小学校高学年を担任していると、ここ数年とくに「難しさ」を強く感じる場面が増えてきました。これまでは、先生の言うことを比較的素直に聞いていた子どもたちが、高学年になるにつれ、そう簡単にはいかなくなってきます。やりたくないこと、めんどうだと感じること、大変だと思うことに対して、率直に「嫌だ」「納得できない」と声をあげるようになります。自我が芽生え「自分はこうしたい」「これはやりたくない」という主張が、はっきりと姿を現してくるのです。
もちろん、こうした姿は担任との信頼関係があるからこそ見えてくる本音でもあります。学校の先生が言うから従う、という段階を越えて、自分らしさを模索し始めている証でもあるでしょう。子どもの成長として、民主的な学びの視点から見れば、とても大切なプロセスだと理解しています。それでも、正直なところ、担任としてはやりにくさを感じるのも事実です。
学校は集団で生活する場。一人ひとりの主張を丁寧に聞き取り、受け止めようとすればするほど、学級がうまく回らなくなるのではないかという不安が、担任すると常に
頭のどこかにあります。この葛藤は、高学年特有のものではありますが、どの学年を担任していても、形を変えて立ち現れる難しさなのだと思います。
さらに、中学校への進学を控えた時期の子どもたちは、さまざまな意味で過敏になっています。成長のプロセスとしての主張だけでなく、家庭環境や周囲の状況から生まれる不満や不安が、学校という場で強い言葉や反抗的な態度として表れることも少なくありません。
本来であれば、一人ひとりのペースを大切にし、その子なりの伸びを丁寧に捉えていきたい。そう思いながらも、学校の中には、それを簡単には許してくれない空気が常に漂っているように感じます。これは一体何なのだろうか、と立ち止まって考えることが増えてきました。
学校は組織として動いています。その組織を管理するために、学習の進路や「こうすればうまくいく」とされる指導法、数値化された評価の仕組みが整えられてきました。しかし、その仕組みそのものが、子ども一人ひとりを主体として認めることを、かえって難しくしているのではないか。そんな疑問を抱いていたときに出会ったのが、ガート・ビースタの『教育の美しい危うさ』でした。
ビースタはこの本の中で、教育を「予定通りに成果が生み出される技術的な営み」として捉えることに、強い違和感を示しています。教育は本質的に、結果があらかじめ保証されるものではなく、常にリスクを伴う営みであると述べています。子どもを思い通りに成長させることはできず、そこには予測不可能な応答が必ず生まれる。その不確かさこそが、教育を教育たらしめているのだ、といいます。
さらにビースタは、近年の教育が「学習」という言葉に過度に集約されていることにも警鐘を鳴らします。どれだけ学んだか、どれだけ成果が出たかという視点だけで教育を語ると、教師の判断や責任、そして子どもとの関係性が見えにくくなってしまいます。学習者中心という言葉は一見すると魅力的ですが、うまくいかなかったとき、その責任がすべて子ども個人に帰されてしまう危うさも同時に抱えています。
ビースタは、教育の目的を「資格化」「社会化」「主体化」という三つの領域で捉えました。知識や技能を身につけることは資格化、社会のルールや文化を学ぶことは社会化にあたります。学校教育では、どうしてもこの二つが前面に出やすくなります。しかし、ビースタがとくに重視するのは三つ目の主体化です。主体化とは、子どもが「自分はどう生きるのか」「この状況にどう応答するのか」を、自分自身の問題として引き受けていくことです。
高学年の子どもたちが見せる強い主張や反発、不満の言葉は、まさにこの主体化のプロセスの中で生じていると捉えることができます。大人から見れば扱いづらく、学級経営の妨げになるように映るその姿も、子どもが世界に対して自分なりの立ち位置を探している証なのだと、ビースタは示しています。だからこそ教育は、うまくいかない可能性を含み込んだ営みであり、その不確かさを排除してはならないのだと語られています。
また、ビースタにとって「よい教育」とは、成果や効率で測れるものではありません。教育とは、子どもが他者や世界からの呼びかけに出会い、それにどう応答するかを試される場であり、そこでは教師の意図を超えた出来事が必ず起こります。教師の役割は、子どもを思い通りに導くことではなく、応答が起こりうる場を整え、責任をもって関わり続けることなのだと述べられています。
このビースタの思想に触れたとき、教育は予定調和ではなく、リスクを引き受ける営みなのだという前提に、大きな安心感を覚えました。学級が揺れ動くこと、意見が食い違うこと、すぐにはまとまらないことは、失敗ではなく、教育が生きている証なのかもしれません。学校の仕組みをすぐに変えることは難しいかもしれませんが、その中で子どもたちが主体としての自分を発揮できるよう、形成的評価や一人ひとりに寄り添う実践の価値を、これからも確かめ続けていきたいと思っています。

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