックが他のバックの選手にボールを直接手渡すことなどを指します。(同様にビジネスでも仕事を次の人に引き継ぐ際にも使われるようです。)

これは授業観の転換として、大変重要なことです。もっとも、先ほどの『授業づくりの深め方』においても、「ここ一番の場面で、グループ学習を用いて子どもたちに大きくゆだねヤマ場をつくる」(同書144ページ)と、「ゆだねる」という単語が出てきますが、あくまでも授業の方法論の範疇だけの話です。なぜそこを限定的にしてしまうのか、もっと「譲り渡す」を学習の中心にすえてよいと考えます。

「譲り渡す」ことは教師が指導を放棄して、放任することではありません。もちろん教師の指導も入りますが、「生徒の興味関心が学習体験を主導」することが重要なのです。日本の授業論では「教師主体から子ども主体へ」とスローガンは掲げられていても、実際は「伝統的な練り上げ授業」というイメージにとらわれていることが大きな問題です。大学の教職課程の実務家教員たちも自分が現場でやってきた「練り上げ型授業」のイメージを捨てきれないので、当然学生にもそのような授業イメージで指導し続けます。

結果として、この10年くらいの大量退職・大量採用で学校に配属された新規採用の先生方は昔のままの授業スタイルを踏襲しているのではないでしょうか。

『学びの中心はやっぱり生徒だ!』(べナ・カリック+アリソン・ズムダ/新評論・2023年)の第1章に次のような文章があります。(同書9ページ)

いまだに私たちは、すべての人にたった一つのカリキュラムを与え、同一年齢・学年の生徒を集めて一斉に教え、たった一つのテストで学んだことを測るといったような文化に留まっています。

アメリカにおいても、こうした授業が行われていると思いますが、同様にわが国の多くの教室で続いています。先ほどの文の訳注には、この本の翻訳協力者からの次のようなコメントが掲載されています。(同書9ページ)

一人一台の端末を与えられても、紙の代替としての利用で留まっているケースが多いのが現状です。ICT能力の差もありますが、根本には、自分自身がされてきた『支配』を止めることができないという、心理的な問題が大きいように感じています。

教師自身がかつて子どもであったときに、教師によって学びを『支配』されてきた体験から、その『支配』の構造から抜け出すことができないという『連鎖のような教育現象をどこで断ち切るか、転換するかが大切』(同書9ページ)だということです。

先生方には、ぜひこのマインドセットの転換を早急に行っていただくことが重要です。そのための校内研修ならとても意味があります。おざなりの授業研究や研修は必要ありません。これが授業改革の第一歩です。今、「政治・経済・社会」のさまざまな局面で、「変われない・変わらない」ことによる弊害が噴出していますが、まず「教育」がその先鞭をつけて、時代の変化に合わせた「新しいステージ」に入ってほしいと思います。

※次回より私の担当は、都合により3か月に1回となります。

2024年8月18日日曜日

初任者とともに学校を変える

今年の5月。ある記事に目が留まった。それは昨年度採用された東京都新採用教教職員のうち、4.9%にあたる169名が離職したといった内容の記事であった(https://www.yomiuri.co.jp/national/20240424-OYT1T50229/)。

私は小学校教諭として自校の初任者校内指導教諭という立場にある。この立場になって今年度で3年目だ。毎年、1~3人の初任者が着任し、共に働いている。もちろん、この3年間でやめた教員はいない。しかし、周りの学校の様子を聞くと、実は多くの学校で記事にあるような状態が起きている。「5月の大型連休を迎えられなかった。」「休みがちだったが、遂に来られなくなってしまった。」そんな話を聞くたびに、私がどれだけ恵まれているかを実感する。

レベッカ・ピーターソンというある年の最優秀教師に選ばれた教師が「初任者教諭に向けてのアドバイス」として書いた記事を読んだ(https://www.edutopia.org/article/advice-new-teachers-teacher-year)。そこには以下の4点を実行することでなりたい教師を目指すことができると述べられている。

① 日々の振り返りをする。

よかったことやよりよくなるための手立てを出来る限り創り出せる手段(ブログ、メールでのやりとり、SNS等)を使って。

② 見通しをもって、積極的に手立てを打っていく。

何を学ばせたいのかを明確にした上でその過程を組み立てる。その上で、考えた手立てを積極的に実践し、①のように振り返りをする。

③ 協力し合う態度をもつ。

 自分と同じように子どもを教えたり、子どもと喜び合ったり、尊厳や思いやりをもった教師たちと協力し合うこと。一人で仕事を抱えるのではなく、仲間たちと仕事や感情的な負担を分け合うこと。これができると成長はより進む。

④ 我慢する。

 自分自身にも生徒たちにも忍耐強くいること。常に学び続ける。すぐに何か成功をおさめようとするのではなく、忍耐強く少しずつ自身の働き方をよくしていく。それが自分のスタイルを築き上げることにつながる。

どれも魅力的なアドバイス。その中で、私が特に注目しているのは③である。この記事では初任者に仲間を見つけることを提言している。だが、学校の体制として「初任者がよき仲間、先輩を見つけられる仕組み」を構築したらどうだろうか。その取り組みの一例が「メンターメンティー研修」である。初任者であるメンティーが先輩教諭であるメンターから様々な学びを見出していく仕組みである。私は大学院派遣教諭として大学院で学んでいた際、横浜市で進められていたこの研修制度に出会った。それからの4年間、自校でもメンターメンティー研修を充実させるべく、実践を続けてきた。

様々な成果と課題がある中で、一つ言えることがある。それは『初任者を育てることは学校を育てること』ということだ。この4年間メンターメンティー研修の充実を図る中で、若手教諭たちは様々な先輩から学び、自分なりに実践し、それを後輩の初任者教諭に還元するようになった。学校としてそのような風土が出来上がってくると自然と学び合う・支え合う教職員の関係が醸成される。この雰囲気は間違いなく子どもたちにも伝わり、よりよい学びや個性を輝かせる子どもたちの育成につながっていく。『「輝く職員室」が「輝く教室(子どもたち)」をつくる』。私はこの言葉を信じ、初任者と向き合いながら、学校組織がよりよいものとなるように全力を傾注していく。

**** 

 以上は、埼玉で初任者校内指導教諭をしている田所昂先生が書いてくれました。過去4年間、メンターメンティー研修をかなり計画的に行うことで、指導役の彼がいなくてもメンティー経験者たちがメンターになって動かせるまでになっているそうです。(横浜市のこの制度はもっと長いのに、そうなっているところはほとんど聞きません!★)これから、現場での具体的な取り組みを紹介してもらいます。 

★制度があるから、うまくいくのではなく、大切なのは当事者が制度を理解し、自分のものにし、それを年度を超えた視点で磨きをかけていくことです。その出発点になっているのは、『「教師力」向上の鍵 「メンターチーム」が教師を育てる、学校を変える!』横浜市教育委員会著です。「横浜市 メンター」や「横浜市 メンターチーム」で検索すると、ネットでも情報が得られます。メンターとメンティーの両者の成長が見られる事例をご存じの方は、ぜひPLC便り=pro.workshop@gmail.com宛にお知らせください。 

2024年8月11日日曜日

対話からはじめる 5つの対話の基礎力

夏休みに入り、普段ではじっくりと関われなかったけれども、長期休業の間は、これまであまり話せなかった人とゆっくり話をする機会が増えると思います。または、教員研修が続く日々!?を過ごす中、自分とは異なる価値観をもつ人との対話が増えるのではないでしょうか。こういった機会を通して、私たちは学び、成長していきます。

では、人が成長するために欠かせないものは何でしょうか。先に答えを言うのなら、それは「リフレクションと対話」です。これらは、人との出会いや他者との会話を通じて得られるものです。

しかし、対話の場において、一人でも評価や判断を保留できない人がいると、その場が壊れてしまいます。本人は気付いていないかもしれませんが、そのことに気付き、私たちは対話の場に貢献する仲間となることが重要です。一人で早く進むよりも、みんなで遠くへ行くため、「一人ひとりがリフレクションできること」と「対話ができること」が大切なのです。

ここでは、ふりかえりと対話を通じて、新たな価値や解決策を生み出す「創造活動」の手段としての対話の実践方法を紹介します。対話に参加する私たち一人ひとりが身につけるべき5つの基礎力とその実践方法についてお伝えします★。

 

ひとつ目の「リフレクション」とは、昨今、教育界でよく聞くキーワードとなりました。これは自己を客観的かつ批判的に振り返り、未来を創造する力のことを指します。自己を振り返り、批判的な姿勢で経験から学ぶことが求められます。OECDも指摘しているように、多面的・多角的に物事を捉える能力を養うためのひとつの有効な方法です。「一度こう思ったら私はもう考えない/考えをかえない」という姿勢では、真のリフレクションはできません。答えが明確にある場合にはそもそもリフレクションは必要ないのです。

 

ふたつ目の「対話」は、そのリフレクションの場となります。対話には、自分の安心して考えられる思考の枠を超えて他者と向き合う力が求められるのです。そこでは評価や判断を保留し、多様な視点に触れることで、自分自身の枠を超えることが重要です。リフレクションはどこか一人になって熟考するものだけではなく、対話の中で行われるダイナミックな活動なのです。

対話を効果的に行うためのポイントは次の通りです。相手の世界に対しても同じように耳を傾け、その背景や理由を理解しようとする姿勢が大切です。

1. 自己内省: 自分の考えを客観的に振り返ること。

2. 共感の聴き方: 相手の意見だけでなく、経験、感情、価値観にも焦点を当てて聴くこと。

また、よくあるディベートと対話には違いがあります。ディベートは自らの主張を変えず、リフレクションを必要としません。正当性を示すことが目的です。一方で、対話では「主張は変わりうる」ものであり、傾聴と相互学習を通じて、自己の中に変化が生じます。すべての参加者が関わることで、共創が生まれるのです。つまり、対話は共創のための手段であり、対話を通じて共に創り上げることが目指されます。

さて、あなたの職場の職員会議や学年会はディベートと対話どちらになっていますか。対話には、異なる考え方や、自分には全くない発想に慣れていくことが求められます。「その発想は全くありませんでした。もっと教えてください」や「真逆ですね。意見の背景を教えてください」といった会話が交流されることから始められます。この意見の違いを賞賛する文化こそが、多様性を活かし、これまでにない創造性を発揮できる鍵を握ります。共通点のみに焦点を当てるチームは多様性を失ってしまいますが、それぞれの違いを尊重するチームは、多様性を活かすことができます。

 




それでは、対話の5つの基礎力を紹介します。

① メタ認知

メタ認知とは、自分が何を考えているかを認識する能力で、理解や学びのプロセスにおいて重要です。この力を高めるには、自分の内面を客観的に見つめ、考えがどこから来ているのかを問いかけることが必要です。

対話においては、「なぜそう考えるのか」を自分の外にある事実ではなく、内側のメンタルモデルに求めます。意見の背景には、過去の経験を通じて形成された見方(メンタルモデル)が必ず存在するためです。そのため、自分の内面を客観的かつ批判的に振り返るリフレクションが重要になります。批判的とは、多面的・多角的に捉えることを意味します。

メタ認知の「4点セット」として、意見、経験(知っていることも含む)、感情、価値観があります。感情に紐付いていない経験は記憶に残りにくく、感情を伴うことで価値観が明確になります。

 


② 評価判断の保留

評価や判断を一時的に保留し、自己内省を行うことで、他者への共感が生まれます。評価を保留できないと、新しいことを学ぶのが難しくなります。対立の原因は意見の違いではなく、判断基準の違いにあります。人々が守りたい価値観を理解し、その背景を探ることが重要です。価値観レベルでの合意は難しいかもしれませんが、習慣化することで可能になります。

リフレクションを通じて「自分」と「自分の考え」を切り離すことが必要です。評価を保留することは、自分の意見を捨てることではなく、ネガティブな感情をコントロールする手段です。相手の意見が自分の大切にしているものを脅かしていると感じたとき、その感情を理解し、コントロールすることで、相手の話に耳を傾ける姿勢が整います。評価の保留は傾聴のための手段であり、自分の意見を永遠に手放すものではありません。傾聴が終われば、再び自分の意見に立ち戻ることができます。

 

③ 傾聴

傾聴とは、相手の意見だけでなく、その背景や経験、感情、価値観を理解しようとすることです。「他者に共感する」とは、他者の立場になって考え、理解してみるということであり、共感は「他者の靴を履いてみること」と説明されることもあります。

ここで注意してほしいのが、共感は、相手に賛同することでも、相手に感情移入することでもないということです。意見に対して反応するのではなく、その背景を知り、理解しようとする姿勢が重要です。あくまでも、相手がどう考えているのか、どんな気持ちなのか、それはなぜなのかを、相手の立場になって深く理解することを意味します。

 

④ 学習と変容

傾聴を通じて得た新たな視点を自分のものとすることで、学習と変容が生まれます。学習と変容のプロセスには、まず相手の世界を想像し、次にその世界に共感し、最後に新しい視点を手に入れることが重要です。

対話を通して相手の世界を傾聴できたなら、その学びを自分の世界に取り込みます。対話における学習とは、傾聴を通じて得た情報を自分のものにするプロセスであり、それが変容をもたらします。この学習は、自分の意見を変えることや、相手の意見に賛同することを意味するのではなく、対話を通じて自分に新たな視点を加えることを期待します。

たとえ相手の意見に賛同しなくても、傾聴を行えば、相手がそう考えるに至った経験や大切にしている価値観を知ることができます。これにより、自分の知らない世界を知る機会が生まれます。

対話における学習と変容は、相手の世界を想像し、共感し、新しい視点を得るという3つのステップで進行します。相手のメンタルモデルを理解し、共感し、新たなものの見方を取り入れることで、自分自身も変容していくのです。

 

⑤リアルタイムリフレクション

対話に参加している際に自分に起きていることを俯瞰し、自分の言動と内面をメタ認知することです。 リアルタイムで自分を振り返ることで、対話の質を高めることができます。

私たちは人間ので気をつけていても評価判断をしてしまうことがあります。大切な事はその瞬間に自分が評価判断を行っていることに気づき、自分の中のネガティブな感情を制御し、評価判断のスイッチをオフに切り替えることです。なかなか簡単なことではありませんが、評価判断の保留を習慣付け身に付け、徐々に難易度の高い対話に挑戦していくことが求められます。

 

 

創造的な知識は、一人で生み出すものではなく、個別化されたものでもありません。一人で考えることには限界があります。チームでリフレクションと対話を繰り返すことで、多様な学びを得ながら、新しい価値や解決策を創造できるのではないでしょうか。

 

 

★熊平美香『ダイアローグ 価値を生み出す組織に変わる対話の技術』第1章参考

 

2024年8月4日日曜日

コミュニケーション力とパッション

コーチングの成否を握る重要な要素の一つがコミュニケーション力だと思います。

コーチングの基本的な考え方は、質問型コミュニケーション、すなわち、「聴く」「問いかける」「フィードバックを与える」という3つの基本的行為を使い、相手にとるべき行動を選択してもらうことだと言われています。

そのためには、(1) 答えは本人がもっているという確信をもつこと (2)コーチングの対象の強力な味方になること (3)コーチングの対象が選択して自発的な行動(アクション)を促すことが大切であると言われます。コーチングは、円滑な人間関係づくりと、意欲や新しい発想の引き出しを(コーチングに関わる両者に)可能にするものだと言えそうです。「批判する、責める、文句を言う、ガミガミ言う、脅す、罰する、ほうびで釣る」などの外的コントロールでは得られないものです。

間もなく出版予定の『インストラクショナル・コーチング』では、コミュニケーション力については、一章まるごと割さかれていて、筆者のジム・ナイト氏も、重視していることが分かります。★1  同書では、主に質問と傾聴の二つに分けて、詳しく論じられていますが、これ以外にも、コミュニケーションにとって重要な要素はたくさんあると思います。

その一つが、パッション(情熱)かもしれません。

人を説得し、動かすための3要素として、アリストテレスが、ロゴス(論理、納得感、思想)、エトス(信頼、徳、倫理観)、パトス(熱意、感情移入、共感)があげていることはよく知られています。人を説得するときに、もちろん論理的な説明は必要だし、信頼感も欠かせない、しかし、それらは、一部にしか過ぎない。人の説得においては、パトス、すなわち、感情がとても大きな役割を果たすと考えている人は多い。★3

感情と強く結びついたことは、忘れない。心に刻み込まれる。脳に「溶接される」と表現する人もいるほどです。

皆さんは最近、心が揺すぶられるような経験をしたことがありますか?

YOASOBIというユニットが大変人気です。岸田首相が訪米の際、バイデン大統領の公式晩餐会に招かれたことで多くの人が驚きました。小説をもとに音楽をつくるというコンセプトの、若者たちに圧倒的な支持を受けているユニットです。若いミュージシャンにありがちな奇抜さはなく、ごく普通の真面目な若者が、音楽と真摯に向き合っている姿がとても好感をもて、私は年甲斐もなく大ファンになりました。

この2人が、NHK18祭でやった HEART BEATという曲のパフォーマンスには、心が震えました。これは、YOASOBIの2人が、18歳世代の様々な想いを聞き、インスパイアされて制作した曲「HEART BEAT」。この曲を、1000人の18歳世代の若者たちとYOASOBIが創り出した一回限りの感動のパフォーマンスということです。とにかく、若者たちの表情を確かめながら、曲を楽しんでください。

https://www.youtube.com/watch?v=LX2nTwdOXRE

私が教えている若者たちも、この年代ですが、私は、この若者たちの心を、ここまで震わせることができただろうかと、心の底から自問しました。

できていないと思いました。今は、世界的なミュージシャンとなったYoasobiと同じことができないとは思うけれど、やはり、何か自分に欠けているものを、もう一度探そうするきっかけになりました。

ありがとう。


★1『インストラクショナル・コーチング』(ジム・ナイト著、図書文化、2024)まもなく発刊予定です。


★2  カーマイン・ガロ[井口耕二訳] (2019) 『伝え方大全』日経BP, p.63. 


★3  「YOASOBI 18祭」

アーティストと1000人の18歳世代が共演する一夜限りのステージ『NHK18祭(フェス)』。さまざまな悩みを抱えた若者が集まり、練習を重ねたパフォーマンスでひとつになる。「初めて全力で自分を表現できた」「涙が止まらなかった」「この体験は一生の宝物」。1000人の歌声とほとばしるエネルギーが心を打つ奇跡のステージの模様を届ける。