2020年から新しい学習指導要領とともに、大学入試制度も大きく変わる。大学入試センター試験が廃止になり、大学入学共通テストになる。
思考力、表現力などを見るために国語と数学で記述式試験が導入されるし、英語では「話す」、「書く」を加えて4技能を測定するために、民間機関による外部テストが導入される(この原稿を書いている真っ最中に英語外部試験の導入延期が決まった。このことについても書きたいことはあるが、別の機会に譲りたい。入試制度そのものよりも、現職文部科学大臣の教育格差容認発言の方がインパクトは強かった)。
しかし、政策として順風満帆とは行っていないようだ。
高校2年生の意見を取り上げた小林哲夫氏(教育ジャーナリスト)のレポート「筑駒生、大学入学共通テスト中止を訴える 「ぼくたちに入試を受けさせてください」(2019年10月18日)★1」が興味深い。
興味深いというよりも、取り上げた生徒の堂々とした主張に舌を巻く。新テストのプレテストについての考察が実に的確で、本質をついているのだ。皮肉な話だが、このような力をもった高校生が育つのであれば、つまらない「記述式問題」の導入などまったくもって不要だと思わされてしまう。
この高校生は、小林氏の「大学入試はどうあるべきでしょうか?」という質問に次のように答えている。
「本来、入試は大学が入学してほしい学生を選抜するために考えるものです。それを国が見繕って第三者に作らせた試験で試そうとする。これは大学の受験生選抜の意志に反していませんか。入試の仕事じゃないものを入試にさせている。入試を入試ではないものにしています。思考力、表現力を身につけさせたいならば、アクティブラーニング、ディベートのような営みは教育現場で行えばいい。それをたかだか1、2時間の入試で思考力、表現力を試すとか、まして、これらを民間に委ねるとか、やり方は間違っています。」
さらに、英語外部試験の導入延期に合わせて、国語記述問題導入も延期すべきという意見も出てきている。★2 新しい入試に対する意見が、ネット上でとにかく賑やかだ。高校生がかわいそうであるという意見があれば、高校として今後どのような対策を立てるのかかといった見通しを語ったものもある。
入試に、学校が振り回される。相変わらずの風景だ。
ナンシー・アトウエルの『イン・ザ・ミドル』に「ジャンルとしてのテスト対策」という考え方が紹介されている(p.235-236)。★3 「読み手を育てるミニ・レッスン」という章の中の一節だ。生徒が共通テストを受ける1週間前くらいに、共通テストがどのようなものかを知るための授業をやっているのだ。「自分たちが受ける共通テストの形式や何が要求されているのかを知って、その練習に2、3日かければ、十分に適応できます。」とさえ述べている。真の読む力さえついていれば、何も問題はないということだろう。
何という発想の転換だろうと思った。私にとっては、「ジャンルとしてのテスト対策」という捉え方は衝撃でさえあった。入試やテストで振り回されている我々とは対照的な姿勢だと思った。
テストや入試に、学校として、どのようなスタンスで臨むのか。これからの学校のあり方を考える時、避けることのできないテーマだと思う。入試突破や学力テストの点数アップを、学校の最も重要な目標として掲げる。何と小さな志だろうと思うのだが、皆さんはどう思われるだろうか。
---
★1 「筑駒生、大学入学共通テスト中止を訴える 「ぼくたちに入試を受けさせてください」(2019年10月18日) https://dot.asahi.com/dot/2019101800113.html?page=1
★2 「英語だけじゃない…大学入試改革の「国語記述式問題導入」の害悪」(2019年11月1日)https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191101-00068154-gendaibiz-life&p=2
★3 ナンシー・アトウエル(2018)『イン・ザ・ミドルーナンシー・アトウエルの教室』三省堂.
0 件のコメント:
コメントを投稿