この時期には、どの学校においても年度当初の学校指導訪問があります。ある市町村において学校指導訪問とは、「学校経営、教育課程、校内研究、学習指導、児童・生徒指導等への指導・助言を行います。また、学校教育全般にわたる諸問題を把握し、学校との信頼関係、連携の強化を図り、教育の充実に資します」とのこと。
しかし、本当にそうなっているのか疑問がのこります。学校訪問で現場にためになる指導・助言とは一体どのようなものなのでしょうか。
指導主事が「形成的評価」の学習モデルを現場の教師への伝道師となるのはどうでしょうか。教師自身も子ども達と同じように、一人一人の個性に応じて支援を受けながら学び続ける学習者体験が求められています。大人の学び体験は子どもたちへの学びへ直接通じる授業そのものであり、入れ子のようなものです。
私たち大人が豊かな支援を受ける学びを提供できる立場にある、その学びの影響力をもっているのが指導主事だからです。だからこそ、指導すべき文科省のお題目や参考資料が先にあるのではなく、授業者である教師の願いを評価判断せずに、そのまま受け取って一緒に考えてくれる、そんな人こそが教師を教師として育てることができるのだと思います。
「効果10倍の教える技術 (P.157)」にある表1に出会ったとき、衝撃を受けました。
これを知ってしまってからは、一回性の研修や単発で学習することへの恐ろしさが常につきまとっています。人が新しい学びを獲得してゆくには、やはり試行錯誤できる時間とそれへの潤沢な支援が必要です。講座をするにしても、もう単発では本当によいものになっていかないと実感し、研修が終わったその日から、一月程度は一緒に学び合えるそんな場を継続していくことを常につくってきました。そのほうがよく学べると思い、実際にそうでした。
引きずりながらも学び続けていくためにこそ、学校訪問といった仰々しい大名列よりも、学校現場の相談役として、一緒に考える同士として、足繁く通ってサポートしてほしいと思います。そこでの共感的で温かくも身の引き締まるフィードバックこそ、教師を育てる指導主事だからと思うのです。それこそが形成的評価の学習モデルです。今、教師は建前の指導を求めてはいないのです。
学び続ける人にしか、相手の学びの火をつけることはできません。指導する人が学び続け、関わりつづけている姿があるからこそ、感化され、学びが起動するのでしょう。そして、学校現場に求められる教育委員会となり、やりがい、働きがいが持てるのではないでしょうか。一緒に学び続けてくれる指導主事がいること。それが現場を大きく励ましてくれるはずです。
何をしたかではなく、なんのためにしたのか。★
そう問い直していきたいです。
★これにおすすめの映画があります。「雨上がる」です。貧しい村人のために、優しく腕の立つ侍がその道に反して賭けし合いをする話です。なにかこれは学校訪問に当てはまるのではないでしょうか。小説もありますが、映画の空気感がなによりもよかったです。
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