2012年3月4日日曜日

義務教育段階の留年

最近、橋下大阪市長が大阪市の教育委員との懇談の中で、「義務教育の児童生徒の留年」に言及しました。



2月23日のNHKニュースによると以下のとおりです。


以下、その記事の貼り付けです。



「大阪市の橋下市長は、22日夜、市の教育委員らと意見交換し、小学校や中学校の義務教育で学力が追いつかない児童・生徒について、留年させることも含めて検討するよう求めました。


意見交換の中で、大阪市の橋下市長は、小学校や中学校の義務教育で学力が追いつかない児童・生徒については、留年させることが必要だと主張しました。


これに対し、大阪市の矢野教育委員長は、「フランスでは小学校で留年する制度を取り入れてきたが、子どもにとっては逆効果で、学力への意欲をそいでしまった。学力に課題のある子どもには個別に対応して、学力を上げるようにしている」と否定的な意見を述べました。


こうした意見を受けて、橋下市長は「学年を落とすのが難しいなら、学力の追いついていない子どもを一定期間集めて、特別学級を設け、集中的に指導するとか、学校ごとに習熟度別の指導を行ってもらいたい」と述べ、まずは習熟度別の指導などの対策を取ったうえで、将来的には留年も含めて検討するよう、教育委員に求めました。


文部科学省によりますと、義務教育での留年は、現在の法律でも校長の権限でできますが、適用されるのは長期間にわたって欠席した場合など、極めてまれだということです。」


※貼り付け終わり



 ここで取り上げられているように、「一定の学力が身についていない児童生徒はその学力があるレベルまで到達するように補充すべきだ」ということは義務教育の目標から考えればそのとおりです。


 しかし、文部科学省のコメントにもあるように、現在でも制度としては「原級留置」という措置が取れるにもかかわらず、ごく少数の例外を除いては小中学校で行われていません。


 やはりそこには、多くの日本人の「横並び意識」というメンタリティが影響していると考えます。実際、習熟度学習をやる場合でも、教師側からの一方的なクラス分けでは保護者からの反発があり、生徒からの希望制も取り入れた措置を取らざるを得ない現実があります。


 「原級留置=留年」はどうしても同学年の児童生徒から「置いていかれた」というイメージがつきまとうのだと思います。欧米のように個人主義が浸透しているならともかく、「和をもって貴しとなす」わが国ではどうしても「みんな一緒」なのです。


 そのメンタリティを変えるべきなのかどうかはわかりません。


 ただはっきりしていることは「これまで通り」が通用しない時代になっていることです。


 文部科学省の様々な施策をみても、これまでの施策を少し路線変更した、つぎはぎだらけのものばかりです。



 先日、本市の校長会議で教育長が「学校はなぜ変われないのか」ということをいくつも実例を挙げて説明していました。私から言わせれば「日本社会の様々なシステムが変われない、変わらない」のだと思います。唯一の例外は、海外に進出したり、海外と取引のあったりする企業ではないでしょうか。


 企業は好むと好まざるとにかかわらず、変わらなければ生き残れないので、涙ぐましい努力をして「変わります」。


 だから、「企業の優れたシステムを学校も取り入れるべきだ」と学校評価や教職員評価がここ10年くらいの間に、矢継ぎ早に導入されました。これらの施策はそれなりの意味があることも認めますが、それでも王道ではありません。


 やはり、学校改革の王道はPLCによる改革です。



 「教師も子どももいつでも学んでいる学校づくり」を最優先させるべきなのです。


 それには、前々回の吉田さんの「教員研修の評価基準」が有力な手掛かりとなります。


 多くの校長がこのことを理解し、実践すればわが国の学校教育は大きく変わるでしょう。


 もはや欧米や東アジアの国々より、周回遅れになってしまったわが国の教育をもう一度しっかりと見つめなおし、新たな一歩を始めることが何よりも求められています。



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