2013年12月1日日曜日

校務分掌



 校務分掌は、やりたい仕事? それとも、やらされ仕事?
 もしPTAの委員会と同じなら、確実に後者ですね。
 担当する教師がやりたいように切り替えられないものでしょうか?

 校務分掌は、初任者で学校に配属されてから、「あるのが当たり前」の存在です。
 教師として「しなければならない仕事」のひとつ。

 でも、学校の主体的な運営に参加するものというよりは、文科省・教育委員会の体制の下請け的なウェートの方がはるかに大きいのではないでしょうか?

 こう書いてくると、教師の「主体性」というのは学校という場で発揮できる場面は、いったいどこにあるのかな、とも考えてしまいます。授業のほとんどは、教科書をカバーする授業で追われてしまっては・・・、部活ぐらいしかなくなってしまうでしょうか?(それも、好きな人にとってはの話!)

 授業と学校運営の両面で、主体性を持ってもらうことは極めて大切です。
 子どもたちは、それを日々見ているのですから。

 教師が主体的になれないということは、子どもたちも容易に主体的になれないことを意味します。要するに、教師が「前例主義」「波風を立てない」「服従」「依存」等の雰囲気をプンプン臭わした存在なら、そういう空気が教室中、学校中に充満しているわけですから、とてもではありませんが、「自立した学び手/考え手」に子どもたちになってもらうことなどできるはずがありません。

 たかが「校務分掌」なのですが、されど「校務分掌」です。習慣(=下請け仕事)としてやり続けていては、教師たちが主体的に学校運営に参加する機会として活用できません。
 もし、後者のアプローチが大切だと思われたら、従来の校務分掌的な要素は持たせつつ(役割としては、全体の1~2割程度に押さえて)教師の主体性を発揮できる組織で来年度はチーム編成を考えてみませんか?

 たとえば、以下のようなチームで。
     プロとしての力量形成
     テクノロジー
     相互観察・評価
     カリキュラムと教え方
     雰囲気と文化
     学校運営

 要するに、自分たちが「やりたい」「大切だ」「欠かせない」と思えるテーマ設定で。
 チームというのは、スポーツのチームのように極めて有機的なものです。相乗効果が生まれるものです。個々に主体性があれば。
 「やりたくないのに、割り振られてしかたなくやっている」のではなく、「必要性を感じて、言われなくてもやりたくてやっている」に変えない限りは、プロセスに学びがないし、やることも前例踏襲以外は期待できません。ぜひ、後者の視点で、校務分掌の見直しに挑戦してみてください。

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