2024年4月14日日曜日

疲れたときこそ『センス・オブ・ワンダー』

新学期が始まり、子どもたちの登校を指導するために朝の街へ出かけました。その日は残念ながら大雨でしたが、新しい制服を着た中学生たちに紛れて、子どもたちは狭い場所で傘を広げつつ、元気にあいさつを交わしながら登校していました。

通常、雨の日は不快感や面倒を感じるものですが、この日は少し違った感覚を覚えました。雨が傘に打ちつける音、春のぬくもりを帯びた風、そして桜の花びらが一斉に舞い散る荘厳な光景など、新たな自然の美しさを感じ取ることができたのです。

新年度の4月がスタートし、2週間が経過しました。準備に全力を尽くした結果、身体だけでなく心も疲れを感じている時期です。年度末からの積み重なる疲労があり、やる気も少しずつ落ち始めていました。このような状況で、自分を取り戻す必要性を痛感していました。教職に20年以上従事している私でも、この時期は非常に厳しいものです。特に、若くて新しく着任した先生たちにとっては、さらに困難を感じる時期でしょう。

こんな時には、自分を自然の中に没入させる経験が特に重要だと感じています。心を落ち着かせ、再び自分自身を見つめ直す手助けとなるために、私がおすすめする1冊の本があります。

それはレイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』です。レイチェル・カーソンは、環境意識、政策、教育に大きな影響を与えた人物で、自然界との関わりやその保護への関心を世代を超えて喚起しています。この春には、独立研究者である森田真生による新訳と解説が加わり、自然の豊かさをより深く理解する新たな視点を提供しています。この一冊が、自分自身を取り戻すための貴重な助けとなるはずです。

 

この本の中で特に心に響いた言葉があります。「知ることは感じることの半分も大切でない」というものです。私たち教育者は知識を教えることに重点を置きがちですが、感じることを後回しにすることもしばしばあります。このように、授業をただ進めるだけでなく、生徒たちの感情に訴えることがおろそかになると、心がすり減ってしまい、教師としての本来の目的に疑問を感じるようになるかもしれません。仕事の量が多いからや慣れていないからではなく、私たち自身が原体験を通じて自分を取り戻すことが必要なのです。心の疲れは、私たちが忘れがちな感情の部分を再発見することで癒されるのです。

 

最近、大妻女子大学の久保健太教授から学んだ内容にも触れたいと思います。彼は主体性には「主体性A」と「主体性B」があると述べています。私たち教員はしばしば主体性B、つまり課題をこなす能力が強調されがちですが、本来は主体性A、つまり自分の内部から湧き出る感情や感覚を大切にすべきです。これを「心が動く主体性」とも言えるでしょう。レイチェル・カーソンが述べた「知ることは感じることの半分も重要ではない」という言葉は、まさにこの主体性Aを育むための重要な示唆と言えます。感じることを通じて、私たち自身の野生の感覚を呼び覚ますことが、教育の本質につながるのです。

 

一方で、主体性Bは、感じた感覚を整理しながら「する/しない」を判断する能力です。これは頭が主導する主体性であり、OECDが言及するエージェンシー(行為主体性)がこれに該当します。主体性Aを十分に感じた後に、主体性Bを通じて知識を深めることの重要性が明らかになります。しかし、学校教育はしばしばカリキュラムを予定通り進めることに焦点を当て、生徒たちが持つ主体性A、つまり感じる力を見失いがちです。この問題は子供たちだけでなく、多忙を極める教員たちにも当てはまります。心と頭が連動しているとき、真の主体性が発揮されます。

 

成長や育成とは、「するか/しないか」の判断を複雑にし、体を使い心を動かすことです。レイチェル・カーソンのように生きることが目指せるといいです。大人にとっても必要なのは、自らの制約を解除すること。子どもたちが砂浜を見つけたら裸足で歩くように、大人も子どものようになって裸足で歩いてみましょう。自然の一部になることで、自分自身の小さな存在を実感し、内面から湧き出る主体性Aを感じることができるはずです。日常の中に心を休めるスペースを作ることが重要です。私自身も、子どもたちと朝の校庭で自然を満喫する時間を持つことで、精神的なバランスを保っています。

 

週末は、自然を楽しむ時間を大切に過ごせるといいでですね。遠足の下見ではなく、ただひたすら自然を満喫するために散歩に出かけることをおすすめします。春の空気を吸い込むことで、センス・オブ・ワンダーを引き出し、新たな感覚を呼び覚ますことができるでしょう。

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