最近、ある大学生と話をしたとき、「○○教師塾」の話題になりました。その学生も大学からの推薦を受けて、○○教師塾に行っているのですが、「先生、あの○○教師塾をどう思いますか?」と聞かれました。
私は、「基本的に私の考えている方向性とは真逆だね」と答えました。
○○教師塾は近年、自治体の教育委員会が自分たちの管轄する学校に優秀な教師を送り込むために、大学などの養成機関とは別に自前である程度教育しようとするねらいのもとに始められた施策のようです。結構、あちこちでこのような教師塾が作られています。
(早い話が、優秀な学生の青田刈りでしょう。)
ですから、自分たちがイメージする優秀な教師という型にはめようとするやり方がどうしても目立ちます。
質問してきた学生も、どうも教委のそのあたりの意図が透けて見える点を良く思っていないようでした。現場の教員からの反応も決して芳しいものではないようです。
その自治体についてさらに言えば、この10年間に繰り出してきた様々な施策がことごとく学校を管理の論理で動かそうとするものばかりでした。その結果、どうなったのか。
このブログでも話題になった、「職場内のコミュニケーションの欠如」です。管理職と一般教員の間にできた壁です。本来、組織として協働すべき教職員が、一体感を感じられない組織になってしまったのです。
自民党の教育再生実行会議でも、大学での教員養成について、「教職の使命感」を植え付けるような教育がまず行われるべきものだという方向に動いているようです。教師の専門性などは二の次のようです。
勤勉で、文句も言わずに働く労働者を作り出すことだけがこの国の将来にとっていいことなのでしょうか。現実は、もうこれまでのやり方では立ちいかないことをあらゆる分野で示しているにもかかわらずです。
多くの企業がこれまでの成功体験から抜け出すことができず、相変わらずのやり方に固執しており、学校もまさにそうです。
この状況を突破するのは、やはり若い力だと思うのですが。
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