比べ読みの第2弾で、比較した本は以下の3冊です。
①『崩壊するアメリカの公教育』★
②『公教育をイチから考えよう』
③『逆転の教育: 理想の学びをデザインする』
下に記すのは、あくまでも、私にとっての「元気度」というか、「得られるもの度」です。
①を、「私が得られる元気度/得られる学びや収穫」で、1とすると
②は、3か4で(オランダの復習に)
③は、70~80です。(イヤ、100いっているかもしれません。何を読み取れるかによりますから。いま2回目を読んでいます。上の本2冊は、とても2回読む気にはなれません。)
それほどの中身の違いがあります。
しかし、私の感想と、アマゾンで見られる評価とはまったく違います。逆さまと言った方がいいぐらいです。
①は岩波書店、②は日本評論社、③は緑風出版が出版社です。
私が読んだ3冊の本の質は、その出版社の規模と反比例の関係にあるかのようです。
出版社の規模(というよりも、正確には編集者の質や好み?)が、みごとなぐらいに出す本に現れているということかもしれません。
売れる本と「得られる学びや収穫」がある本かどうかはまったく別物です。規模が大きい出版社が、売れる本を出版できたとしても、その本が「得られる学びや収穫」が小さかったら、あるいはマイナスだったとしたら、結果的にしていることはマイナスの効果になるような本、ということかもしれません。
これも、学校で選書能力を一切教えない弊害の感じがします。
(学校の国語は、良書主義にのっとって行われています。要するに、「権威にお任せ」方式です。権威=大きいものです。他の教科では、本を読むこと自体、放棄しています!)
選書能力=題材選び=問題設定能力を培わない学校は、単に「権威にお任せ」の準備をしているだけ、と言えます。(もちろん、子どもたちに対してよりも、教師自身がそれらを体験し、身につけることが先決なのですが・・・自分が知りも、体験もしていないことを、子どもたちに提供することなど、できるはずがありませんから。)
ちなみに、
人は、自分の読みたいものしか/自分の読めるものしか、読みません/読めません。
そこに書いてあるものを読んだり/読めたりするのではなく。★★
ですから、上の「1、3か4、70~80」というのは、あくまでも私がいまの時点で下す評価であって、他の人は違う可能性があります。
もし、興味がもてたら、ぜひ皆さんの評価を教えてください。
繰り返しますが、確認させてくれるのは「比べ読み」の大切さです。
前回と同じく、内容については、触れないことをお詫びします。
興味をもった方が、自分の読みを楽しんでいただきたいので。(と同時に、鵜呑みにせずに、ぜひクリティカルに読んでいただきたいので!)
『逆転の教育: 理想の学びをデザインする』だけは、簡単に入手/情報が得られにくそうなので、http://www.ryokufu.com/isbn978-4-8461-1605-7n.htmlをご覧ください。
★ これを書いたのは2か月ほど前なので、今となっては『崩壊するアメリカの公教育』の代わりに、http://thegiverisreborn.blogspot.jp/2016/11/116.htmlを紹介したいぐらいかもしれません。
★★別ないい方をすれば、その人がその時点でもっている「知識や体験の総体」で読みます。従って、同じものを読んでも、得られるものは人によって自ずと違います。「知識や体験(や感受性?)の総体」が違いますから。同じ人など、いるはずがありません。
日本の伝統的な国語の授業は、このことを無視してやられています。教師がいうことに合わせられる子どもたちは、数割(数%?)しかいないのに。
演劇や映画(あるいは音楽会)の鑑賞のように、主体的にお金を払って来館してくれる人たちなら、「知識や体験(や感受性?)の総体」が違っても、人それぞれ楽しんでくれる/理解してくれるわけですが(その内容は極めて幅広いものだと思いますが)、強制的に学ばされる国語の授業では、大半の子どもたちが学んでいることは、「僕は/私は、国語が嫌いだ!」です。私の小中高時代の国語の時間のように。ほとんど拷問でした! 受け入れられない解釈に、テストのために従わざるを得ないのですから。(もちろん、以上のように国語で言えることは、すべての教科でも同じように言えてしまいます。)
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