2月5日のこのブログで紹介のあった『好奇心のパワー』(新評論)の内容についてふれてみたいと思います。
「第3章 聴き方を選択する」では、最初のページ(p.65)に次のような言葉が紹介されています。
「人間の欲求で最も基本的なものは、人を理解したい、そして人に理解されたいという欲求です。人を理解する最も有効な方法は、人が話すことを聞くことです。
ラルフ・ニコルス」
ここに書かれたことは、学校教育において最も大切なことの一つであろうと思います。もっと人を理解しようという営みが学校で行われていれば、無駄なトラブルや、最悪の場合命にもかかわるような悲劇が減るものと思います。生徒指導は子ども理解から始まると言われますが、まさに子供たちの発言に耳を傾け、子供を理解することが出発点です。そのための手掛かりとして、この本はお薦めです。
「賢い人は正解を言わず、よい質問をする
クロード・レヴィ=ストロース」
レヴィ=ストロースは有名な人類学者ですが、さすがに良い言葉を残したものです。
教師は授業の中で、問題・課題に対する解答を教える場面がもちろんあるわけですが、いつもそうであっては子供の思考力は育ちません。「よい質問」で子供たちにじっくりと考えさせ、調べたり、話し合ったりして、考えを深めさせる必要があるわけです。
質問にもクローズドな質問とオープンな質問の二つのタイプがあるわけですが、これまでの授業ではこれしか正解がないというクローズドな質問が主流だったわけですが、21世紀になってからはオープンな質問の大切さに光が当たるようになりました。
実際、社会の中では、答えのなかなか見つからない問いがたくさんあるわけですから、このような変化は当然のことでしょう。
たとえば、再生医療や遺伝子工学などでは、これまで神の領域と言われてきた事柄にまで人間の科学技術が及ぶようになりました。クローン人間なども決して夢ではなくなってきたわけです。ただ、技術的に可能ならば何をしてもよいのか、このあたりの生命倫理の問題は今後ますます複雑になるものと思います。また、原子力の問題。福島の事故は未だに終息していませんが、国策として「原子力発電技術の輸出」を掲げている現状があります。あの事故の教訓を完全に学び取ったのかどうかわからない状況で、次に踏み出していくという科学技術と経済社会の有り様をどう考えるのか。学校で教えられている「理科」という教科にはそのあたりまでが学びの範囲に入るべきだと改めて思う次第です。
「教育課程論」の第一人者である安彦忠彦氏(神奈川大学特別招聘教授)も「その種の活動が可能になるような条件整備がよほど伴わなければ、空回りして所期の成果を挙げることは難しい」(日本教育新聞・平成29年2月20日号記事)と述べています。同新聞の同じページには、埼玉県内の校長談が次のように紹介されています。
「当初は授業方法の大幅な見直しを求められると身構えたが、それを思うと、大きく変わる印象は受けない。正直、少し拍子抜けした感じだ。」
この感想をどう思われましたか? やはり、「アクティブ・ラーニング」という文言が消えてしまったので、こんな印象になってしまったのでしょうか。
しかし、よく考えると「深い学び」を追究するわけですから、これは大変な転換です。
しかも、「学習内容を減らさずに」です。内容を減らして、時間をかけて「深い学び」をやるというわけではないのです。そのためには、当然各学校での「カリキュラム・マネジメント」が必須だというわけです。
そのための創意工夫が必要です。「好奇心」という視点を組み込んでも面白いと思います。ある意味、「大変だけれども面白い」時代になったと考えてみたらどうでしょうか。
若い先生方にはぜひそんなInnovativeな気持ちをもって、日々の仕事に臨んでほしいと思います。
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