教師たちは「聴くこと」が大切であると生徒には言いますが、自分自身がしばしば生徒の声を聴こうとしていないことがあります。
これによってクラスにはどんなことが起きるのでしょうか。
教師が、生徒から正解を引き出すことだけに熱心であると言うことは、生徒たちには「あなたたちの考えに私は興味がありません」というシグナルを送ることです。結果として、生徒は「自分の本当の考えや理解していることを話すことよりも、教師の頭の中にあることを推測する」ようになります。いわゆる「正解当てゲーム」が授業のなかで進行することになります。
前回、「質問すること」の大切さを話題にしましたが、「浅い質問」「深い質問」という区別で言うと、「表面的な浅い質問」や「Yes or No」で答えられるような質問が授業時間のほとんどを占めることになるわけです。これでは、「思考力・判断力」など養うことができません。
そこで、「質問」の質を問うと同時に、教師が児童生徒の発言を「聴く」ということが重要になるわけです。児童生徒に発問しながら、子どもたちに考える時間を十分に与えずに、すぐに答えを要求してはいないでしょうか。だれしも、「沈黙の時間」を嫌う傾向がありますが、ここはじっくりと子どもたちに考える時間を与えることが大切です。
最近、このブログのパートナーの薦めで、質問に関することや「考えること」に関する本を読んでいますが、読めば読むほど、「よい問いを作るにはどうすればよいのか」ということや、「子どもたちの思考をどう高めていくか」ということが授業づくり(学びの場)の中心であること、さらにはそれらが「よく学べるようにするにはどうしたらいいか」ということに分かちがたく結びついてくるのだと痛感しています。そこに、もちろん「聴くこと」が密接に結びついてくるということなのです。
そして、この「聴くこと」が学校のなかで大切にされれば、教師や子どもたちの関係が確実によい方向に変わります。そうなれば、教師も子どもも、人として尊重され、信頼関係で結ばれるような共同体に近づくことができるのだと思います。
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