2019年12月1日日曜日

授業観察・授業参観から何を学ぶか

ほとんどの学校で、授業参観、授業観察の機会があると思う。同僚の授業を見たり、他の学校の教員の公開授業を見ることもある。また、自分自身が授業者になることもあるだろう。

自ら進んで授業を公開しようとする人もいるが、授業を公開することはストレスフルで、負担になると感じる人も多い。また、事後の協議でも、たくさん意見が出されても、それが効果的に授業者の成長につながらない場合もある。

授業観察は、評価のためではなく、成長のためであるべきだと言われる(教員養成段階では評価も必要)⭐︎。どうせ実施するのであれば、授業参観や授業公開を少しでも有意義ななものにしたい。そこで、学校を、教師の学びのコミュニティーにできる授業参観の方法を、Harmer(2015)の「授業公開、授業参観のこれまでとは異なるやり方(Different ways of observing and being observed)」(pp.129-132)から考えてみたい。

1 焦点化すること
授業後の協議のテーマを1〜2つの項目に絞る。例えば、英語の授業であれば、「生徒と教師の英語でのやりとり」「エラーの訂正」などに絞る。授業参観者は、授業で観察した全てのことを議論の俎上に載せたがる傾向がある。その結果、協議は総花的なものになりがちで、授業者にとって意味のあるフィードバックとはならない。思い切って、テーマを絞ること、この"Less is more.(少ないことは豊かである)"を実践することで、より深い議論が可能になり、授業についての新しい考え方が生まれる可能性が出てくる。

2 参観者に焦点化する
授業参観を、参観者の成長という視点で実施する。もちろん、授業者の成長が第一義だが、その授業から参観者が何を学びうるかを大切にする。観察した授業の優れた点や価値を、自分のものにしようとする試みであると言える。他者の授業を通した、自分自身の授業実践の振り返りとも言えるだろう。(「仲間による省察的授業観察」[reflective peer observation]とも呼ばれるらしい)。

3 学びが継続されるような工夫 
参加者全員が、主体的に関わることができて、楽しい学びの機会になるように工夫したい。明るく、前向きなムードで終えることができるような流れを作りたい。そして、それが継続的な学びにつながるように仕組んでいきたい。一回限りのイベントにしないことが大切だ。

授業参観・授業観察自体はずっと以前から続けられてきた方法である。我が国の教員研修や校内研修ではかなりのウエートを占める方法と言えるだろう。多くの人が「授業を見せ合うことは大切だ」と言うが、その具体的なノウ・ハウは十分に確立されているのだろうか。

私も、授業についての評価やコメントをもらってきた。同僚や現職の教員からは公開授業を通して。学習者からは授業評価などを通してである。それらの評価やコメントには、心から納得を覚えたこともあるし、小さな反発を覚えたこともある。しかし、それらが自分自身の力量形成に効果的に働いたかどうかは、ずっと、確信がもてないできた。

唯一、効果を実感できたのは、1)自分自身が問題意識や興味をもてた問題に焦点化した時 2)その後、ある程度の時間をかけて、授業の中で実践と省察を繰り返してきた時であったと思う。いただいた多くの評価やコメントは忘れてしまったが、その後、自分自身が主体的に取り組んだものは、血となり肉となったように感じる。

自分にとって大切な実践上のテーマを見出すきっかけとなったのが、授業参観だったように思う。

[文献]
⭐︎Jeremy Harmer (2015) The Practice of English Language Teaching, Pearson. (ジェレミー・ハーマー『英語教育の実践』ピアソン).

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