先週の話題は学校のビジョンづくりでした。
校長が一人で作っていたのでは、他の職員にとっては他人事です。
やはり、「校長先生という仕事」(平凡社新書)にあるように、
ビジョンづくりにはそれなりの方策が必要です。もちろん、職員だけではなく、子どもたちからも、保護者からも、地域住民からの声を聴くことが大切です。これによって、「地域とともにある学校」になると思います。
そして、肝心なことは、カリキュラムづくりです。
どのようなねらいをもってカリキュラムを作るのか、これが学校経営の中核になるようにしたいものです。学校の授業は「教科」で縦割りにされていますが、これは教わる方の都合ではありません。あくまで教える方の都合です。現実世界は今や複雑に相互に関係しているわけですから、学習も複数の教科にまたがった内容を取り扱うことの方がメリットが大きいと思います。
ここしばらく、教育課程関係の研究会に参加する機会が何回かありました。やはり、いいなと思う学校はカリキュラムを自分たちで苦労しながら作っています。お仕着せのものだったり、借り物の計画だったりすることは避けたいものです。校内研修も、もっとこのあたりについて、時間をかけてやるようにしたいものです。以前にもここに書きましたが、授業研究も結構ですが、いつまでもそれだけではだめなのです。
最後に、あるフォーラムで聞いた話を紹介します。
人は「しぐさ」ばかりでなく、「やる気」のような心情的なものも、人から人へと伝わっていく「共感的存在」であるということです。もし、そうであるならば、「私たちがこう学校を作りたい」「こういう社会を作りたい」という思いを強く持つことで、それが他の人々にも必ず伝わっていくということになります。
これこそ、学校の存在意義であると思いますし、私たち教育に携わる人間の役割であると思います。
悲観的な材料がたくさんある現状ですが、未来への希望を持ち続けていきたいものです。
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