3か月ぶりの登場です。前回11月には『一人一台で授業をパワーアップ!』(学文社・2024年)のなかで、当該書籍に収めきれなかった第9章に関連するお話をさせていただきました。今回は残りの一つ、第10章「つながりをもつ教師になる」を取り上げたいと思います。
この章の冒頭で、著者の一人であるニービー先生は、学習評価を見直すために、定期試験の代わりにディジタル・ポートフォリオの導入を同僚にもちかけます。もちろん、同僚も導入に賛成するのですが、具体的にどうすればよいのかわかりません。校内にはそのポートフォリオを知っている人はだれもいませんでした。そこで、彼女は学びのネットワークに次のような投稿をしました。
「国語の九年生と一〇年生の授業でディジタル・ポートフォリオを構築するための情報を探しています。何かよいアイディアはありませんか?」
すると、次の授業が始まる前までに、「ブログ記事の作成方法」、「ポートフォリオのサンプル」、「ルーブリック」など、多様な情報が隣町からオーストラリアに至るまで、世界中の教師仲間から届きました。このオンラインのネットワークのおかげで、期末試験の代わりとなるディジタル・ポートフォリオは何の問題もなく終了しました。
彼女は「X(旧:ツイッター)によって、仲間の教育者がノウハウを共有し、いつでも知恵を提供してくれるのは何とも心強い限りです。」と述べています。
そして、それに続けて、マルコム・グラッドウェルの『ティッピング・ポイント―いかにして「小さな変化」が「大きな変化」を生み出すか』(高橋啓訳・飛鳥新社・2000年)の文章を紹介しています。
「仕事上の関係者、同僚、友人、近所の人に連絡を取れば、おそらく誰かが助けてくれるでしょう。そういう使い方だけではもったいないので、同じ媒体をあなたの教育に活用してください。友人や近所の人は、グーグル・ドキュメントを生徒と共有する方法を見つけたり、どのブログのプラットフォームが授業に最適かを判断したりするのを手伝ってくれないでしょうが、教師仲間にはたくさんいます。彼らも知らない場合はどうすればよいでしょうか? そのためにより広いネットワークが必要です。」
これを読むと、人々の幅広いネットワークと緩やかにつながることで得られる利点について充分に納得できると思います。ですから、この一文の紹介に続く、次の文言は心に応えるものです。
「他の多くの職業では、仕事をする際のネットワークの必要性を重視しています。しかし、何らかの理由で、教師は歴史的に最も孤立した職業の一つであり続けています。」
この翻訳本の作成協力者から「その理由の一つに、教科書の内容をカバーするだけの授業を続けていれば、社会とは隔離されていても何の不都合もないからだと考えます。」というコメントをもらいました。まさにその通りです。社会とつながる学びを教室内で展開しようと思えば、保護者や地域と、あるいは企業や行政とつながる必要が生まれます。煩雑で時間と手間のかかる活動です。しかし、それをやるのとやらないのでは、「学びの質」が格段に違ってきます。しかし、そうせずに教科書をカバーする授業だけやっていても、給料はもらえて、しかもそのほうが楽なわけです。楽な方に身を置くか、面倒でも人とつながる学びをするのか、これはその教師の考え方、生き方そのものです。こうした場面で、身近なところ(校内だけでなく、地位の学校、あるいは広範囲の研究団体、オンラインのネットワーク)にモデルとなる人がいるかどうかが、その教師の生き方を決めるように思います。(これは、教室内で教師が子どもたちの学びのモデルになっているかどうかと同じことです。)
「叩けよ、さらば開かれん」ではありませんが、先ほどのニービー先生のように、アドバイスを周りの教師(オンラインも含めて)に求めれば、必ず助けてくれることが多いと思います。
『一人一台で授業をパワーアップ!』の第10章の最後は次のような文言で締めくくられています。
「アフリカのことわざに、「早く行きたければ一人で行きなさい。遠くに行きたければ一緒に行きなさい」というものがあります。ここからの道のりはあなた自身のものですが、あなたの学習をサポートし、あなたの進歩を応援してくれる多くのつながりのある教師とともにそれを成し遂げることができるのです。」
つながりをもつ教師であること、これこそが学校で求められているものの一つであることは間違いありません。
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