2026年1月18日日曜日

すべての人に(生徒にも教師にも)SELを!

   去年の12月に『教師のためのアート・オブ・コーチング』という本を出したのがきっかけで、その著者のエリーナ・アギラ―さんがあちこちに書いた無料で読める記事(ブログ等)を読んでいます。ここで紹介するのは、彼女が11年前の2014年4月17日に書いたものです(CASELの設立は1994年ですから、アメリカでは20年が経過した段階で、いまは30年経っていることになります!)。~以降の青字は、紹介者のコメントです。

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この10年で、子どもたちのSEL(感情と社会性を育む学び)のニーズは、これまで以上に注目が集まるようになりました。こうした学びは、子どもにとっても大人にとっても欠かせない重要な領域です。そして今こそ、学校が教育者のあらゆる学習ニーズに責任をもって応えるべき時です。たとえば、新しいテクノロジーの活用、新しい基準(スタンダード)の理解と実践、新しい評価方法の導入、そして教育者自身のSELへの取り組みなど、幅広いニーズに対応する必要があります。~日本では、まだ「SELって何?」という段階です。『EQこころの知能指数』は1996年の本の販売で結構知れましたが、残念ながら教育界はその例外でした。

教師とSEL

 大人にとってのSELは、子どもたちに提供し始めている内容と大きくは変わりません。SELには、自分の感情を認識し理解すること、感情をうまくコントロールするための方法、他者の感情を読み取り理解する力を育てること、そして他者の感情に適切に応答するための方法などが含まれます。またSELには、逆境から立ち直る力――いわゆる「レジリエンス」を育てるための方法を、意図的に教え、練習することも含まれます。私は、こうしたSELこそが、教育者向けの研修において、新しい学習指導要領に関する研修よりも、もっと時間と注目を向けるべき領域だと考えています。なぜかというと、SELは、教育者が押し寄せる変化の波を乗りこなし、変化に効果的に対応するための基盤となる力だからです。 ~ エリーナさんは、このこだわりをその後Onward: Cultivating Emotional Resilience in Educators』(2018)という本を出すことで満たしています。そのなかで、感情の扱い方・自己認識・自己管理・希望・エージェンシーなどを学習可能なスキルとして扱っています。なお、『SELを成功に導くための五つの要素』も似たアプローチと内容を扱っている本(アメリカでの出版は2013年)ですので参考にしてください。

なぜ教育者にSELが必要なのか?

学校で働く大人たちがSELから恩恵を受ける理由は、読んでいる皆さんならいくつも思いつくでしょう。しかし私は、教育政策と意思決定を担う立場の人たちに「教育者向けのSELに貴重な研修時間を割くことは必要であり、場合によっては緊急性があり、そして非常に価値がある」と納得してもらうために、特に重要だと考える理由を挙げます。

1) 感情は存在する。

教師(校長、教頭/副校長、コーチなどを含む)にも感情があります。その存在を無視したり、「仕事の外で勝手に処理してほしい」と願ったりすることもできますが、むしろ感情の存在を認め、どう向き合うかを考えることもできます。感情は、誰も触れたがらない「部屋の中の象(見て見ぬふりをしている問題)」に長年なっています。~ もちろん、子どもたちにもあります! 「感情と人間関係は教室の外に置いてきなさい」と言ったところで、それは無理なのです(それは、教師にとっても無理なことです!)。

2) 変化はさらに多くの感情を生む。

そして今、教育の世界は大きな変化の波にさらされています。新しい評価、新しいカリキュラム、新しい教え方、新しいテクノロジーなど、次々と変化が押し寄せています。多くの人間にとって、変化に対する最初の感情反応は「不安」です。これは脳の仕組み上、ごく自然なことです。脳の構造と戦うこともできますが、脳の仕組みを理解してうまく付き合うこともできます。変化に対する反応が暴走しないようにするための、シンプルな方法はいくつもあります。そして素晴らしいことに、脳は変化できるものです。科学者はこれを「神経可塑性」と呼びます。脳の特性を活かすことで、変化に伴って生じる感情をうまく扱うことができます。これこそがSELの核心です。~ この「脳の可塑性(変化する性質)」も含めて、SEL5本の柱(自己認識、社会認識、自己コントロール、対人関係スキル、責任ある意思決定)と脳の構造にも各章で説明しながらまとめられている本が『感情と社会性を育む学び(SEL)~子どもの、今と将来が変わる』マリリー・スプレンガ―著、新評論、2022年)ですので参照ください。

3) 感情は必ず結果を伴う。

感情は、私たちに動機づけや活力を与え、他者とのつながりを深めてくれます。しかし同時に、私たちを病気にしたり、怒りや抵抗を生んだり、排除の態度を強めたり、前向きな変化を妨げる要因にもなります。感情に向き合わなければ、感情のほうが私たちを支配し続けてしまうのです。 ~ かなりやっかいな存在なので、うまくコントロール術(スキル)を身につける必要があるわけです。いつまでも「部屋の中の象(見て見ぬふりをしている問題)」にしておくわけにはいきません!

最後に伝えたい本質的なこと

 この10年間、私はインストラクショナル・コーチとして、大人が自分の実践をより良くし、子どもたちが必要とし、ふさわしい教育を受けられるようにするにはどうすればよいかを考え続けてきました。その中で最も頻繁に現れるのは「感情」でした。感情を理解し整理するための支援、共感してもらう経験、自分が孤立していないと感じること――こうしたニーズが、どんな話題よりも強く表れました。

正直に言えば、これが現実でなければいいのにと思ったこともあります(本当は授業計画やブッククラブの話だけをしたい時もあります)。しかし、感情に向き合わなければ――つまりSELを扱わなければ――その先の話には進めないのだと学びました。
 私はコーチングの多くの時間を、教師のSELのサポートに費やしています。そして、人は感情に圧倒されている状態では学ぶことができません。コーチとしての私の信条のひとつは、「相手がいる場所に寄り添う」ことです。相手が悲しんでいるなら、私はその場所に寄り添う必要があります。

 私はここで、もうひとつ大胆で挑発的な主張をしたいと思います。もし私たち(学校改革や教育の変革に取り組む者)が、大人の感情に向き合い、その感情を丁寧に扱い、そして教師が受けるべき研修にSELを組み込まなければ、すべては終わりです。この戦いは、敗北したのも同然です。

この主張を裏づけるために、私はまず教師の定着率に関する数字を示します。私が働くオークランドの教育委員会では、毎年、教師の3分の1が辞めていきます。5年後に残っているのは、わずか5人に一人です。校長の離職率はさらに高いのですが、教師ほど正確には追跡されていません。私たちは、(せっかく教育に関わることを選び、そして実践を蓄積してくれた人たち人的資源(professional capital)、組織としての知識、そして変革を持続する力を失っています。さらに、さまざまな取り組みに多額の投資をしても、高い離職率のせいで、その多くが失われてしまいます。 ~ この状態は、アメリカの20年、30年前の状態ですが、今も継続しています。日本でも似たような状態が起こりつつあります。そして、その状況は悪化の一途をたどることでしょう。感情を扱わなければ、問題はさらに深刻化することでしょう!

次に重要なステップ

教師が最善の仕事をし、すべての子どもに落ち着いて忍耐強く接することを期待するのであれば、まず教師自身が感情を扱うためのサポートを受けられる環境が必要です。さらに、上司から怒鳴られたり、威圧されたり、評価されないまま働かされているような状況では(残念ながら多くの現場で起きています)、なおさら不可能です。

「感情は職場の外で勝手に処理してほしい」と願うだけでは、もううまくいきません。教育組織のあらゆるレベルの管理職が、学校で働くことによるストレスを教育者がうまく扱えるよう支援する責任を引き受けるべき時です。これは、思っているほど複雑でも難しくもありません。 ~ 彼女のコーチングのやり方は、この感情や価値観、あり方をベースにしたアプローチです。それは、まだ教育界では新鮮なアプローチです。教室で、教師がSELと教科指導を統合することを求められ、かつその実践が展開しているのと同じように、教員研修でも感情(や価値観、教師のあり方)と研修の内容を統合するのが効果的といえます。

  次のブログでは、教師のためのシンプルなSEL(感情と社会性を育むための学び)のアイディアを紹介します(順番が逆になりましたが、すでにhttps://selnewsletter.blogspot.com/2026/01/sel5.html で紹介してあります!)。

出典:https://www.edutopia.org/blog/social-emotional-learning-for-teachers-elena-aguilar

2026年1月11日日曜日

謎めいた教師こそが、学習者の自学自習を育てる

 先日、思想家であり武道家でもある内田樹先生の話を、直接うかがう機会を得ることができました。私は教員になって以来、内田先生の著作を読み続けてきた一人で、何が語られるのか楽しみにしていました。

 

講演では、「教員の役割とは何か?」という問いでした。内田先生は、教育の本質は自学自習にあり、教師の仕事は「教えること」ではなく、子どもたちの「学びが発動する環境を整えること」だと語られました。教師は知識を与える存在ではなく、学びが起こる条件を準備する存在である、という考え方です。この言葉は、日々授業改善や授業法に悩む私たちにとって、根本から立ち止まって考え直す契機になるものでした。

 

その話の中で紹介されたのが、「張良」の逸話です。能楽にもなっているこの話は、中国・漢代の武将である張良が、黄石公という老人から兵法の奥義を授かるまでの出来事を描いています。黄石公は奥義を授けると言いながら、長い間、何一つ教えません。ある日、張良の前でわざと靴を落とし、「拾って履かせよ」と命じます。さらに別の日には、両足の靴を落とさせます。張良は内心の葛藤を抱えながらも、それに従います。そしてその瞬間、張良はすべてを悟り、兵法の奥義を会得した、という不思議な話です。

 

内田先生は、この逸話を通して、学びが起動する瞬間について語られました。師匠の行為は偶然ではなく、すべてがシグナルであり、弟子は「これは何を意味しているのか」と問い続ける中で、自ら学びを深めていく。師匠がすべてを説明してしまえば、弟子は考える必要がなくなります。だからこそ、真の師弟関係では、師はあえて謎めいた存在である必要があるのだ、と。

 

私たちはつい、「わかりやすく教えること」「丁寧に説明すること」を善としがちです。しかし、あまりにわかりやすく整えられた授業は、子どもたちから「考える余地」を奪ってしまう可能性があります。先生が何を言いたいのかを即座に理解できてしまう状況では、自分で問いを立てる必要がなくなるからです。

 

ここで内田先生は、精神分析家ジャック・ラカンに触れて師弟関係を語られました。学びは一人で完結する営みではない。たとえ一人で考えているように見えても、そこには必ず言語や評価、教師、共同体といった「他者」の場が介在している。自主学習とは、他者を排除することではなく、他者との関係の中で自分の問いを立てていく営みです。教師の役割は、答えを与えることではなく、「問いが続く場」を支えることにあるのです。

 

 

わかりやすく教える弊害について、合気道の道場でのエピソードも示唆的でした。初心者と経験者の力量差を考慮し、初心者だけを集めてわかりやすく教える場を用意したところ、逆に初心者が次々と辞めてしまったという話。人は、自分にはまだ理解できない複雑な世界が目の前にあるからこそ、そこに惹きつけられる。わかりやすさは、ときに世界を狭く規定してしまう。教師が「ここまでが君にわかる範囲だ」と先回りしてしまうことで、学びの地平を閉じてしまうことがある、という指摘は、少人数指導や個別最適化を進める今だからこそ、重く受け止める必要があると感じています。

 

教師の仕事は「説明上手」になることではなく、子どもが「自分で考えたくなる」状況をどうつくるか、という一点に尽きるということです。すべてをわかりやすく整えるのではなく、あえて複雑なまま差し出す勇気を持つこと。子どもが問いを抱え続けられる場を守ること。そのための環境づくりこそが、私たち教員に求められている専門性なのだと、強く感じさせられる時間でした。

2026年1月4日日曜日

教師と学習者の信頼関係の構築 原則5 学習者の自律(立)性を支援する

今回紹介する教師と学習者の信頼関係の構築★ に関する原則5は、「学習者の自律(立)性を支援する(Support Learner Autonomy)」です。

昨年、関わった研究大会のサブ・テーマは、「児童・生徒がエイジェンシーを発揮できる授業づくり」でした。その大会資料では、エイジェンシーを次のように定義しています。「変化を起こすために、自分で目標を設定し、振り返り、責任をもって行動する能力(the capacity to set a goal, reflect and act responsibly to effect change)」(OECDラーニング・コンパス(学びの羅針盤)より)

学習者の自立ということは、今後の日本の教育における最大のテーマの一つと言っても過言ではないでしょう。教師主導で、一方的に知識を伝達する従来型の指導を、どのように変革していくか。児童生徒がエイジェンシーを発揮できる学びの場に学校を変えていくということでしょう。

「学びの責任の移行モデル」★2 は、とても参考になる重要な考え方だと思いますが、実際に教室でこれを実現するのは難しいという声を聞くこともあります。分かっていても、やはりどうしても、教師である自分担ってきた役割を捨てされないと感じてしまうようです。

先にあげた研究大会で、高等学校の英語の公開授業を担当した先生は、キャッシュレス社会に関する賛否を、生徒たちが英語でディスカッションする授業を計画しました。その授業を計画する過程で、「足場はずし(フェーディング)」という考え方を知ったことが、研究のブレイクスルーになったと述べています。生徒たちを、自ら学び続ける学習者に育てたいと考えていたようですが、どうしても、そのプロセスが思い描けなかったそうで、この「足場はずし(フェーディング)」という考え方に出会って、具体的なイメージが湧いてきたそうです。

「足場はずし(フェーディング)」という考え方は、伝統的な徒弟制の考え方をモデルとして、生まれた「認知的徒弟制」の最後のステップと考えられています。認知的徒弟制とは、教師(師匠)の「考え方」や「問題の解き方」、学習の進め方」、「判断の仕方」といった目に見えない思考の過程(認知)を学べるようにしようとしたものです。★3 基本的に4つのステップがあるようです:

ステップ1 モデリング(教師がやり方を示し、モデルとなる。モデルとなる児童生徒のやり方を紹介する)

ステップ2 コーチング(教師がヒントやフィードバックを与えながらやり方を教えていく)

ステップ3 スキャフォールディング(自力で取り組める部分は任せ、難しいところを「足場かけ」する)

ステップ4 フェーディング(教師の支援を減らしていく。)

この一連のプロセスからも明らかなように、自分一人でできるようになることを最終ゴールとして設定しているところにポイントがありそうです。自転車の補助輪はつけるけどれど、最終的には補助輪を外すことを念頭においておくということです。

「足場はずし(フェーディング)」をゴールとして描いておけるかどうか。ここに、学習者の自立性を支援できるどうかの分岐点がありそうです。


★1 サラ・マーサー/ゾルタン・ドルニュイ(2022)『外国語学習者のエンゲージメント』アルク.(原著 Mercer, Sarah and Dörnyei, Zoltán (2020) Engaging Language Learners in Contemporary Classrooms,Cambridge Professional Learning.),p.78.

「教師と学習者の信頼関係を構築するための6つの原則」

原則1 近づきやすさ

原則2 共感的態度で応じる

原則3 学習者の個性を尊重する

原則4 すべての学習者を信じる

原則5 学習者の自律(立)性を支援する

原則6 教師の情熱を示す

注)原則5の「自律性」は”autonomous”の訳語ですが、「自立性」を採用する方が本来の意味に近いと思われます。

★2 ダグラス・フィッシャー&ナンシー・フレイ(2017)『「学びの責任」は誰にあるのかー「責任の移行モデル」で授業が変わる』(新評論)または

https://studylib.net/doc/25543001/kentwood-gradual-release--model-final-june2011#google_vignette

★3. 白杉 亮 (2025)『自己調整につながる学習理論をビジュアルでまとめました』明治図書出版 

2025年12月30日火曜日

今年のテレビドラマの主人公たちが教育関係者に投げかけた言葉

●一つ目は、夏に放映された「僕達はまだその星の校則を知らない」の主人公(白鳥君)はスクールロイヤーです。その6回目「秀才にカンニング疑惑!?」で、彼は次のように言っています!(場面は、スクールロイヤーが一つのクラスの生徒たちに話していたところです。確か、18分当たりだったと思います。)

白鳥:「カンニングの罪深さは、テストと言う存在自体の罪深さに内包される。勉強とは本来自分のため誰かのためになる。宇宙の一部でいるのに役立つ。そういうほわんと温かみのあるものですよね。テストは違う。その温かみとは、全く関係なくただ優劣を測るためだけの鋭敏な物差しです。人間をあえて点数で比較し、1等星をありがたかったり6等星を無視したりする。ただ地球から遠いだけでどんなに輝いているかわからない星もあるのに。

学年主任:何の話ですか。

白鳥:そんなもの差しで未来が決まるなんてぞっとします。その物差しだけを世間がそんなにありがたがあるならカンニングをしたくなるほど、追い詰められる若者が生まれるのも仕方がない気がしませんか。世界には受験がない国もある。この国の価値観や教育のあり方が原因なのだとしたら、若者は被害者ですね。もしね、この国は相手に裁判でもできれば

学年主任:それでも日本の大多数の若者はカンニングをしません。みんな構成にテストを受けより良い大学や職業を目指すんです。

 ちなみに、彼(白鳥君)自身、小学校の6年生のときに学校か文科省を相手取った訴訟を起こそうと、今雇ってくれている法律事務所を訪ねていたという過去がありました!

 

●もう一つは、先週放映された「スキャンダルイブ」の最終回「最終報 歪められた真実」の53~54分と1時間過ぎ~1時間2分です。(こちらは、まだhttps://abema.tv/video/episode/90-2042_s1_p66 で見られます。ちなみに場面は、記者会見での発言です。)

過去を悔やむだけでは何も変わらない・・・私たちが終わらせなければいけない構造が確かにある。忖度、沈黙、犠牲の上に成り立つ成功、そういう仕組みを次の世代に引き渡してはいけない。その構造を終わらせることこそが、今を生きる私たちの、そして当事者である私の、責任の取り方だと思っています・・・

いま私たちは時代の変わり目に立っています。古い価値観と新しい価値観の間で様々なひずみが生まれている時代にいます。でも、その混乱の中にこそ変化の芽があると私は信じています。変わるのは、勇気が必要です。声を上げることは、痛みを伴います。でも、それでも、私は信じたいんです。私たちには、変わる力があると。変わるのは、誰かではなく、私たち一人ひとりです。声を上げること、疑問をもつこと、誰かの痛みに想像力をもつこと、それが新しい風を吹かせる力になります。未来は、待つものではなく、つくるものです。今、この瞬間が、その始まりになればと心から願っています。

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 たかがテレビドラマですが、されどテレビドラマです。教育界の人がほとんど言わないことを、ズバッと言い切っていると思ったので、年が明けてしまっては紹介できないので急ぎアップしました。

 あなたも、このようなテレビ、本、SNSなどいろいろな媒体で紹介に値すると思われた言葉に遭遇していたら、ぜひ紹介してください。お願いします。

2025年12月28日日曜日

教育の新しいうねり ~ 『一人ひとりを大切にする学校』のアクティブ・ブック・ダイアローグ(ABD)へのお誘い

  以下に紹介するのは、そのオーストラリア版です。オーストラリアにおける現在の様子が、よく伝わってきます。しかし、その出発点はアメリカのロードアイランド州の州都プロビデンスに開校したMETという学校でした。一つの学校から出発したうねりは、いま世界に270校(アメリカ国内は、その半分の140校)ぐらいのネットワークに広がっています★。2000年代には、ビル&メリンダ・ゲイツ財団から多額の資金提供を受けていたことでも有名です。

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Big Picture Education Australia(ビッグ・ピクチャー・エデュケーション・オーストラリア)は、オーストラリアの教育における重要な変革を促進することを目指し、地域社会との連携を通じて革新的で個別化された学校づくりを推進・支援しています。

私たちは、画期的な公立学校の設計、新しい教育モデルの研究と普及、学校や地域社会のリーダーとなる教育者の育成、そして若者の教育に地域社会の人々が積極的に関与し、意思決定に参加するための取り組みを行っています。

私たちの哲学の根底には、「一人ひとりの生徒のための教育」という考えがあります。生徒一人ひとりに合わせた教育★★プログラムを提案し、実践しています。

私たちは、本当の学びは、生徒自身が自分の教育に積極的に関わり、教師・保護者・メンター★★★といった身近な大人たちがその生徒を深く理解し、その生徒に合わせたカリキュラム(学習課程)を作り上げる時に生まれると信じています。学校内での学びに加え、学校外での体験が生徒の関心を高め、学びを深めるのです。オーストラリア社会が「テストの点数による成果主義」にとらわれている中、私たちは「一人ひとりに向き合う成果主義」を提唱しています。

現在の公教育システムは、一部の若者のニーズに応えられていません。中には、自分のニーズにより応えてくれることを期待して私立学校に移る生徒もいますが、多くの生徒が公教育から離れ、別の選択肢(オルタナティブ教育プログラム)を選んでいます。もちろん、多くの若者はその後、社会に出て仕事に就くことができています。

 しかし、豊かな国であるはずのオーストラリアで、あまりにも多くの若者が高等教育や就労に進まずに学校を離れてしまっているのは恥ずべき現実です。こうした状況が個人や社会に及ぼす影響は非常に大きく、しかもこの傾向は25年前と比べてもほとんど変わっていません。対策としてこれまでと同じことを繰り返しても、成果は得られていないのです。だからこそ、新しいアプローチが必要とされています。私たちの社会全体で、この教育課題に対して新しい視点で取り組むことが求められています。

Big Picture Education Australiaは、現在の公教育システムでは支えきれていない若者のために、革新的で多様なモデルが必要であると考えています。これは新しい考え方です。これからは、画一的な中等教育のあり方だけが公教育の選択肢であってはならないのです。公教育を支える私たちにとっても、多様な教育モデルが必要です。なぜなら、若者たちのニーズは実に多様だからです。

Big Pictureモデルは、そうした多様なニーズに応えるために生まれました。個別化された学びを通して、一人ひとりの生徒と深く関わりながら教育を行うのが私たちの特徴です。もちろん、私たちのモデルだけが唯一の解決策だとは考えていませんが、私たちはこのモデルが効果的であり、アメリカやオランダの学校で実績があることを証明しています。

私たちは、この課題解決のために新たな対話と行動を呼びかけています。教育成果を向上させるために、新たなパートナーシップや連携、資金調達の方法、学校設計などに取り組んでいきます。

Big Pictureが提供する教育は、リアルで実践的でありながら高度に個別化されたもので、学校での教科学習と実社会での学びをうまく組み合わせています。これまでの教育モデルをひっくり返し、生徒本人の情熱や興味・関心を学びの中心に据えるアプローチです。

海外での取り組みにおいても、この統合型学習フレームワークが生徒の学びを高めるうえで非常に効果的であることが示されています。Big Pictureの学校が成功し普及している理由のひとつは、非常に高い出席率(平均94%)と極めて低い退学率(平均2%)を実現している点にあります。アメリカでは、Big Pictureの卒業生の99%が大学への進学を果たしています。これは、Big Pictureが生徒たちに進学に必要なスキルや支援を提供している証拠です。

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 以上の内容は、かなりの部分、今の日本にそのまま言えてしまう、と思われませんか?

 1月31日(土)に、このBig Pictureの出発点となったMETの創設者であり、20年間以上そこの校長をしていたデニス・リトキー氏が書いた『一人ひとりを大切にする学校』のアクティブ・ブック・ダイアローグ(ABD)を行います。

 本には、これからの学校に求められているものが明確に(しかも、生徒たちの声を中心に)書かれています。私たちに問われているのは、求められているものと現状とのギャップをどうやって埋めていくかです!(その辺まで、当日は話し合えたらいいのですが・・・・ABDは短時間で本の内容を理解することと、対話を通じて新たな気づきを得ることが目的であることを考えると、1月31日以降が大切になりそうです。

テキスト

AI 生成コンテンツは誤りを含む可能性があります。

★そうなんです! 教育には、食べ物、着る物、音楽、ドラマ/映画、ゲームなどと同じように、もはや国境はないはずなのですが、日本の教育界は国境線を引くのが相変わらず好きです。どうしてでしょうか?

★★これの授業版は、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』と『学びの中心はやっぱり生徒だ!』で紹介されています。

★★★校内のよき先輩的な存在ではなく、地域の仕事をもった(生徒のインターン先の)社会人のことを指します。

出典: https://cookshill-s.schools.nsw.gov.au/our-design/big-picture-network.html

参考: https://www.themethighschool.org/METのホームページ)

    https://www.bigpicture.org/ (Big Picture のホームページ)

    https://www.nextschool.org/ (Big Picture の考えをインドに根付かせようという動き:小学校レベル)

    a town torn apart film - Google 検索 ないし https://x.gd/Bac7v (著者のDenis Littky氏が80年代から90年代の初めにかけて(?)校長を務めたニューハンプシャー州ウィンチェスターにあるThayer High Schoolでの体験を映画化したもの。こんな保守的な高校と地域ですら、METBig Picture に加盟する学校が今していることは、やれてしまった!! ということは、やり方次第と、関係の築き方次第?)ちなみに、本物のリトキーさん、この俳優そっくりです!

 

2025年12月21日日曜日

教師の授業、考え方、あり方を変える研修方法としてのコーチング

 このブログもはじめてから14年が経ちます。

 その目的は、教師のメインの仕事である授業を飛躍的に改善することであり続けています。それを実現するための教員研修(教師の学び)関連の書き込みで主だったものを挙げると、次のようなものがあります。

https://projectbetterschool.blogspot.com/2024/10/blog-post_27.html

https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/05/blog-post_20.html

https://projectbetterschool.blogspot.com/2016/03/blog-post_20.html

https://projectbetterschool.blogspot.com/2016/07/blog-post_10.html

https://projectbetterschool.blogspot.com/2015/03/blog-post.html(特に、表の一番右)

https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/03/plc_18.html(特に、「学びの原則」)

これら以外の他の記事に興味をもたれた方は、左上の検索欄に「教員研修」や「教師の学び」を入力して検索すると、たくさんの記事を読めます。

 

 教員研修が機能していないという視点で、機能する22の方法を紹介したのが『「学び」で組織は成長する』(光文社新書、2006年)という本でした。しかし、残念ながら、教員研修はそれから20年間、従来の校内研とセンター研修に固執し続けて、教師の学びが確保されているとは言えない状態が続いています。

 時期が熟すのをこれ以上待てないので、22の方法の一つとして紹介していたコーチングに特化した2冊の本を出すことにしました。1冊目は、すでに出版されている『教師のためのアート・オブ・コーチング』https://www.amazon.co.jp/dp/4571102089/refで、2冊目は来年の2月末に出る予定の『インストラクショナル・コーチング』https://x.gd/P7NeI です。

 それら2つの特徴をまとめたのが、下の表です。


 この表から2つのアプローチの違いは、理解できましたか?

 

●『インストラクショナル・コーチング』

 『インストラクショナル・コーチング』は、学級経営も含めて授業(教え方)★で改善したい点を特定し、それを自分のものにするために必要な知識やスキルを学び、実践をしながら新しい知識やスキルが自分のものになるようにすること(インパクト・サイクルを回すこと)が中心です。

 したがって、https://projectbetterschool.blogspot.com/2015/11/blog-post_29.html

の2つ目の表の一番下の段の「サポート」を確実に実現している方法なわけです。コーチの手厚いサポートによって、教師の8~9割は使いこなせるようになりますから。その際、新しい知識やスキルを達成可能なSMART目標(Specific 具体的で、Measurable 測定可能で、 Achievable 達成可能で、Relevant 関連性あり、Time-bound 期間を設定した目標)ないしPEERS目標(Powerful 効果的か、Easy取り組めそうか、Emotionally compellingどうしても達成したいと思えるか、Reachable達成可能か、Student-focused 生徒中心かのすべてを満たしている目標)を設定することが大切にされています(『インストラクショナル・コーチング』の135~6ページを参照)。この目標設定が、極めてあいまいになっているのが日本の教員研修の大きな特徴の一つです。

 授業改善を実現する一つの効果的かつ達成可能な目標(知識・スキルの獲得)を設定することで、教師は6~9週間という比較的短期間のうちに成功体験をもつことができます。そして、それが次のサイクルを回す大きな動機づけにもなるわけです。生徒にとってはもちろん、自分にとってもいいことは、ドンドン繰り返したいですから。

 平等・選択・声・対話・振り返り・実践・互恵性の七つの原則は、それを見るだけでは当たり前のことが書かれていると思いがちですが、設定した目標を実現するために、コーチと教師が協働し、信頼に基づき、そして共に成長できるパートナー関係を築くための不可欠かつ決定的な要因なので、たとえコーチングを受けなくとも、『インストラクショナル・コーチング』を読んで自分が実践できるものにしてください。なぜなら、他の教師のコーチにならなくとも、教師として生徒とのパートナー関係を築く際にそのまま使えるからです(使わなければ、いい授業/生徒が夢中で取り組む授業は難しいでしょう!)。

 すでに紹介した「パートナーシップの原則」と「インパクト・サイクル」の他にもインストラクショナル・コーチングが成功する要因として、インストラクショナル・プレイブックhttps://projectbetterschool.blogspot.com/2024/07/blog-post.htmlの存在や、データ重視の進め方があります。

 

●『教師のためのアート・オブ・コーチング』

 『教師のためのアート・オブ・コーチング』の目的は、もちろん『インストラクショナル・コーチング』と同じように教師や管理職の行動を変えることなのですが、それを実現する方法として対象者の信念、価値観、感情、あり方を扱うところに特徴があります(トランスメーショナル(変革)コーチングという名称を使っているぐらいです!)。そのために、コーチと対象である教師ないし管理職は、心理的安全性と信頼関係を構築するためによく聴き、よく問いかけるだけでなく、ほどほどに自己開示もします。

 「年間サイクル」は、1年間に一つのサイクルを回すのではなく、ミーティング(毎週ないし少なくても隔週)毎に回している感じです。

 そして、行動の変容は、ミーティングとミーティングの間でコーチと合意したことを具体的な授業改善や行動に移し、次のミーティングでそれを振り返り、さらに修正改善した実行に移すというプロセスを繰り返す形で、小さなステップ(成功)を積み重ねることで、変容が現実の場に根づいていくのです。

 本書の他の特徴(成功の理由)については、https://note.com/coachingletter/m/ma24c24afc5bd の12月10号をご覧ください。

 『教師のためのアート・オブ・コーチング』は、欧米では過去10年ぐらいの間に教育書で最も売れた本の一冊です。昨年、その改訂版が『Arise』というタイトルで出ましたが、10年間の蓄積を踏まえて、ほとんど別な本(というか、さらにレベルアップした内容)になっているので、初版をまだ読んでいない日本の読者にとっては、改訂版から読み始めるのは荷が重いのではないかと判断して、比較的理解しやすく、かつとっつきやすい初版の方を訳しました。

 また、原書のタイトルには「教師のための」はありません。著者は、教育関係者以外の読者も読めるように、コーチングの基本を網羅的に押さえながら、これ一冊があればコーチングができると思ってもらえるように書いています。それが、400ページの大部な本になっている理由です。

 

コーチング便り

 なお、この「PLC便り」の姉妹ブログとして、4つ目の教育ブログ★★の「コーチング便り」https://note.com/coachingletter/m/ma24c24afc5bdを先月からスタートしていますので、そちらも是非ご覧ください。

 

 今回の記事からも、「サイクルを回す」ことが学びを確保するための鍵になっていることが分かります。逆に言えば、サイクルになっていないと、学びを得にくいのだと思います。それは、教師対象の研修にも、生徒対象の授業にも、等しく言えます。

https://projectbetterschool.blogspot.com/2025/09/responsive-teaching.html

https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/06/blog-post_17.html

https://projectbetterschool.blogspot.com/2023/01/blog-post_15.html(教科書や指導案/書は、必然的に直線になってしまい、サイクルにならない?!)

 

★欧米では、学級経営と授業とを日本ほど明確に分ける傾向がありません。分けることによるメリットって何でしょうか? そして、デメリットは?

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2025年12月14日日曜日

教育は予定調和ではない! 主体が立ち上がるとき、教室は揺れる 〜高学年を担任する「やりにくさ」から考える教育の意味〜

小学校高学年を担任していると、ここ数年とくに「難しさ」を強く感じる場面が増えてきました。これまでは、先生の言うことを比較的素直に聞いていた子どもたちが、高学年になるにつれ、そう簡単にはいかなくなってきます。やりたくないこと、めんどうだと感じること、大変だと思うことに対して、率直に「嫌だ」「納得できない」と声をあげるようになります。自我が芽生え「自分はこうしたい」「これはやりたくない」という主張が、はっきりと姿を現してくるのです。

 

もちろん、こうした姿は担任との信頼関係があるからこそ見えてくる本音でもあります。学校の先生が言うから従う、という段階を越えて、自分らしさを模索し始めている証でもあるでしょう。子どもの成長として、民主的な学びの視点から見れば、とても大切なプロセスだと理解しています。それでも、正直なところ、担任としてはやりにくさを感じるのも事実です。

 

学校は集団で生活する場。一人ひとりの主張を丁寧に聞き取り、受け止めようとすればするほど、学級がうまく回らなくなるのではないかという不安が、担任すると常に

頭のどこかにあります。この葛藤は、高学年特有のものではありますが、どの学年を担任していても、形を変えて立ち現れる難しさなのだと思います。

 

さらに、中学校への進学を控えた時期の子どもたちは、さまざまな意味で過敏になっています。成長のプロセスとしての主張だけでなく、家庭環境や周囲の状況から生まれる不満や不安が、学校という場で強い言葉や反抗的な態度として表れることも少なくありません。

 

本来であれば、一人ひとりのペースを大切にし、その子なりの伸びを丁寧に捉えていきたい。そう思いながらも、学校の中には、それを簡単には許してくれない空気が常に漂っているように感じます。これは一体何なのだろうか、と立ち止まって考えることが増えてきました。

 

学校は組織として動いています。その組織を管理するために、学習の進路や「こうすればうまくいく」とされる指導法、数値化された評価の仕組みが整えられてきました。しかし、その仕組みそのものが、子ども一人ひとりを主体として認めることを、かえって難しくしているのではないか。そんな疑問を抱いていたときに出会ったのが、ガート・ビースタの『教育の美しい危うさ』でした。

 

ビースタはこの本の中で、教育を「予定通りに成果が生み出される技術的な営み」として捉えることに、強い違和感を示しています。教育は本質的に、結果があらかじめ保証されるものではなく、常にリスクを伴う営みであると述べています。子どもを思い通りに成長させることはできず、そこには予測不可能な応答が必ず生まれる。その不確かさこそが、教育を教育たらしめているのだ、といいます。

 

さらにビースタは、近年の教育が「学習」という言葉に過度に集約されていることにも警鐘を鳴らします。どれだけ学んだか、どれだけ成果が出たかという視点だけで教育を語ると、教師の判断や責任、そして子どもとの関係性が見えにくくなってしまいます。学習者中心という言葉は一見すると魅力的ですが、うまくいかなかったとき、その責任がすべて子ども個人に帰されてしまう危うさも同時に抱えています。

 

ビースタは、教育の目的を「資格化」「社会化」「主体化」という三つの領域で捉えました。知識や技能を身につけることは資格化、社会のルールや文化を学ぶことは社会化にあたります。学校教育では、どうしてもこの二つが前面に出やすくなります。しかし、ビースタがとくに重視するのは三つ目の主体化です。主体化とは、子どもが「自分はどう生きるのか」「この状況にどう応答するのか」を、自分自身の問題として引き受けていくことです。

 

高学年の子どもたちが見せる強い主張や反発、不満の言葉は、まさにこの主体化のプロセスの中で生じていると捉えることができます。大人から見れば扱いづらく、学級経営の妨げになるように映るその姿も、子どもが世界に対して自分なりの立ち位置を探している証なのだと、ビースタは示しています。だからこそ教育は、うまくいかない可能性を含み込んだ営みであり、その不確かさを排除してはならないのだと語られています。

 

また、ビースタにとって「よい教育」とは、成果や効率で測れるものではありません。教育とは、子どもが他者や世界からの呼びかけに出会い、それにどう応答するかを試される場であり、そこでは教師の意図を超えた出来事が必ず起こります。教師の役割は、子どもを思い通りに導くことではなく、応答が起こりうる場を整え、責任をもって関わり続けることなのだと述べられています。

 

このビースタの思想に触れたとき、教育は予定調和ではなく、リスクを引き受ける営みなのだという前提に、大きな安心感を覚えました。学級が揺れ動くこと、意見が食い違うこと、すぐにはまとまらないことは、失敗ではなく、教育が生きている証なのかもしれません。学校の仕組みをすぐに変えることは難しいかもしれませんが、その中で子どもたちが主体としての自分を発揮できるよう、形成的評価や一人ひとりに寄り添う実践の価値を、これからも確かめ続けていきたいと思っています。