前回の記事の中に次のような指摘がありました。
(以下、前回記事の引用)
この論文の中に、教師がしてはいけないことのリスト(=悲惨な授業をつくり出す要因)が以下のように提示されていますが、これらは日本では、いまだに教師が当たり前のようにしていることばかりではないでしょうか?
・ 情報を提供すること(=教えること)
・ 質問
・ 指示
・ 課題を提示
・ 課題のチェック
・ 机間巡視 (警察的な役割)
・ テスト
・ テストのチェック
・ 宿題
・ 宿題のチェック
・ 生徒指導
・ 作文の添削
(貼り付け 終わり)
ここに書かれていることは、すでにある「正解」を効率よく教えようという教育方法だと言えます。この方向を良しとする考えを持っている教師が今でも少なからずいることは事実です。
「教え込み」はだめだと言うと、すぐに「基礎・基本」はどうするのだという反論に出会います。しかし、このブログでもこれまで何回も取り上げてきたように、「応用」から「基本」への双方向の学びは可能なのです。
(以下、再び、前回記事の引用)
それに対して、探究学習(やライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップ)が可能にしてくれるのは(=いい授業をつくり出す要素は):
・生徒たちは、自分にとって意味を感じられるテーマや課題を学ぶ。自分がしていることに価値を見いだせれば、学校や授業をより好意的に捉えることができる。 〜 単に課題をこなしたり、テストや成績のために勉強するのではなく、自分が意味を感じたり、面白いと思って取り組む。
(貼り付け 終わり)
「学ぶ意味が感じられる」というのは学習意欲を高める上で非常に重要だと思います。
以前このブログでも紹介した「Nurturing Inquiry」(Charles R.Pearce:Heinemann)では、教え込みではない、探究型の理科授業(サイエンス・ワークショップを中心にした授業)が詳細に描かれています。読んでいて、私も次はどうなるのだろうとわくわくして、面白く感じるくらいですから、この先生の教室で学んでいる子どもたちが嬉々として探究活動に取り組んでいる姿が目に浮かびます。
このようなやり方は、子ども自身が関心のあるテーマについて学ぶわけですから、まさに「自分にとって意味を感じられるテーマや課題を学ぶ」ことになっているわけです。ただ、このやり方は子どもにすべてを任せればうまくいくということではなく、教師側の準備や子どもの探究活動を支えるサポートが求められることになります。でもそれほど特別なことではないと思います。どの先生もやる気さえあれば身に付けることができると思いますし、今後日本でも多くの学校で取り入れていけるものだと思います。
最近、子どもたちの「理数離れ」が問題視され、その対策として「科学者による学校での出前授業」あるいは講演会などが企画されていますが、どれもその場しのぎの対策のように感じられてなりません。根本的には、理科の授業を「教科書通りに教える」授業から「子どもの探究活動を中心とした」授業に変える必要があります。
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