2012年9月2日日曜日

「PLC便り」存続の危機


スタートしてから1年を間近に控えて、「PLC便り」の存続の危機を迎えています。

8月5日にお願いした「問いかけ」の反応が思わしくありません。
コミュニケーションが大切、といいながらまったく成り立っていません。
理由は何か?
コミュニケーションを取るだけの価値がある内容を提供できていないのではないか?
他に課題はあるのか?
と考えました。

情報の一方通行は、よくないと思っています。

私たちPLC便りは、
 自分の考えをほかの人に伝えることをスタート地点にし(それは、あくまでもスタート地点にすぎません)、そこから元々の考えをより良いものにしたり、自分の元の考えを変えたり<、具体的なアクションにうつす>ことが大切だ ~ 『リーディング・ワークショップ』★ルーシー・カルキンズ著、166ページより引用。<>は引用者
と考えています。
スタート地点だけが延々と続くのでは、アクションにつながりませんし、より良い考えや考えの修正も起こりません。


そこで、もう一度(前回より突っ込んだ内容の)アンケートをお願いします。


まずは、(1)~(3)のいずれかを選んでください。
返信は、コメント欄か、pro.workshop@gmail.comにお願いします。

(1)読む価値がないので、メルマガ配信リストから自分のアドレスを削除してほしい
(2)読む価値はあるが、コミュニケーションをとるほどの価値はないので、これまでと同じメルマガを受信するだけにしたい
(3)コミュニケーションの価値を見出してくださる方には、前回の質問+追加質問にお答えください。(全部でなくても結構です。一つでも、二つでも、三つでも。)

1.おもしろかった/考えさせられた/参考になった書き込みは?
2.メルマガ/ブログの書き込みから実際に行動に移したことは?
3.取り扱ってほしいテーマあるいは今一番気になっていることは?
4.自分/学校/教育委員会/教育センターが抱えている課題は?
そして
5.過去1年間のご自分の仕事を振り返ってみて、「自分で自分を褒めてあげたい」と思ったことを一つでも、二つでもぜひ紹介してください。
6.PLC便りに自分も書いてみたい、という方、ぜひご一報を。


  <メルマガからの続き>



★ この本は、読むことの革新的な教え方を提供してくれている本なのですが、その本の中に、こんなこと(=引用文)が書いてありました。
日本の読解教育とは大きく違います。そもそもの目的が、「自立した読み手」を育てることに設定されているのです。それも、すべての子が。その中には、聞くことや話すこと、そして書くことも、切り離すことができないものとして位置づけられています。
日本の場合は、大学卒業までに「自立した読み手」になる子たちは、数%というところでしょうか? 私自身、それに向けて歩み始めたのは大学院を卒業して数年経ってからでした。 教師の中に「自立した読み手」は何%いるでしょうか? 管理職の中に「自立した読み手」は何%いるでしょうか?

  もう一点、この引用文と関連したことですが、国語の授業改革も、その他の教科の授業改革も、研修改革も、学校改革も、教育改革も、全部つながっています。「すべては、コミュニケーションをとることからしか始まりません」 しかし、残念ながら一番おろそかにされているのが、そのコミュニケーションです。 皆さんのクラス、学校、教育委員会、教育センター、大学では、双方向のコミュニケーションがとれていますか?


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