『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』(キャロル・トムリンソン著)を、日本語教育★に携わる4人の先生たちがメールでのブッククラブで読みあっているので、そのハイライトを紹介します。第1回目の今回は、第1章(1~16ページ)です。主に紹介するのは、本からの引用です。(←青字は、私の付けたし、です。)
○考えてみると、日本語教育における学習者のレディネスや関心の多様性(p.2~3)は、学校教育の現場以上かもしれません。これまで「多様性」は十分認識していたつもりでしたが、それは「クラスの現状に合わせた授業」という認識であり、クラス自体はひとまとまりの集団としてとらえていたように思います。
○「自分の時間やもっているリソース(資源)、そして自分自身を、どのように分かち与えれば、自分の受け持つ多様な生徒の才能を最大限に引き出すことができるのだろうか?」(p2:7行目~)
○ウィギンズ先生は、すべての小学3年生が「スペリングリスト3」を学習しなければならないというふうに考えるのではなくて、プレ評価テストの結果に基づいて、多様なスペリングテストを生徒に与えています。(p3:1行目~)
○生徒の興味関心と関連付けるように調整された課題(p.5) ~ 教科書と進度が決まっているので、仕方がないと思わずに、ある章を始める前に、生徒の興味関心と関連付けていくことは心がけたいと思います。
○教師の目標は、生徒が学ぶことであり、学ぶことに生徒が満足するとうことであって、カリキュラムをカバーすることではないのです。(p6:12行目~)
○生徒が大切な目標を達成するために、教室の経営は予測可能で柔軟性に富むものとならなければなりません。(p7:3行目~)
○フォーマル・インフォーマルな形成的評価(p.7など)→目標の調整・ニーズを踏まえる→学習指導がうまくいく。振り返ってみると形成的評価は様々な形で行っていますが、それをどう生かすかという意識がこれまで足りなかったように思います。
○すべてを個別に用意することは難しくても、選択肢を示して、学習者が選べるようにすることはできそうです。(p.8、15など)
○メディア専門家(p.11) ~ この考え、すばらしいですね。司書が発展して現代にマッチした感じです。そんなに専門性はなくても、メディアリテラシーはどうしても教えなければならないですね。
→ いい学校のつくり方を書いた『いい学校の選び方』の中で紹介したことですが、デンマークの中学校に、最初は1995年に訪問し、図書館は学校の一番端に、いまでも日本の多くの学校がそうであるような体裁でありました。それが、2年後の1997年に同じ学校を訪ねたら、学校のど真ん中に移動していました。しかも、オープンで(壁や出口入り口がなく)そこを通らないとどこにもいけないような場所に!! さらには、前は、非専従の司書が一人だったのに、1997年以降は3~4人のフルタイムのメディアの専門家がいました。そして、本はほとんど消えていました。コンピューターに転換していたのです。グループワークをするスペースもたくさんありました。完全に、学び方・教え方が転換してしまったのです。それも、もう20年も前に。日本は、いまだに変えられません。アクティブ・ラーニングなどとは言っていますが。
○ルーブリックの評価基準(P14) ~ 学んだことを表現することで理解を確かなものにしているし、表現力もつきますね。日本語学習もこのような方向で行きたいです。
← ポイントは、学びの主役/主体者意識(ownership)をどうもってもらうか、だと思います。絵本の『てん』のワシテが爆発的に「てん」を描いたように。あの状態と、テキストを順番にこなして行く状態とは、あまりにも違いすぎます!
絵を描くことと、書いたり読んだりすることとは違うと思いますか?
http://projectbetterschool.blogspot.jp/2012/05/blog-post_30.html
○「学習者の手助けとなる評価基準」意識しておきたいと思いました。(p.10)← チェックリストやルーブリックは、すでに使われていますか? 『作家の時間』『読書家の時間』に、いいのが紹介されています。
○「ジャーナル」について知りたいです。毎回授業の振り返りを書かせていますが、教師・学生ともに十分いかせていない気がします。 ← ジャーナル(学習日誌)については、『「考える力」はこうしてつける』という本で紹介しています。
○ウィルカーソン先生の8年生の国語の授業では・・・内容だけでなく、自分たちの理解の仕方や話し合い方などについても振り返りを行います。(p15)
○どんな小説にも共通のテーマについてクラス全体で話し合う機会をふんだんに設けて、そのテーマが読んでいる本の中で、あるいは自分たちの人生でどのように「展開する」のかを理解するのにどんな生徒でも貢献できるようにしています。(p16)
第1章を読んで、一番気になったことは、まずどうやって学習者一人ひとりの能力を把握するか、ということでした。私の学校では、1学期(3ヶ月)ごとにシフトが変わります。それによって、授業を受け持つクラスも変更となるため、長い目で一つのクラスを見ていくというような想定がしにくい場合が多いのです。前学期の成績はわかりますが、それがその学習者の能力全てを表しているとは考えにくく、限られた授業の中で、どのように個人の能力を見分け、一人ひとりに見合った課題を提示することができるのか、今の段階では全くイメージすることができません。
これから読み進めながら、自分でできることは何かを探っていきたいと思います。
← http://wwletter.blogspot.jp/2017/04/blog-post.html の中の質問項目に、「前学期の評価は、生徒のことを知ったり、把握したりするのにどれだけ役立っているか?」というのを入れたらいいですね。そして、役立っていないのであれば、どうすれば役立つ情報になるのかを考えない限りは、評価して成績を出すプロセスが時間の無駄になっていることを意味してしまいます。ブログに書いたように、教師の授業も変えないし、生徒の学びの改善ももたらさないのであれば、それこそ何のためにしているのかわかりませんから。
最後に、私のオススメを3つほど:
○教師は、教育内容についての知識と、重要な教育内容を修めつつある生徒の学びの進み具合について絶えず更新される理解に基づいて、最善の指導を処方することのできる診断否のです。また、生徒のニーズに合わせて、自分のもっている技術をツールとして駆使する一種の芸術家なのです。(6ページ)
○教師の目標は、生徒が学ぶことであり、学ぶことに生徒が満足するということであって、カリキュラムをカバーすることではないのです。(6ページ)
○一人ひとりをいかす教室は、異なる方法で学び、学ぶスピードも違い、そして多様な才能や興味関心を持ち込んでくる生徒を支援するためのものです。(16ページ)
★ この <「違い」を力に変える学び方・教え方>というサブタイトルの本は、対象にしている年齢や教科等は、一切関係ありません。おそらく一番読まなければならないのは、教員研修や養成課程で教えている人たちです。そこが変わらないと、一斉指導の悪循環は約束されているようなものですから。一斉指導は、対象の様々な特質が一様な時にこそ機能する教え方で、対象のレディネス=もっている知識や情報、興味・関心、学ぶスピードや学び方等が違うと、単に教師や指導者が教えた気になるだけの指導法に過ぎません!
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