2024年10月13日日曜日

現場の声が求める教育改革 カリキュラムオーバーロードを見直す時

 

「先生ともっといっしょに遊びたい」

先日、クラスの子どもが私にそう言いました。教員として20年以上のキャリアを積んできましたが、振り返ると、以前は昼休みや放課後に子どもたちと一緒に遊ぶ時間がたくさんありました。しかし、いつの頃からか、学級の仕事や学年の業務に追われるようになり、子どもたちとゆっくり過ごす時間も気力も少なくなってきてしまいました。

そんなことを考えていたとき、朝日新聞の朝刊に「小学生で毎日6時間は『負担』 研究者らが授業時数を分析 本を出版★」という記事が目に入りました。紹介されていたのは『学校の時数をどうするか 現場からのカリキュラム・オーバーロード論★★』という本で、授業時数に関する分析が記されているとのことでした。興味を持ち、すぐにその本を取り寄せて読んでみたところ、納得できる内容ばかり。

現在、次期学習指導要領の改訂が検討されていますが、「少なく教えて豊かに学ぶ」ためには何が必要か、深く考えさせられるきっかけとなりました。

 

現在の子どもたちは、昔と比べて授業時間が大幅に増えてしまっています。1977年当時は、毎日5時間授業が基本で、放課後は友だちと遊ぶ時間もありました。しかし、今の小学生は、低学年でも6時間授業が多く、帰宅すると「疲れた」と言ってホッとする子どもが増えています。特に、外国語や道徳の授業が新たに増えたことで、子どもたちは余裕を失い、友だちと遊ぶ時間も減少してしまいました。

「カリキュラムオーバーロード」とは、教育内容が増えすぎ、学校や教師、子どもに過剰な負担がかかっている状態を指します。この問題は、日本では特に顕著です。日本の教育システムには入試を重視する文化があり、そのために多くの学習内容を教える必要があるという期待が強くあります。これが結果的に、教師や子どもに過度の負担を強いる形になっているようです。

 

学習内容は常に変化し、時代に合わせて新しい科目やスキルが追加されます。しかし、その一方で、旧来の学習内容は削減されることなく残され、新しい内容がどんどん上乗せされてしまっているのが現状です。その結果、学習の負担はますます大きくなっています。

特に、2017年の学習指導要領では、標準授業時数が過去最高の16時間に達しました。子どもたちは毎日6時間の授業をこなさなければならず、これにより授業の質を維持するのが難しくなっているだけでなく、教師が授業準備に費やす時間や、子どもたちとの対話や遊びを通じて関係を築く時間も削られているのが現実です。

振り返ってみると、1977年や1989年頃は15時間授業が当たり前で、教師も授業の準備にじっくりと時間をかけ、楽しみながら授業をつくり上げていました。しかし、1998年と2008年の学習指導要領の改訂では、PISAショックを背景にゆとり教育が批判され、外国語活動などの新しい要素が導入されました。2017年にはさらに授業時数が増加し、今やカリキュラムは過去最大級に膨れ上がっています。「これも必要」「あれも必要」と次々に新しい内容が加わる一方で、子どもたちがそのすべてを十分に学び取れるかどうかは、あまり考慮されていません。たくさんの内容を詰め込み、長時間の授業を行うことが本当に子どもたちのためになるのか、今こそもう一度見直す必要があるのが今なのです。

 

1972年に遠山啓が「日本の子どもたちは拡大したカリキュラムによって、学習が消化不良を起こしている」と指摘しました。それからすでに数十年が経過しましたが、現在でもカリキュラムの膨張は続いてしまっています。他の教科の時間が削減されることなく、外国語活動の授業時数が増えてしまい教育現場を混乱させてきました。このような学習負荷の増加は、子どもたちの学びに集中する時間を奪い、教師の働き方にも悪影響を与えているのが実感としてあります。

また、2017年の標準字数は歴代最高の授業時数を誇り、これに対して多くの教員が「負担が大きい」と感じています。さらに、働き方改革の一環として、授業時間を見直す声も上がっていますが、本来、子どもたちが民主的な自治について学べる委員会やクラブ活動の時間が圧迫されたり、働く時間を短くするために「家族とのふれあいを大事にしましょう」と、午後6時には退勤が決められてしまいます。本来、十分に検討すべき学校行事や子どもの姿について語り合われる場が失われ、先生たちの実践の自由や、主体生をくじかれるようなことが続いています。現行の学習指導要領ではこれらの「現場からの声」に十分応じられていない状況です。

 

カリキュラムオーバーロードを解消するためには、教育内容そのものを精査し、最も重要なコンテンツに絞り込む必要があると教育学者たちは指摘しています。しかし、単に内容を減らすだけでは解決にはなりません。白井俊や那須正裕といった研究者らは、特定の学問分野における重要な概念や思考パターンに焦点を当て、それ以外の内容を削減することで、子どもや教師の負担を軽減できると主張しています。

すべての学習内容には関係者が存在し、その削減には強い抵抗があるのも事実です。そのため、カリキュラムの目標を「資質や能力の育成」に置き、これに直結するコンテンツを優先すべきだと提案されています。しかし、学習内容というものは、どの場面においても「資質や能力の育成」と密接に関わっているため、単に「資質や能力の育成」という抽象的な基準で学習指導要領を整理することは、理想論にとどまってしまう可能性があります。

このような状況下で、書籍では、子どもや教師にとって最適な授業時間や学びの形態を再考するためには、1時間1時間の授業をどう充実させるか、そして子どもたちの学びの質を高めるためにどのような環境が必要かを「現場の声」から議論することが不可欠であると痛烈に批判していました。

 

カリキュラムオーバーロードの解決策として、小学校のガイドラインの提案が紹介されています。現行のカリキュラムが子どもたちに合っていないという問題を解決するためには、授業時間の見直しが不可欠です。1日の授業を5時間に制限し、週25時間以内とする提案があります。

 

小学校標準授業時数ガイドラインの提案

1.ガイドラインの必要性

学校現場の側から、子どもに合った標準授業時数の案を作成します。現在の標準授業時数の改善に向けた参考資料として役立てることです。長期目標としては、国が一律に標準授業時数を定めること自体に問題があることを踏まえ、再考を促すことを目指していきます。

2.授業時数の見直し

授業は15時間までとし、子どもに過度な負担や我慢を強いないようにすべきです。子どもたちや教師達から現場の声を聴き取り適切な授業時数を検討した結果、15時間が妥当でした。これにより、週25時間、年間875時間と設定されます。これはコロナ禍での実践を踏まえた数値でもあります。

3.新設教科の見直し

新たに追加された教科や領域の授業時数については、再検討すべきです。特に、2008年に導入された外国語活動は、その妥当性や効果が十分に検証されないまま、1日平均授業時数が5.8時間に増加しました。2017年にはさらに、平日16時間という負担が追加されました。これらの新設教科の影響を見直し、必要な修正を行うべきです。

4.評価の時数設定

授業時数は35の倍数で設定し、時間割をわかりやすくする必要があります。これにより、毎週の時間割作成や配布作業が軽減され、授業計画がより安定します。複雑な時間割のために事務作業が増え、多忙さを助長している現状を改善することができるからです。

5.特別活動の時数の確保

特別活動の授業時数を70時間に設定し、児童会活動やクラブ活動、学校行事の時間を充実させるべきです。2017年の標準授業時数では、学級活動には35時間が配当されていますが、児童会活動や学校行事のための時間は十分に確保されていません。このため、学校は複雑な管理を強いられ、正確な授業時数の把握が困難となっています。特別活動の時数も標準授業時数内で統一的に管理されるべきです。

6.時数のあるべき姿

現在の標準授業時数が「現場の実情」に即したものであるか、再考する必要があります。現場からの意見を反映させ、子どもや教師にとって最適な授業時間や学習環境を提供するための議論が今、強く求められています。




 

カリキュラムオーバーロードの問題は、子供たちや教師の負担を減らすために、今後も議論が必要です。特に、教育内容の精査や授業時間の見直し、現場の声を反映したカリキュラムの改善が求められています。子どもたちが少ない内容で豊かに学び、成長できる環境を整えるためにも、教育制度の再考が必要であり、この声を届けるのは、学習指導要領改訂の検討をしている今なのです。

 

 

「小学生で毎日6時間は『負担』 研究者らが授業時数を分析 本を出版」

https://www.asahi.com/articles/ASS9Z261RS9ZUTIL00HM.html

★★

大森 直樹 (編集), 永田 守 (), 水本 王典 (), 水野 佐知子 ()『学校の時数をどうするか 現場からのカリキュラム・オーバーロード論』(明石書店2024

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