先週から教育委員会レベル、学校レベル、教室レベルの「今後の教育の方向性」について考え続けていました。
行き着いたところの一つは、表題の「優先順位の不明確さ=ビジョンの欠如」でした。これについては、いい学校の作り方について書いた『いい学校の選び方』(中公新書)の「あとがき」にすでに書いていました。読み直してみると、状況は改善しているどころか、さらに悪化しているとしか思えません。(→斜体は、今回新たに付け足したところです。)
この本の執筆中に改めて気づかされたことがある。それは、ビジョンの大切さだ。
ビジョンとは、「こんなふうになったらいいな!」と思える未来像である。しかしそれは、実現できるかどうかわからない「夢」や「願い」ではない。努力をすれば実現可能なものである。また、形式的なものでもなく、人をワクワクさせ、元気にし、行動に駆り立てるものでなければならない。したがって、あまり遠すぎる未来像ではダメで、5年から7年ぐらいで実現できそうと思えるものがいい。(→校長さんや指導部長・課長さん、そして教育長さんや研修センター長さんの任期を考えると、いいところ「3年」に設定した方がいいかもしれません。)しかも個人のレベルではもちろん、組織全体に共有されていないと、個人も組織も元気にはなれない。執筆の期間中に接した教師たちや、子どもを学校に通わせている親たちや、教育委員会に所属する人たちに共通に欠けているものが、まさにそのビジョンであった。(→4月1日に書いたように、それは間違っても校長や教育委員会の担当者が一人(ないし数人)で書いてしまうものではありません!それをしている限りは、組織全体での共有は不可能ですから。)
しかし、ビジョンはないのに、みんな忙しい。"気の毒なほど忙しい"。(→忙しさも、8年前に比べて悪化しているように見受けられます。)よけいなお世話かもしれないが、なぜ忙しいのかを考えてみた。私は何度考えても「ビジョンがないから」という結論に達してしまった。それほどビジョンは大切なものなのである。
ビジョンがないと、どうなるか?
・ あいまいな目標しか立てられない。なぜならば目標はビジョンを達成するために段階的に立てるものだから。
・ 優先順位がはっきりしない。
・ 本来やらなくていい仕事まで含め、たくさんの仕事を抱え込まなければならなくなる。(→何はやるかと同じレベルで大切なのは、何はやらないかです。ないし何はほどほどに取り組めばいいのかを判断することです! ビジョンないし優先順位がはっきりしていないと、この判断がなかなかできません。)
・ 忙しいので、一見仕事をしているつもりにはなれる。
・ 新しいことをすることが難しい。
・ 考える時間、創造する時間、話し合う時間がない。
・ 本音で話せる仲間が見出せない。
・ 合意を取るのが難しい。
・ 課題の解決に取り組む際は、短期的には問題解決になるように見えても、実はならないか、長期的には新たな問題をつくり出している可能性すらある。
まさに悪循環である。
<以下は、メルマガからの続き>
私にビジョンの大切さを最初に認識させてくれた本は、1991年に出会った『非営利組織の経営』(ピーター・ドラッカー著、ダイヤモンド社)である。この中で著者は、「ビジョンのない組織は消えた方がいい」と言い切っていた。学校も、病院も、役所も、非営利組織であるから、「消えた方がいい」などと言われる前に、そこで働く人も、それを利用する人たちもワクワクできるようなビジョンをぜひつくってほしい。
『非営利組織の経営』には、残念ながらビジョンの描き方は紹介していなかったので、約4年間探して見つけたのが『エンパワーメントの鍵』(クリスト・ノーデン-パワーズ著、実務教育出版)である。
これら2つの本を参考にして、まずは忙しさからの脱却と、明確でしかもワクワクするビジョンをつくり出すことをぜひお薦めする。(→ ビジョンが描ければ、優先順位がはっきりし、従って忙しさからも脱却できます。いいこと尽くめです!)
私が本書の書き出しの部分で、自分の考えている「いい学校のイメージ」を紹介したのも、同じ理由からである。(→それは、この本の5~14ページに書いてありますが、「いい授業のイメージ」も127~130ページに紹介しました。)
★次回の予告: 次回は、いよいよ私の『てん』の解釈を紹介します。
0 件のコメント:
コメントを投稿