前回(1/28)は歴史を学ぶということはどういうことかを考えました。今回は、歴史叙述についてまず考えることにします。
「歴史叙述」とは、ごく簡単に言えば「歴史をある立場からみた歴史像」と呼べるものです。したがって、歴史上のあるできごとに対して、複数の歴史像が存在することになり、教科書で語られている歴史は大方の歴史学者が認めた歴史像ということになります。
次に、この「歴史叙述」について、「明治維新」を例に考えることにします。それはここでも何回か紹介した岩波新書の『シリーズ 歴史総合を学ぶ②』の『歴史像を伝える』(成田龍一)でも取り上げているテーマだからです。そこでは、歴史学者の井上清さんの『日本の歴史』(岩波新書・上中下1963-1966年)が引用されています。マルクス主義理論を背景にもつ井上さんの明治維新に対する見立ては「日本人民による近代民族・国民として自由と統一と独立をたたかいとる画期的な前進の第一歩」であり、大きな流れは「封建社会の廃止」→「資本制社会への移行」ととらえています。ですから、「江戸時代の前近代・封建社会」から「資本制社会」へ移行し、最終的には「社会主義体制」へというマルクス・レーニン主義の枠の中でものごとを考えているわけです。実は、前回も書きましたが、私の中学時代の社会科教師はこの歴史観の持ち主でした。したがって、江戸時代の封建社会は農民などが悲惨な生活を送った「暗黒の時代」であるというのがその先生の「歴史叙述」でした。実はこの考え方もまた一つの「歴史叙述」だったわけですが、当時中学生であった私にとってはその後の人生に大きなインパクトを与えるものでした。
したがって、その後20年近く私は江戸時代を「暗黒の時代」ととらえていました。それがどうも「暗黒時代」だけではなさそうだと気づき始めたのが30代に入ってからです。このように一つの歴史叙述のみが正しいということはないということです。先ほどの明治維新についても、たとえば、司馬遼太郎の『坂の上の雲』などでは維新後から日清戦争・日露戦争へと向かう日本が陽の当たる坂道を登っていくような高揚感とともに描かれています。その後は大正デモクラシーの時代を迎えるわけですが、世界的な不況を契機に、経済的な苦境を打開するために、他国を侵略するという帝国主義的な方向に進んだのはご承知のとおりです。なぜ、こうした方向に進み、その後破局を迎えるようなことになってしまったのか、司馬さんに言わせれば、その期間は日本にとって、消し去りたい時代なのです。
もっとも、明治維新のときに「尊王攘夷」がなぜあれほどまでに簡単に「尊王開国」に転換してしまったのか、そこのところをきちんと総括しなかったのがまさにその要因なのだというのが、文芸評論家・加藤典洋さん(1948-2019)の主張です。これもまた一つの「歴史叙述」です。詳しくは加藤さんの著書『増補 もうすぐやってくる尊王攘夷思想のために』(岩波現代文庫・2023年)をお読みください。(ちなみに加藤さんはアジア・太平洋戦争後の「反米」から「親米」への大転換も明治のときの構造と根は同一であると述べています。)
このように一つのできごとをめぐって、様々な歴史叙述があり、どれか一つだけを取り上げて、これが事実なのだと主張することには当然無理があります。したがって、授業という「歴史実践」では、生徒たちがいくつもの歴史叙述を手がかりに、そのできごとを検討し、話し合うことが重要になってくるわけです。そこで、思い出すのが「テキストセット」という考え方です。これは以前にここでも取り上げた『教科書をハックする』(新評論)で紹介されたものです。それは、教科書以外に雑誌や新聞の記事、書籍(フィクション・ノンフィクション)、手紙や日記、写真やイラスト、伝記やインタビューなど、およそありとあらゆる情報源を授業で使う資料とするという考え方です。もちろん教師だけがこれらの情報源を集めてくるのではなく、図書館司書の力を借りたりして、授業に関係する資料を可能な限り集めてもらったりするものです。こうした「テキストセット」の考え方を授業にもち込めば、当然授業は「探究型」のものになります。教科書の記述を疑うことなく、そのまま暗記することが学びであり、ペーパーテストで正確にそれを再現できる人間が優秀なのだという固定観念から決別したいものです。授業としての「歴史実践」については、また別の機会に考えてみたいと思います。
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