このところの円安による貿易収支の赤字が気になります。確かに日米の金利差によるドル買いも大きな要因なのですが、何よりも日本の産業の「稼ぐ力」が衰退としていることが気になります。
今から30年前は世界の半導体企業のベストテンのうち、6社が日本企業でした。(NEC,東芝,日立,富士通,三菱,松下)ところが今やベストテンには日本企業は1社もありません。(30年くらい前、私はちょうど県立の科学館に出向していました。ある企画展のための準備で日立の中央研究所を訪問して、当時最先端の半導体研究について話を伺ったことがありましたので、まさに隔世の感があります。)
なぜこのような日本企業の凋落が起きてしまったのでしょうか。その原因解明の手がかりになりそうなのが、『平成時代』(吉見俊哉・岩波新書2019)です。
同書52ページの記述です。
この失敗の第一の要因は、日本の主要な電機産業が、テレビ時代の終焉とモバイル型ネット社会の到来を十分には認識していなかったことである。2000年代、彼らはテレビの製造工場への大型投資を進めた。パナソニックは07年から薄型テレビに毎年2000億円前後の投資を続け、シャープは09年、社運をかけて大阪府堺に液晶パネルの巨大工場を建設した。いずれもアナログ放送から地上波デジタル放送への移行を見込んだ投資だったが、この頃にはもう「放送」から「ネット」へのメディア転換を予見できたはずだ。プラズマだろうが液晶だろうが、テレビはもはや私たちの生活の基幹的なメディアではなくなりつつあった。その未来を見通すならば、「地デジ特需」を当て込んでこの時期に巨大なテレビ工場を国内に建設するのは、あまりに近視眼的選択だった。
また、もう一つの凋落の要因として、それまでの日本企業が得意としていた「系列」「下請け」の垂直的な分業体制が国際的な水平分業に対応できなかったことが挙げられています。要は「家電から重電までを手掛ける日本企業」にとっては、半導体を始めとする電子産業はいくつかある分野のひとつにすぎず、それで会社が潰れることはないと、甘く見ていたようです。
1990年代「半導体分野」で世界トップに君臨していたNECはその後どうなったのでしょうか。実はNTTの通信部門との取引に安住してしまい、自分の頭で考えることを放棄してしまったようです。また、IBMと互角の戦いをしていた富士通も時代の変化についていけず、脱落しました。想像力の問題と言ってしまえばそれまでですが、コンピュータが計算の道具からコミュニケーションの道具に変化する未来を見通すことができませんでした。こうしてこの30年余りの期間で、「電子立国」(かつて1991年からスタートしたNHK特集の番組タイトルでもありました)は消滅しました。
これに変わる産業と言えば、「自動車」でしょうか。系列・下請け併せて数万社という自動車産業も日本の稼ぐ力の一翼を担ってきました。しかし、クルマもテスラや中国勢を始めとする電気自動車(EV)の台頭により、もはや完全に出遅れです。なまじ技術があるからこそ、ガソリン車とEVの中間を取った「ハイブリッド」にこだわり続けた結果かもしれません。EVになればエンジン製作の関連・下請け会社は必要ありません。その転換を考えると、おいそれとは変われなかったという事情もあります。しかし、結局は先ほどの半導体同様に「先を見通す力」がなかったのです。それまでの成功体験が大きかったために、そこから踏み出して新たな挑戦をする勇気に欠けていました。
そういえば、デジタル庁ができて1年以上経ちます。
デジタル化の究極の目標は、お役所の「紙」をなくすことではないでしょうか。まだ「ハンコ」の廃止すらできていませんから、「紙」をなくすことには相当の抵抗が予想されます。
近年、電子政府先進国として有名なエストニアでは、20年かけてほぼ行政手続きはすべて電子化が完了しました。何と電子化により行政コストは大幅に削減されたそうです。電子化に伴う人員の配置転換なども計画的に進める必要がありますが、国や地方の累積債務を減らすためにも、もはや避けて通れない道です。このあたりの話に興味のある方は、『イノベーションはいかに起こすか』(坂村健・NHK出版新書2020)が参考になります。坂村さんが1980年代に提唱した「TRON」は現在のIoT(Internet of Things)の一つの源流となったものです。なぜかこの「TRON」計画は日本では採用されませんでした。このあたりにも、日本衰退の原因があるようです。
「失敗から学ぶ」
このことを今一度考えてみたいと思いますが、いかがでしょうか。