2023年8月13日日曜日

沈黙の危機 『はだしのゲン』の削除と平和教育

私の勤めている学校では、平和教育の取り組みが重視されています。6年生では、東京大空襲の直接の被災者からその体験を伺う機会がありました。もう90歳の高齢の方でしたが、体験談は空襲の直後の困難な日々や、孤児としての生活の中での試練を描写していました。教科書だけでは知ることのできない、戦争の真実やその後の厳しい現実が子どもたちに伝わりました。特に、困難な状況下でも未来を信じて前に進む力強い物語は、子どもたちの心に深く刻まれました。


2学期には、広島市に住む被爆の影響を受けた世代の方々から、その時の体験談を直接伺う機会が設けられています。そして、修学旅行で広島を訪れることにより、子どもたちは戦争の痕跡を目の当たりにします。しかし、本校の教育の目的は、日本の被害だけを強調することではありません。日本軍が海外で行った行動や、その背景にある歴史もしっかりと学び取ることで、戦争の全体像を冷静に、そして公平な視点から理解することを目指しています。


このような経験を通じて、平和の価値やその重要性を再認識することができます。ただ知識を伝えるだけでなく、子どもたちが平和の尊さを感じ、その大切さを伝えることだと考えるようになれました。

公立小学校での勤務時代を振り返ると、平和教育に対する取り組みは、現在とは大きく異なっていました。当時の多くの地域や学校は、平和教育に対して消極的で、その背景にはさまざまな要因が考えられます。


一つには、戦争の事実や日本の加害行為についての教育が、地域や学校の間での論争や対立を生むことを恐れる声があったことが挙げられます。その結果、校内では「波風を立てない」ことが最優先となり、教職員間でも気を使い合う雰囲気がどこか漂っていました。このような状況の中で、子どもたちに日本の戦争に関する真実を教えることは、非常に難しいものです。私自身もそのような環境のため、平和教育に対する関心を持つことが難しかったのは事実です。今、もっと歴史から平和について学ぶべきだったと振り返って思います。



 

今年は教科書採択の年でもありました。教科書には、子どもたちが学ぶその内容があるため、多くの関心が寄せられます。しかし、時には偏った記述や、国に都合の良い情報のみが掲載されることがあります。特に、歴史に関する教科書記載は、その時代の社会的背景や国際関係によって、記述が変わることも少なくありません。


最近の東京オリンピックは賛否が分かれる大きなイベントでしたが、どのようにそれを記述するかは非常にデリケートな問題となります。多くの新しい教科書では、オリンピックの良い側面ばかりが強調されている現状も気がかりなところでした。

 

先日、NHKのクローズアップ現代「『はだしのゲン』はなぜ “消えた?」★でも、広島市の平和教育副教材から漫画『はだしのゲン』が削除され波紋が広がっていることが報道されました。『はだしのゲン』は、日本の戦争体験とその後の復興を通して、平和の大切さや家族の絆、人間の持つ強さと弱さを描いた作品です。原爆が投下された広島で、戦中戦後の苦難な時代を生き抜こうとする少年を描いた同作は、累計発行部数1,000万以上、世界各国で読み継がれてきました。そんな『はだしのゲン』が、なぜ平和教育の副教材から削除されたのでしょうか。





教材の内容や教材の選定は、時代や社会の背景、教育方針によって変わることがあります。広島市教育委員会が『はだしのゲン』を教材から削除した背景には、さまざまな要因が考えられます。NHKの番組で取り上げられたように、教育委員会からの公式の理由としては「現場で使いにくい」というものが挙げられていましたが、実際の背景には他にもさまざまな要因があったことを想像してしまいます。


副教材で削られた『はだしのゲン』の内容は、家族のため、ゲンは弟のしんじとともに街角で浪曲を歌い、お金を稼いだり、他人の庭先で鯉を釣ってその生き血を栄養不足の母に与えたりします。これらのエピソードは家族愛の深さを伝えるものとして、取り上げられていました。しかし、その場面だけではなく、戦争の悲惨さや平和の尊さを伝えるための教材としても有効な場面は他にもあります。ゲンの物語を通して、戦争の恐ろしさや平和の大切さ、そして人間の持つ希望や絆を学ぶことができます。教育委員会は、ゲンとしんじの浪曲が時代にあわず、子どもたちが理解しづらいと言う理由で削除したようです。


私も気になったので、改めてこの夏、『はだしのゲン』を読み直しました。『はだしのゲン』は、核爆弾の直接的な影響だけでなく、その後の生活の困難さを深く描写しています。私が小学生の頃に読んだとき、原爆の恐ろしさは印象に残りましたが、今、読み直してみると、それ以上に生き残った後の日常の厳しさが心に刻まれました。全7巻の中で、6巻にわたって特に原爆後のゲンの生活を中心にその多くが描かれています。彼が新たにむすんだ友情や愛情が、原爆症の影響で次々と失われていく様子は、非常に心を打つものがあります。このような作品は歴史の教訓として、戦争の実態やその後の影響を伝えるために、工夫をしながら大切な教材としても次世代にも読み継がれるものだと感じています。



 

平和は、単なる戦争の不在を意味するものではありません。それは、相互の理解と尊重、そして対話を通じて築かれるものです。近年、国際的な緊張が高まる中で、核兵器や原子力発電所の存在が再び注目されています。広島市で開催された5月の先進7カ国首脳会議(G7サミット)では、核軍縮文書「広島ビジョン」で全ての者にとっての安全が損なわれない形での核兵器のない世界の実現や核抑止の堅持に触れられた。核の抑止力に関する議論がなされましたが、核の存在が真の平和をもたらすのか、その問いは今も私たちに投げかけられています。


教育の場で、子どもたちと「自分にとっての平和」とは何かを考えることは、非常に価値のある取り組みです。それは、子どもたちが自分自身の価値観や考えを形成する上での大切なステップとなります。そして、その中で武力によらない平和の重要性を伝えることは、彼らが将来、多様な価値観や背景を持つ人々と共に生きていく上での鍵となるでしょう。


8月は、広島と長崎の原爆投下を追悼する月として、私たちは平和の大切さを再認識する時期です。平和教育の重要性を再確認し、関心をもつこと、話題にすること、疑問をもつこと、声を挙げることなど、未来の世代に平和の価値を伝えるための大切なステップとなるでしょう。私たちは、同じ過ちを繰り返しません。


★ NHKクローズアップ現代 202382()「はだしのゲン」はなぜ “消えた

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4811/

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