今年の3月から、若い先生方とベテランの先生方と一緒に、「教育相談・学級経営」の学習会を始めました。6月の学習会では、特別支援教育に長くかかわってきたメンバーから、アドバイザーなどの経験を通しての話題提供・問題提起がなされました。その中の一つが、日本の学校文化、教師文化についてのものでした。
問題提起の中で、エピソードとして、次のようなことが紹介されました。
「ある小学校で、全校集会が行われた日のことです。子どもたちは、学級委員を先頭に、2列に並んで、教室から会場になっている学校の体育館に向かって移動します。2階の教室から体育館に移動していた4年生のあるクラスが、階段を下りて1階のフロアに着いたところ、体育館に向かう2年生の子どもたちと出会いました。すると、4年生の学級委員の子どもが、後ろを振り返って、自分のクラスの仲間に向かって「ストップ!待って!」と大きな声で言いました。4年生が階段で立ち止まっている間に、2年生の子どもたちは、先に体育館に向かって移動して行ったのです。」
そして、そのメンバーは、次のように話を続けました。
「これは、学校では、上級生として「当たり前のこと」なのかもしれません。日本の「学校文化」といってしまえば、それまでかもしれません。しかし、もしも、階段から1階のフロアに下りた4年生が、2年生に進路を譲らずに先に進んでいたら、どうなっていたでしょうか。おそらくは、下級生に道を譲らないことが、「よくないこと・行動」として、先生たちから注意されていたかもしれません。」
「でも、よく考えてみてください。4年生の学級委員の子どもが、「ストップ!」と仲間に声をかけ、階段のところで止まって、2年生を優先させた行為は、「よいこと」「思いやりのある行動」なのに、学校の中では、「当たり前のこと」ととして、特に注目されるわけでもなく、称賛もされなければ、教職員全体で情報共有されることもほとんどありません。」
私は、はっとさせられました。
私自身がこれまで勤務してきた学校では、教職員チームとしての子どもたちに関する「情報共有」として、なされてきたことの多くは、教師から見ての子どもたちの「気になる行動」や教師・大人から見ての「問題行動」についての情報共有です。もちろん、子どもたちの「よい行動」や「がんばっていること」、「成長したこと」について、報告がされることもありますが、おそらく、そのような子どもたちに関するポジティブなことの情報共有は、教職員全体でなされる情報共有全体のせいぜい30%ぐらいではないでしょうか。
月に1回開かれる小中学校の「生徒指導部会」、中学校で毎週行われる「生徒指導連絡会」や「主任会」、教職員全体で行う「朝の打ち合わせ」でも、生徒指導上の情報共有といえば、そのほとんどが、教師から見た子どもたちの「気になる行動」や「問題行動」です。これらについて、教職員全体で「情報共有」し、問題解決、つまり「気になる行動」や「問題行動」を改善したり、重大な問題にならないよう未然に防ごうという「予防的もしくは治療的な発想」が、日本の学校では一般的だと思います。
もちろん、このような「予防的・治療的な発想」による問題解決・問題改善のための「情報共有」も必要です。しかし、学校教育なのですから、「開発的発想」が優先されるべきです。
教師から見れば「当たり前のこと」かもしれませんが、学校生活や授業・学習における子どもたちの「望ましい行動」や「増やしたい行動」について、日常的に教職員全体で「情報共有」する時間やシステムをつくり、意識的にそれらに注目するのです。
そして、それらの行動に対する称賛や報告など、子どもたちへの「プラスのフィードバックやプラスのストローク(存在や価値を認める言動やはたらきかけ)」を通して、子どもたちの「望ましい行動」や「増やしたい行動」を強化していくことに対して★、日本の学校は、もっともっと力を注ぐべきではないでしょうか。
子どもたちだけではありません。私たち大人も含めて、その人のプラスの面・ポジティブな面に注目し、それらを強化することによって、「望ましくない行動(問題行動)」は、間違いなく減っていくのです。
★ 具体的な報告事例としてはhttp://ci.nii.ac.jp/naid/120005350209がありますし、教育分野の事例ではありませんが、認知症の高齢者への接し方でも大きな成果を上げています(http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3464/index.html)。
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