見取り(および、それとほぼ同じ意味で捉えられることが多い「子ども理解」)の大切さを否定する教師はいないと思います。しかし、それが通常の授業で実際に行われている割合は、どれぐらいでしょうか? 文科省や各教育委員会は、見取り(および子ども理解)の大切さについて、発信していますが、どれだけ教師が実践できる形でそれらの情報を提供できているでしょうか?★ 大学の養成課程では、扱われているでしょうか?
文科省や教育委員会の資料を見ても、形成的評価の大切さに言及しているものもありますが、その具体的な方法は提供されているでしょうか? (ちなみに、文科省は20年以上前に「指導と評価の一体化」も高らかに掲げましたが、その実現からも極めて遠いところにあるのが今の教育現場の実態です。具体的な方法がいまだに提示されませんから。おそらく「指導と評価の一体化」を言い出した人たちや「見取りと子ども理解の大切さ」を書いている人たちは、その具体的な方法をいまだに見出せていないのだと思います。)
★常に「正論」的なことは書かれているとは思います。なにせ、間違えられない立場にある人たちですから。しかし、それを読んで「その通り。元気をもらえました。さあ、取り組もう!」という文章は書けないのが、彼らの限界でもあります?! 常に「正論」であると同時に、「上から目線」なのが、その理由でしょうか? それは、自分たちの役割を認識できていないから。同じことは、管理職と教師、教師と生徒、学校と保護者や地域等との関係にまで(ある意味では、すべての教育界に存在する関係に、どうしようもなく、悪い見本として)波及しているので、その(悪)影響は絶大です!
0 件のコメント:
コメントを投稿