先週のこのブログで取り上げられた『歴史をする』を読みました。私自身は理科教師でしたが、歴史にも興味があり、発売前から関心がありました。
一読しての感想は、「これはうちの教職課程の学生にぜひ読ませたい」です。
第1章「過去、現在、未来」の小項目に「歴史は、鍵となる問いとテーマである」があります。ここには、次のように書かれています。(同書14ページ)
私たちは誰であるのかという現在のことについて考えることや、私たちの将来像という未来を思い描く際に歴史を役立てるためには、取るに足らないことに埋もれ、出来事の時系列の再集計だけを行うといった歴史カリキュラムではいけません。その代わりに、鍵となる問いやテーマの調査に生徒を熱中させ、人々、価値観、そして人々がとった選択を中心とした活気に満ちた歴史カリキュラムが必要となります。
まさに歴史を単なる物語として聞くだけの立場から、子どもたちが主体的に問いを見つけ、それを探る過程こそが「歴史をする」なのでしょう。自分たちの何のかかわりもない過去の人物の名前や出来事を覚えるだけの授業であるならば、学ぶ意欲が湧くはずもありません。この点については、第2章「それは災難ではない」の中の「人は探究の真っただ中で学習する」において、次のように述べられています。(同書61ページ)
人は、自分にとって重要な意味をもつ問いに対する答えを求めるときにのみ学習をするのです。
また、単に課題を与えるだけでは探究する学習が実現しません。その点に関しても、次のように述べられています。(同書68-69ページ)
教師なら誰もが知っているように、探究していくのに必要とされるスキルをもっている生徒はほとんどいません。探究心は教育に不可欠なものですが、単に課題を与えただけでは意味のある結果は得られません。ほとんどの生徒が自分の経験を最大限活かすための直接的な支援が必要なので、教師におけるもっとも重要な責任は、生徒が学習するために必要な枠組みを提供することとなります。
このプロセスは「足場かけ」と言われています。建設現場の足場が人の作業を支援しているように、授業において「足場」は生徒の学習をサポートします。生徒は、学びを支援してくれる教師や知識の豊富なクラスメイトと一緒に活動することで最高の学習ができるのです。
この「足場かけ」は教育学者ヴィゴツキーによって提唱された「発達の最近接領域」論に基づくものですが、それに基づいた学習のプロジェクト展開例がこの本にはたくさん紹介されています。ICT活用にも触れた第6章などは、これから「探究学習」を志向しようとする教師にとっては大変参考になるものだと思います。自分の学校の校区の歴史や地域の方々との交流などから、その学校独自のカリキュラムができあがるでしょう。
私が最後に勤務した中学校の校区には、かつて石切り場があり、それを運び出すだめの鉄道(昭和初期のころですから、その鉄道の動力は人力でした。)があり、その路線の一部がいまだに残っていたのです。また、近くには金の鉱山跡があり、最盛期の江戸時代の様子などが古文書に残されていました。そうした身近な歴史的な遺産をテーマに追究していくことで、生徒たちにとって面白いプロジェクトが展開できそうです。そんなワクワクするような学びが多くの地域で実践されることを期待したいものです。
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