文部科学省が「#教師のバトンプロジェクト」なるものを始めた。タイトルの最初にある#(ハッシュタグ)を見れば(分かる人には)分かる通り、Twitter上で進行するプロジェクトだ。★1
Twitterのページには、「現場で日々奮闘する現職の教師、教職を目指す方々の皆さんで、学校の働き方改革や新しい教育実践の事例、学校にまつわる日常を遠く離れた教師、ベテラン教師から若い教師に、現職の教師から教師を目指す方々に、学校の未来に向けてのバトンを繋ぐためのプロジェクトです。」とある。
文部科学省の公式ページによれば、このプロジェクトの狙いは、全国の学校現場の取組や、日々の教育活動における教師の思いを広く社会に周知すること。そして、教職を目指す若者の準備に役立てることのようだ。
内田良氏によると、Twitterは学校の働き方改革の「聖地」とも呼べる場所であり、教員の部活動負担の軽減や長い勤務時間や働く環境に対する不満や苦悩が吹き荒れていた空間であったという。★2 日々の苦悩を語り合うことで、カタルシスに似た効果を得るには最適の場所だったのだろう。
そのような場所に、文部科学省が進出を決断したことは、「大英断」と言っても良いと思う。
ソーシャルメディアの時代とは、個人一人ひとりが発信手段を持ち、拡散させることができる時代であると言われる。これをクレイ・シャーキーは「思考の余剰(Cognitive Surplus)」と呼んで、ソーシャルメディアが、いかにムーヴメントを起こし、人々を結集させたかを説いた。★3 多くの社会運動や革命と呼べるものがソーシャルメディアからの発信で起きている。
しかし、文部科学省がソーシャルメディアに手を出したことが「大英断」と映るのは、まだまだ我が国では、ソーシャルメディアに否定的なイメージをもつ人が圧倒的に多いからだろう。
これは無理もないことかもしれない。2019年にはネット上のいじめは、過去最多の1万7924件になったという。特に、中学校での多さが目立つ。この産経新聞の記事は「SNS(会員制交流サイト)の閉鎖性が認知のハードルとなっている」と述べている。★4
ソーシャルメディアを使えば、誰でも手軽に情報発信、情報拡散ができる。一般の人でもムーブメントの主役になることが可能なのだ。一方で、その閉鎖性、匿名性は、陰湿で、破壊的な人間関係を産んでしまう危険性ももっている。個人情報の流出、プライバシーや肖像権の侵害など、ネガティブな側面を見ればキリがないようにも見える。
近く発刊予定の『学校リーダーシップをハックする』では、「ツイッター、インスタグラム、フェイスブックのようなツールは、私たちが物語を語り、学校をブランド化する大きな可能性をもっています。テクノロジーの力を借りれば、学校の物語は学校の壁を超えて、コミュニティー内外の健全な関係を加速するでしょう。」と述べ、ソーシャルメディアの可能性に期待している。
私たちは、どちらに舵を切れば良いのだろうか。
勇気をもって一歩踏み出してみてはどうだろうか。学校で起きた素敵なことや、素晴らしい行いをした子どもたちや先生、感動をよぶエピソード。ほんの小さな話でもいい。
学校が、積極的に情報を開示し、透明性を高めることは、コミュニティーの信頼を生み、コミュニティーと真のパートナーになれる可能性を生む。学校は、閉じられた、お堅い、時代遅れの場所ではないことを、声を大にして言おう。学校のファンを増やすのだ。学校の周りに構築してきた、古臭い壁を取り除こう。何とも魅力的なことではないか。
学校(学校文化)が劇的に変わるきっかけになるかもしれない。
★1 教師のバトンプロジェクト
https://twitter.com/teachers_baton
https://mext-teachers-gov.note.jp
https://www.mext.go.jp/mext_01301.html
★2 内田良「文科省「#教師のバトン」プロジェクトに非難殺到」
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20210329-00229752/
★3 クレイ・シャーキー 「思考の余剰が世界を変える」
https://www.ted.com/talks/clay_shirky_how_cognitive_surplus_will_change_the_world?language=ja
★4 産経新聞「ネットいじめも過去最多 閉鎖的なSNS、認知難しく 文科省調査」
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2010/23/news060.html
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