2024年11月17日日曜日

先生方の変革

 先日のとある職員室での風景。何やら若手の先生方が、2人で相談しながら作っている。よくよく見ると先日終えたばかりのメンター/メンティー研修で使用した資料だった。何かお願いしたか、その時の記憶を呼び起こすが、そんな記憶はどこにもない。恐る恐る何をしているのか尋ねてみた。

 「こないだの研修の時間では取り上げきれない相談や悩みがあったので、こんな方法があるよリストを作ってます!!」3・4年目とは思えないほどの行動力。そして何も言わずともメンティーのことを考え、動こうとする、その姿勢。やってきたことが報われてきている。そんなことを感じた瞬間だった。

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 私が学び、考え、実行してきた本校における研修もいよいよ一番大切な時期に入ってきた。そもそもこの研修は様々な段階を考え、計画したところから始めたのだ。

   出会い:理論と実践の往還

    

   拡充:2年目を巻き込んだ研修

    

   成熟:メンターチームの組織づくり

    

   深化: 学校風土として根付き

①は、当時現職大学院生だった私の立場を活かして、大学院での学びを実践してみるという形で初任者教諭2人と時間をもった。当時を今振り返ると、2人には満足したものを提供できなかった。しかし、このなかで大切だと感じた要素があった。

「勤務時間内に行う」「メンターをメンティーが選べるようにする」「お互いに自分事で必要感のあるものにする」

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 次の日。校内を私が巡回していると、職員室で話した4年目の先生が、初任者のクラスを後ろからじっと見つめていた。放課後、声をかけてみた。「何をしてたの?」と。

「この間の研修で出た悩みが実際どのレベルなのか、子どもたちの様子をみてみたくて。実態が分かれば、自分だったら、ということも考えやすいし、他の先生にも相談できるかなと思いまして…。授業をのぞいてました。」

この4年目の先生は何を隠そう、①の時期に私とともに初めてメンター/メンティー研修を行った初任者だった先生である。心の中で、満足なものを提供できなかったことが残っていたので、自分がそこまでいつも考えて見てあげられなかったことや今のような研修が設定できなかったことなどを詫びると…

「こんな研修をやっている学校はないです。それもこれもあの年があったからかと思うとありがたいです。」お世辞でもそう思って、自主的に動き、考えてくれる先生が本当に頼もしい限りだった。

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②・③と毎年少しずつメンター/メンティー研修を繰り返し、研修を経験した先生方が次の年のメンターとなってくれることになった。メンター/メンティー研修のくくりとしてはその初任者がメンティーであり、若手の5年次まで、そして私がメンターとなる。私はここで、大きく考えを広げ、そもそも校内の初任者研修自体をメンター/メンティー・チーム化してしまおうと考えることにした。より多くのベテランからミドルリーダーの先生方に校内初任者研修の各研修担当になっていただき、それぞれの専門や分掌に合ったお話や指導をしていただいた。メンター/メンティー研修のなかでは、初任者と手立てや課題を考える際に、他の校内の先生方の実践や手立てを紹介したり、一緒に確認しにいったりすることも意識的に取り組むようにした。そうすることで、普段から初任者が職員室内になじみ、事案によって相談する相手を選べるように環境づくりを行った。少しずつ自分が描いた形が目の前にできてきている。あとはこの風土を根付かせること。今年度が始まる際、私の中で一番の課題として考えたことである。

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 今年度第2回のメンター/メンティー研修は、3年目の先生が中心に企画・運営をしてくれた。なぜその先生が中心に運営しているのか、気になった私。先生に直球で聞いてみた。

「今まで、自分は参加して、言いたいこと言ってきただけなので。こんなことがやったらいいんじゃないか。これが必要なんじゃないか。少し考えてみまして。先輩方(4年目の先生2人)に相談しました。」

この先生は、私が教務主任となり初めてみた初任者である。先日の運動会の打ち上げ。ふらっと傍によってきた先生がこんなことを聞いてきた。

「私、成長できていますかね?」

 初任者時代は「辞めないでくれ!」と願っていた先生だった。しかし、今となっては学校の中心となって様々な仕事を任されている。思ったことをそのまま伝え、労うと

「先生に言われるといろんな思いがこみ上げます。いつも話を聞いてくださり、相談にのってくださりありがとうございます」と返してきた。

いえいえ。ありがとうはこちらがですよ。今年度のはじめ、初任者が初めての授業参観を前に、悩み、遅くまで残っていたとき、最後まで初任者に寄り添い、共に流れを考えてくれた先生。

「自分のことで精いっぱいです。」

そんなことを常々口にしていた先生が、学校のためにそして初任者のために考え、動いてくれるようになった。その事実が私の力となり、次の手立てへの活力となっている。今、まさに、本校では「先生方の変革」が起こっている。私も負けていられない。次の一手を打てるように、広い視野をもって、今何が必要かを考え、よりよい学校風土を培えるように今日も、子どもたちそして先生方との対話を重ねていく。

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以上は、8月18日、9月21日、10月6日と続いている、埼玉で教務主任/初任者校内指導教諭をしている田所昂先生の第4弾です。

2024年11月10日日曜日

ICT活用で生徒の学びを支援!一人一台端末の効果と教育の可能性


2022年以降、日本の公立校では一人一台の端末が導入され、ICTによる学習が日常となりつつあります。なぜこのような学習環境が必要なのでしょうか。学校現場にICTを導入することの意義と課題とは何でしょうか。ICTを活用した学びが教員と生徒にどのような可能性を提供するのか考えてみました。

 

ICTデバイスが導入されている主な目的は、生徒に情報を適切に扱うスキルやクリティカルな思考力を身につけさせるためです。ダイアナ・ニービーとジェン・ロバーツの著書『11台で授業パワーアップ!』では、「情報をクリティカルに評価し、効果的に情報を収集・処理し、共同作業で高品質な作品を作るスキル」が必要とされています。このスキルは、将来の大学生活や職場での成功に不可欠なものです。一人一台の端末があることで、こうしたスキルを日常の学びを通じて体得する環境が整い、ICTを通じて効率的かつ豊かな学習が可能となります。ICTの利用は、生徒が多様な学習方法を選択できる点でも有用です。テキストを音声で聞くことができるオーディオブックや、手先が不自由な生徒向けのタッチペンなどのサポートツールが、学習体験を多様化してくれます。




 

ICTの導入にはメリットが多くありますが、一方で、その効果や影響についても議論が必要です。昨今のヨーロッパ一部の国では、ICTデバイスを小学校中学年で使わない方針をとる学校が増えており、デジタル機器の使用が子どもの心理的・健康的な面に与える影響が懸念されています。教育の現場では、ICTがもたらす学びのメリットとリスクの両方を認識し、慎重に活用していくことが求められます。

加えて、テクノロジーの使用に際しての重要な視点として、Googleの教育エバンジェリスト、ジェイミー・カサップ氏は「テクノロジーはあくまでツールであり、学びに焦点を当てるべきである」と本書で述べています。ICTは教師に代わるものではなく、教師とテクノロジーが相互に補完し合いながら学びの深まりを支援するべきだという考え方が根底にあります。

 

ICTの最大の利点は、生徒個々のニーズに合わせた学習支援ができる点です。たとえば、読むのが苦手な生徒には、音声での読み上げ機能を提供することでテキストの理解を助けることができます。また、授業のホワイトボードの内容をデバイスで記録したり、段階的なチェックリストを表示して自分のペースで取り組むことができるなど、学習過程の自己調整をサポートします。また、特別なニーズを持つ生徒には、学習内容を補完するためにデジタルツールを用いたサポートも重要です。例えば、視覚に障害がある生徒には音声読み上げアプリを、聴覚に障害がある生徒には視覚的な手がかりを増やした学習教材を提供するなど、生徒それぞれに適した学びを実現できます。

本書においては、その実践について著者の具体的な事例をもとに紹介されています。ICTを使うことで、生徒同士が学び合い、協力して課題に取り組む環境が整います。リアルタイムで共有されたテキストにコメントを残したり、ディスカッションスレッドで意見を交換する「いっしょ読み」など、双方向性の高い学びが可能となります。これにより、生徒は他者の意見を尊重しながら自己表現を磨くことができ、チームワークや協働力が育まれます。また、授業内でフィードバックを受ける際にもICTは役立ちます。Googleフォームを用いた相互評価や、音声コメントを活用したフィードバックなどにより、すぐに生徒に応じたサポートが提供できます。こうした工夫により、生徒は自分の成長を実感しやすくなります。

 

一人一台端末の活用に不安を感じる教師もいるかもしれませんが、まずはICTを積極的に活用している教師とのつながりを作り、実際の授業見学やオンラインでの情報交換から始めてみる提案がされています。これによってICTの活用方法は多様であり、まずは身近なところから少しずつ取り組むことで、ICTがもたらす可能性を実感できるはずです。

 

ICTは、教育の現場において生徒一人ひとりの学びを支え、学習を豊かにするための有用なツールです。しかし、テクノロジーはあくまで「学びのための道具」であり、教師の存在や指導の価値は変わりません。教師と生徒がICTを有効活用することで、生徒の学びを深め、将来に向けたスキルの基盤を築いていくことがこれからの教育において重要です。各教員が自らの授業に適したICT活用方法を模索し、柔軟な姿勢で取り組んでいくことによって、ICTはさらに有効な教育ツールとなるはずです。あるのに使わないなんてもったいない!

2024年11月3日日曜日

日本の学校はソフトスキルとどう向きあうのか?

先日、ある会合で、地域の高校の校長が次のようなことを言っていました。

「近年、「連帯」が不足しているのではないかと感じます。どういうことかというと、我々の時代には、体育祭のようなイベントの最後にフォークダンスを踊ったり、ファイアーストームをやったりしたものです。あのような人と人とをつなぐようなものが欠けてきているんじゃないかと。」

この校長は、一人一人の個性を尊重し、特性を理解して、個に応じた対応が不可欠だということは分かる。その一方で、人と人とが切り離されているように感じてしまうと言いたかったとのこと。その場に居合わせた私たちは、(同世代でもあり)フォークダンスやファイアーストームという言葉に、思わず微笑んでしまいましたが、同時に、今の若者が抱える深刻な状況が垣間見える気がしたのです。

その発言に対して、大学の事務局に勤める参加者からも、興味深い発言がありました。

「コロナ禍が始まったころ、感染者の感染源をたどるために、一人一人に丁寧に聞き取りをしていました。感染源としてもっとも多かったのが部活動関連。部活動仲間は一緒に行動していることが多いことが分かった。次に多かったのが、バイト先での感染。一方で、もっと驚いたのは、感染源をたどれない学生がかなりの数いたことでした。まったく、他人と接触していない若者です。」

コロナ禍で、人と人との接触が大幅に制限されていた時期ではありましたが、よくよく聞いてみると、普段から食事も1人で食べることが多く、人と一緒にいることが少ないという学生がかなり多くいたことに驚いていました。

濃密なコミュニケーションをもてている若者と個の中に埋没してしまっている若者の間に大きな格差が生まれてきているのではないかと思えました。人との良い関係を築ける若者がいる一方で、それがうまく築けない若者がかなりいるのではないか。日頃、10代、20代の若者と接している人たちは、ある程度、そのような感覚をもっているのかもしれません。

近年、ソフトスキルの重要性が注目されています。★1

ソフトスキルとは、仕事をする上でベースとなる個人の性格特性や行動に関わるスキルのことで、コミュニケーション力、リーダーシップ、問題解決力、柔軟性、協調性などが含まれています。一方で、ハードスキルとは、資格や技術、専門知識など、教育や訓練で獲得した能力のことを言います。

ソフトスキルが求められる背景として、1) 働き方改革の進行 2)AIの進化 3) エンゲージメントの低さがあると指摘しています。1)は、ソフトスキルが生産性を向上させ、働き方改革の実現につながるということ。2)は、AIが進化すればするほど、AIにはない、強調性や柔軟性、創造性など、人間ならではの能力が重要になるということ。3)のエンゲージメントは、ここでは会社や仕事に対しての愛情や思い入れのことを指しています。同サイトの説明によると、「エンゲージメントが低い会社では、業績や定着率、社員のモチベーションの低下、組織の衰退などが起きていると言います。ソフトスキルが高まることで、仕事に対するモチベーションやチャレンジ精神なども向上しやすくなると言われています。」と述べています。

世界最大のIT企業の一つであるグーグルの人材の採用基準について論じた、エリカ・アンダーソンさんの記事は、この問題と大きく関連しているように思います。★2 この記事があげている、グーグルの採用基準のトップ5は次のとおりです。

5  専門知識(Expertise)
4  自分事として捉えられる/取り組もうとする姿勢、マインドセット(Ownership)
3  謙虚さ(Humility)
2  リーダーシップ(Leadership)
1  学ぶ能力(Ability to Learn)

このリストは、例えば、謙虚さといった項目が意外性もあり面白いですが(自分よりも素晴らしい考えをもっている人がいたら、率直にそれを認めるようにしようという意味のようです)、あげられた項目よりも、その順序がとても興味深く感じます。

プログラミングなどの専門知識がもっとも求められそうな企業において、主体性や謙虚さ、リーダーシップなどの方が上位にきているのです。そして、もっとも重視しているのが「学ぶ能力」。その説明の中に、ここで言う「学ぶ能力」をよく言い表している一節があるので引用しておきます。

すべての会社は、好奇心にあふれ、間違えたり、危険を犯すことをおそれず、バカバカしい質問でも平気で聞く、そうやって新しい能力を磨き、新しい解決策を見出していくことができる人材を求めているのです。そして、そうやって組織は成長し、未来に向けて伸びていいけるのです。」

(原文 Every company needs employees who are curious, who are willing to make mistakes and go out on a limb and ask dumb questions in order to develop new capabilities and new solutions - that's how organizations will thrive and grow into the future.)

我が国の学校教育は、長年に渡り、ハードスキルを追い求めてきたように思えます。ハードスキル一辺倒であったと言えなくもない。もちろん、授業以外の場面、例えば、部活動や学校行事などでは、ソフトスキルを育むことのできる場面はあったと思います。

このソフトスキルをどうとらえ、どう学校教育の中に組み込んでいくのか。これが、今後の重要なテーマの一つになるように思えます。


★1 ソフトスキルとは? 具体例一覧と鍛え方、ハードスキルとの違い, カオナビ

https://www.kaonavi.jp/dictionary/soft-skill/

★2 「Googleの人材採用基準とは?」

Erika Andersen, How Google Picks New Employees (Hint: It's Not About Your Degree), Apr 07, 2014.

https://www.forbes.com/sites/erikaandersen/2014/04/07/how-google-picks-new-employees-hint-its-not-about-your-degree/?sh=6ae1775f25e4

2024年10月27日日曜日

教員研修を実のあるものにする4つの原則

 ある研究者が6つの大陸の29か国の136人の教師に、教員研修についてのインタビューをしました。教師たちが明らかにしてくれた、その体験内容は大きく異なるものでした。「一度も参加したことがない」から、「その内容が自分にとって関連性がないので失望した」や「参加した教員研修によって力を与えられ、意欲的に実践に取り組んでいる」まで多様でした。この多様な反応は、日本国内の教師を対象にインタビューしても、似たような結果が得られるのではないでしょうか?(一度も参加したことがない、という人は悉皆研修が多いのでいないでしょうが。)

 彼女の調査結果が導き出した驚くべきことの一つは、これらの異なる経験にもかかわらず、意味のある教員研修を設計するために重要だと考える同じ一連の原則にたどり着いたのです。学校は、新しい派手なことをするのではなく、むしろ、教師のためにこれらの核となる普遍的原則が常に存在することを確保することに焦点を当てるべきだとしています。

 以下に、その4つの原則を紹介します。


1教員研修を参加者に関連性のあるものにする。

インタビューを受けた教師たちにとって、効果的な教員研修は、まず日々の教室での経験に関連している必要があります。関連性のある研修は、教科に特化しており、エビデンスに基づいた最善の教え方★に根ざし、教師たちが直面する最も一般的な課題(たとえば、特別支援が必要な生徒のサポート、神経多様な生徒への配慮、教えることと学ぶことへのICTの効果的な統合★★など)に対処します。関連性のある教員研修はまた、実践的であり、教師が実施することが期待されるスキルをモデルで示し、実践と振り返りの機会を豊富に提供します。最も重要なのは、実用的で即座に適用可能な方法を提供し、教師の学びが直接的に教え方の向上(=生徒の学びの向上につながること)を保証するものであることです。

 以上と同じことがすでに、https://projectbetterschool.blogspot.com/2015/11/blog-post_29.htmlの2つの表に表されています。

 アメリカのワシントン州にある高校では、教師たちは最も関連性のある教員研修の例としてコーチングを挙げていました。これは、学校に常駐するコーチとペアで、45週間教師たちが特定した最も差し迫った授業の課題に取り組むというものです。このような対象を絞ったアプローチにより、教師たちは直面している最も関連性が高く緊急の問題に対処し、自分の教え方を向上させることができます。

 コーチングについては、来年出版予定の『インストラクショナル・コーチング』とThe Art of Coachingの邦訳を参照してください。

 

2教員研修を協働的にする

教師は同僚と共に学び、同僚から学びたいと考えており、教師が最も重視する教員研修は、教師同士の協力に基づいています(間違っても、講師などの話を聞くことではありません!)。チームベースの学び、教師が互いに観察し合い、ピア・コーチング、協力して授業/単元案の開発、教科の枠を超えた学びの機会などが、教師たちによって最も効果的な学びの方法として挙げられています。

 教師にとって、協働的な教員研修は、専門的な学びを深め広げるだけでなく、学びが行われる支援的で安全なプロの教師集団=PLC(このブログのそもそももねらい!!)を生み出し、継続的な改善、体系化された実践、共通の言語を育む環境を促進します。教師が自らの専門知識を同僚と共有する教師主導の取り組みを奨励することで、豊かな教師相互の知識基盤を生み出し、学校全体のコレクティブ・エフィカシーが向上する可能性があります。 ~レクティブ・エフィカシー(集合的効力感)については、『コレクティブ・エフィカシー~自立的で相互依存的な学習者を育てる』ジョン・ハッティほか著、北大路書房を参照ください。

 

3教員研修を継続的にする

教師たちがインタビューで繰り返し述べたように、彼らは教育を専門的成長の生涯にわたる旅と見なしています。それに伴い、専門的な教師の学びはこの長期的な成長のために必要なサポートを提供しなければなりません。すでに分かっているように、イベントとして行われる教員研修では、教室での実践向上に不可欠な持続的な変化にはつながりません。したがって、効果的な教員研修は継続的である必要があり、教師たちが学び、アプローチや技術を実施し、振り返り/修正するための定期的な機会を提供することになります。~ ある意味では、このサイクルを回し続ける中長期間の時間(しかも、毎週ないし隔週というペースで)が欠かせないと言えます!

 学校に常駐するインストラクショナル・コーチは、教師が新しく学んだことが適切に理解され、実施されることを助けます。インストラクショナル・コーチは、各教師に対して最善の教え方をモデルで示し、教室での実施を観察し、教師にフィードバックを提供して教室での実践を向上させます。この継続的なアプローチにより、教師が学んだことが教師の教え方に移行し、さらに定着することが保証され、時間とともに教師の教え方により意味のある変化がもたらされます。

 

4教師をエンパワーメントする

私たちがインタビューした多くの教師にとって、教員研修はしばしば彼らに対して行われるものであり、彼らと共に(ないし、彼ら主導で)行われるものではありません。教育委員会や教育センターの研修担当が、いくらがんばって、受講者のニーズを把握しようとして、テーマを掲げて、適当な講師を呼んできて、その話を聞かせたところで、残念ながら、それが受講者に伝わること(ましてや、残って活かされること)はほとんどありません。その意味で、この無駄なアプローチは早々に改めるべきです!

教育委員会や教育センターは、教師による教師のための一日がかりの教師が学び合うためのフォーラムを組織することができます。例えば、カナダのニューブランズウィック州では、すべてのセッションが教師によって設計され、教師のために実施される人気のある年次一日フォーラムを開催しています。教師に自分たちの研修の設計に関与してもらうことと、教師の専門性を認め活用することになります。また、教師が参加する教員研修の種類についてより多くの選択肢を提供することは、教師の「オウナーシップやエイジェンシー(自分事や主体性の意識)」を高めます。また、教員研修のプロセスにおいて教師が大切にされ、「声や意見」が聞かれていると感じることは、学びのプロセスへのより積極的な取り組みとコミットメントを確保します。これらの要素~エンパワーメント、参加者の声や選択、オウナーシップやエイジェンシー、積極的な取り組みやコミットメント~を総合的に取り入れることで、世界中の教師に響く強力な教員研修の枠組みが形成されています。

逆に言えば、これらの大切な要素がまったく考えられていない日本の教員研修のほとんどが、見事に「実にならない」研修であり続けている理由も明らかになります!

 

★日本で一般的な教え方は残念ながら、単に習慣だからという理由だけで、このエビデンス(証拠)がないものがあまりにも多すぎます。

★★この最後の点に関しては、先月に新刊の『一人一台で授業をパワーアップ! 教育の質を飛躍的に向上させるICT活用実践ガイド』(ダイアナ・ニービー&ジェン・ロバーツ著、学文社)https://projectbetterschool.blogspot.com/2024/10/ict.html

出典:https://ascd.org/blogs/4-universal-principles-for-effective-teacher-pd

2024年10月20日日曜日

教育にICTを導入する必要性 (→新刊案内)

 立命館守山中学・高等学校(国語科)の犬飼龍馬先生が、『一人一台で授業をパワーアップ! 教育の質を飛躍的に向上させるICT活用実践ガイド』(ダイアナ・ニービー&ジェン・ロバーツ著、学文社)の紹介文を書いてくれました。

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社会は凄まじいスピードで変化していきます。現代では人工知能(AI)が小説を書き、車が高速道路を自動で運転し、ビッグデータがマーケティングを支配しています。これらはわずかこの数年間の変化だというのに、私たちはもう数年前の生活に戻ることができません。

10年前はどんな社会だったのでしょう? 30年前は? 例えば30年前、私たちはお気に入りの音楽をカセットテープにダビングし、友達にプレゼントをしていましたね。隔世の感があります。これが100年前ともなれば、社会は今とは全く異なるものだったに違いありません。

社会は大きく変わりました。しかし、学校の授業だけが、100年前と同じやり方をしています。数十人の生徒を一つの教室に押し込み、全員に前を向かせ、教師が黒板に書いた文字を生徒がノートに写す。これでいいのでしょうか?

Society5.0の社会において、子どもたちは情報を自ら選び、活用していくことが求められます。教師が全生徒に同じ情報を与えているだけでは、子どもたちの情報選択・活用の力を育てることはできません。ICTはその力を育てるのに有効なツールです。子どもたちがそれぞれに選択した情報を活用して、建設的に議論し、協働をする。そのトレーニングは学校でしかできないのです。教育にICTを導入することは今や急務といえそうです。

 

本書をおすすめするポイント

 ICTの利活用に関し、どの段階にある先生方にも充実した学びがあることが、本書をおすすめする大きなポイントです。

 まだICT導入前の学校に務めておられる先生は、本書によって、学校にICTを導入することにまつわる様々な心配を和らげることができるでしょう。

 ICT導入したての先生は、学校にICTを使った教育を根付かせるための様々な工夫を学ぶことができます。

 ICTの利活用を一通り成し得た先生は、その利活用の方法を更新し、さらにパワーアップした教育活動を始めるきっかけを得ることができるでしょう。

 本書の著者であるニービーとロバーツは、この新しい教育方法に期待し、挑戦し、悩み、乗り越えていきます。著者たちの(そしてもちろん子どもたちの)ICTにまつわる様々な出来事は、彼らの息遣いまで聞える鮮明さで示されます。この本はICTの理想だけではなく、現実も示されます。そして彼らは、その解決策も懸命に語ってくれるのです。

 私の印象に最も残っているのは、ニービーとダイアン・メインのエピソードです。ニ―ビーのメンターであるダイアン・メインは、ニ―ビーのクラスが初めて一人一台端末に移行したとき、「不快な状況に慣れることが必要だ」と言いました。メインは、新しく取り組もうとしている方法が、うまくいくかどうかわからないことを認めているのです。ニービーはそんなメインを信頼します。ニ―ビーは、メインが不確実性を心地よく感じ、リスクを冒して教える方法を変え、成功した姿を目にします。ニービーはそこから、一人一台端末の教え方と学び方に伴う曖昧さを受け入れる覚悟をかためたのです(57ページから)。

 ICT導入以前の先生も、もうベテランの域に達した先生も、本書を手に取り、ニービーとロバーツ、そして生徒たちの勇気と挑戦に触れ、ICT利活用の具体的なスキルを更新するとともに、明日の教育活動に挑戦する勇気を掴みましょう。

 

本書の章立て

第1章 一人一台の端末の準備ができた。さて、どうする?

第2章 コミュニケーションとワークフロー

第3章 エンゲージメント

第4章 コラボレーション(協働)

第5章 オーディエンス(発表の対象)

第6章 一人ひとりをいかす

第7章 フィードバックと評価

第8章 創造性とイノベーション

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2024年10月13日日曜日

現場の声が求める教育改革 カリキュラムオーバーロードを見直す時

 

「先生ともっといっしょに遊びたい」

先日、クラスの子どもが私にそう言いました。教員として20年以上のキャリアを積んできましたが、振り返ると、以前は昼休みや放課後に子どもたちと一緒に遊ぶ時間がたくさんありました。しかし、いつの頃からか、学級の仕事や学年の業務に追われるようになり、子どもたちとゆっくり過ごす時間も気力も少なくなってきてしまいました。

そんなことを考えていたとき、朝日新聞の朝刊に「小学生で毎日6時間は『負担』 研究者らが授業時数を分析 本を出版★」という記事が目に入りました。紹介されていたのは『学校の時数をどうするか 現場からのカリキュラム・オーバーロード論★★』という本で、授業時数に関する分析が記されているとのことでした。興味を持ち、すぐにその本を取り寄せて読んでみたところ、納得できる内容ばかり。

現在、次期学習指導要領の改訂が検討されていますが、「少なく教えて豊かに学ぶ」ためには何が必要か、深く考えさせられるきっかけとなりました。

 

現在の子どもたちは、昔と比べて授業時間が大幅に増えてしまっています。1977年当時は、毎日5時間授業が基本で、放課後は友だちと遊ぶ時間もありました。しかし、今の小学生は、低学年でも6時間授業が多く、帰宅すると「疲れた」と言ってホッとする子どもが増えています。特に、外国語や道徳の授業が新たに増えたことで、子どもたちは余裕を失い、友だちと遊ぶ時間も減少してしまいました。

「カリキュラムオーバーロード」とは、教育内容が増えすぎ、学校や教師、子どもに過剰な負担がかかっている状態を指します。この問題は、日本では特に顕著です。日本の教育システムには入試を重視する文化があり、そのために多くの学習内容を教える必要があるという期待が強くあります。これが結果的に、教師や子どもに過度の負担を強いる形になっているようです。

 

学習内容は常に変化し、時代に合わせて新しい科目やスキルが追加されます。しかし、その一方で、旧来の学習内容は削減されることなく残され、新しい内容がどんどん上乗せされてしまっているのが現状です。その結果、学習の負担はますます大きくなっています。

特に、2017年の学習指導要領では、標準授業時数が過去最高の16時間に達しました。子どもたちは毎日6時間の授業をこなさなければならず、これにより授業の質を維持するのが難しくなっているだけでなく、教師が授業準備に費やす時間や、子どもたちとの対話や遊びを通じて関係を築く時間も削られているのが現実です。

振り返ってみると、1977年や1989年頃は15時間授業が当たり前で、教師も授業の準備にじっくりと時間をかけ、楽しみながら授業をつくり上げていました。しかし、1998年と2008年の学習指導要領の改訂では、PISAショックを背景にゆとり教育が批判され、外国語活動などの新しい要素が導入されました。2017年にはさらに授業時数が増加し、今やカリキュラムは過去最大級に膨れ上がっています。「これも必要」「あれも必要」と次々に新しい内容が加わる一方で、子どもたちがそのすべてを十分に学び取れるかどうかは、あまり考慮されていません。たくさんの内容を詰め込み、長時間の授業を行うことが本当に子どもたちのためになるのか、今こそもう一度見直す必要があるのが今なのです。

 

1972年に遠山啓が「日本の子どもたちは拡大したカリキュラムによって、学習が消化不良を起こしている」と指摘しました。それからすでに数十年が経過しましたが、現在でもカリキュラムの膨張は続いてしまっています。他の教科の時間が削減されることなく、外国語活動の授業時数が増えてしまい教育現場を混乱させてきました。このような学習負荷の増加は、子どもたちの学びに集中する時間を奪い、教師の働き方にも悪影響を与えているのが実感としてあります。

また、2017年の標準字数は歴代最高の授業時数を誇り、これに対して多くの教員が「負担が大きい」と感じています。さらに、働き方改革の一環として、授業時間を見直す声も上がっていますが、本来、子どもたちが民主的な自治について学べる委員会やクラブ活動の時間が圧迫されたり、働く時間を短くするために「家族とのふれあいを大事にしましょう」と、午後6時には退勤が決められてしまいます。本来、十分に検討すべき学校行事や子どもの姿について語り合われる場が失われ、先生たちの実践の自由や、主体生をくじかれるようなことが続いています。現行の学習指導要領ではこれらの「現場からの声」に十分応じられていない状況です。

 

カリキュラムオーバーロードを解消するためには、教育内容そのものを精査し、最も重要なコンテンツに絞り込む必要があると教育学者たちは指摘しています。しかし、単に内容を減らすだけでは解決にはなりません。白井俊や那須正裕といった研究者らは、特定の学問分野における重要な概念や思考パターンに焦点を当て、それ以外の内容を削減することで、子どもや教師の負担を軽減できると主張しています。

すべての学習内容には関係者が存在し、その削減には強い抵抗があるのも事実です。そのため、カリキュラムの目標を「資質や能力の育成」に置き、これに直結するコンテンツを優先すべきだと提案されています。しかし、学習内容というものは、どの場面においても「資質や能力の育成」と密接に関わっているため、単に「資質や能力の育成」という抽象的な基準で学習指導要領を整理することは、理想論にとどまってしまう可能性があります。

このような状況下で、書籍では、子どもや教師にとって最適な授業時間や学びの形態を再考するためには、1時間1時間の授業をどう充実させるか、そして子どもたちの学びの質を高めるためにどのような環境が必要かを「現場の声」から議論することが不可欠であると痛烈に批判していました。

 

カリキュラムオーバーロードの解決策として、小学校のガイドラインの提案が紹介されています。現行のカリキュラムが子どもたちに合っていないという問題を解決するためには、授業時間の見直しが不可欠です。1日の授業を5時間に制限し、週25時間以内とする提案があります。

 

小学校標準授業時数ガイドラインの提案

1.ガイドラインの必要性

学校現場の側から、子どもに合った標準授業時数の案を作成します。現在の標準授業時数の改善に向けた参考資料として役立てることです。長期目標としては、国が一律に標準授業時数を定めること自体に問題があることを踏まえ、再考を促すことを目指していきます。

2.授業時数の見直し

授業は15時間までとし、子どもに過度な負担や我慢を強いないようにすべきです。子どもたちや教師達から現場の声を聴き取り適切な授業時数を検討した結果、15時間が妥当でした。これにより、週25時間、年間875時間と設定されます。これはコロナ禍での実践を踏まえた数値でもあります。

3.新設教科の見直し

新たに追加された教科や領域の授業時数については、再検討すべきです。特に、2008年に導入された外国語活動は、その妥当性や効果が十分に検証されないまま、1日平均授業時数が5.8時間に増加しました。2017年にはさらに、平日16時間という負担が追加されました。これらの新設教科の影響を見直し、必要な修正を行うべきです。

4.評価の時数設定

授業時数は35の倍数で設定し、時間割をわかりやすくする必要があります。これにより、毎週の時間割作成や配布作業が軽減され、授業計画がより安定します。複雑な時間割のために事務作業が増え、多忙さを助長している現状を改善することができるからです。

5.特別活動の時数の確保

特別活動の授業時数を70時間に設定し、児童会活動やクラブ活動、学校行事の時間を充実させるべきです。2017年の標準授業時数では、学級活動には35時間が配当されていますが、児童会活動や学校行事のための時間は十分に確保されていません。このため、学校は複雑な管理を強いられ、正確な授業時数の把握が困難となっています。特別活動の時数も標準授業時数内で統一的に管理されるべきです。

6.時数のあるべき姿

現在の標準授業時数が「現場の実情」に即したものであるか、再考する必要があります。現場からの意見を反映させ、子どもや教師にとって最適な授業時間や学習環境を提供するための議論が今、強く求められています。




 

カリキュラムオーバーロードの問題は、子供たちや教師の負担を減らすために、今後も議論が必要です。特に、教育内容の精査や授業時間の見直し、現場の声を反映したカリキュラムの改善が求められています。子どもたちが少ない内容で豊かに学び、成長できる環境を整えるためにも、教育制度の再考が必要であり、この声を届けるのは、学習指導要領改訂の検討をしている今なのです。

 

 

「小学生で毎日6時間は『負担』 研究者らが授業時数を分析 本を出版」

https://www.asahi.com/articles/ASS9Z261RS9ZUTIL00HM.html

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大森 直樹 (編集), 永田 守 (), 水本 王典 (), 水野 佐知子 ()『学校の時数をどうするか 現場からのカリキュラム・オーバーロード論』(明石書店2024

2024年10月6日日曜日

私は何のためにこの職についたのか

埼玉県の公立小学校で教務主任/初任者校内指導教諭をしている田所昂先生の第3弾です。

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 「私は何のためにこの職についたのか。」

 最近、このことについてよく考えます。あこがれていたこの職についたものの、担任として子どもたちと関わったのはわずか9年。もちろん、その間に様々な経験をした上で、ステキな子どもたちにも恵まれてきました。

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「私は何のためにこの職についたのか。」

 初めてこのことを考えたのはこの職について3年目のときでした。子どもたちとの関係で、はじめて大きな躓きを経験しました。もともと打たれ弱いガラスのハートの私は、どうにかなってしまいそうで…。でも、その時周りにいた同じ学年の先生や生徒指導主任、管理職に助けられました。

「どうしてこの職についたの?」「これからどうしていきたいの?」「一緒にそうなれるようにがんばろう。」

ある時の何気ない会話から自分自身を見直し、どうにかその状況から立ち直ることができたと思います。子どもたちと全力で向き合うためには職場の環境や先生たちの関係性が大切なのだと思いました。

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「私は何のためにこの職についたのか。」

 ある年、私は初めて研究主任という立場を任されました。教育委員会からの委嘱も受けている研究を2年目から引き継ぐ形でなりました。そこから3年間学校の研究の中心に身をおくこととなり、子どもたちの様々な変容を感じることができました。私としてはたくさんの学びになったのです。

 でも、この3年の間に先生方の様々な意見や考えの違い、子どもたちへの向き合い方の違いに悩まされました。「私の普通はみんなの普通ではない」ということが当時の私にはものすごく高い壁のように感じ、子どもと向き合うことと同じように先生方とも向き合っていくことの重要さと大変さに気が付きました。もう一度、この職についた意味と自分が子どもたちのために何ができるのか。そのことと向き合うためにもう一度学ばなければと大学院へと足を向けました。

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「私は何のためにこの職についたのか。」

 私は大学院にもともと興味のあった小学校の英語教育がもつ可能性について追究することを目的に行きました。実際、大学院に行かなければ得ることのできない経験や学びを得ることができ、行く前よりも自信をもって小学校英語教育において大切なことや、その可能性について考えをもつことができました。

しかし、それ以上に私は多くのことを大学院で学びます。1つは様々な教育に携わっているそしてこれから携わろうとしている人々と多くの意見交換をする機会を得たということです。自分の見方だけでは考え付かないことも様々な人と協働するとよりいいものが生み出せる経験をたくさん積むことができました。

他には学校を組織として見て考える経験をたくさん積みました。実際に当時の教頭先生にシャドーイングをさせてもらい、1日はりつきながら管理職の仕事とはどのようなものかを考えました。また、様々な都道府県の管理職を目指す先生方と学校を組織としてまとめていくために大切なこととは何かを考え、若手育成のための研修のあり方についても考えました。

加えて、新たな教育の形にも触れました。IB教育の実態や実際の指導法を学び、資格をとりました。そこから現場に戻った際にすぐにでも活用できることは何か。近い将来、変えていける学びの形はどんなものかを考えることもできました。

「この多くの学びを早く現場に戻って活かしたい。」

ただただその思いで修了証を受け取り、現場へと戻りました。

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「私は何のためにこの職についたのか。」

 

大学院から戻ると今のポジションに収まります。担任外。先生方のことが一望できる席。初めてその席についたとき、正直、こんなはずじゃ…と思いました(笑)初めてのその場所は、本当に転職したかのよう。仕事の内容がガラリと変わり、子どもと関わる以上に先生方との関わりが大きく増えました。私と同じように初めてこの職につく初任者の先生がその年もいて、日々悪戦苦闘する姿は、私と同じ。

 「どうしてこの職についたの?」はじめて会話したその日から、ぜひその先生にこの職の魅力をもっともっと感じてもらいたい。そう思いました。そのためには多くの先生たちと関わりをもって、自分が学びたい人や学びたいことを見つける必要があると考えました。それまで初任者研修の校内研修は基本的に校内指導教員が計画を組み、示範授業以外はマンツーマンでテキストをもとに講義形式で行っていました。それを私は、

 「○○先生のこの実践をもとにお話をしていただきたい。」

 「先生にお話いただければ初任者は本当に勉強になる。」

といったことをこれまでの経験を活かして、それぞれの先生一人ひとりにお願いしてまわりました。そして実際に研修を行っていただいたあとにも

 「お忙しい中、ありがとうございました!」

「初任者があのお話が勉強になったと言っていました。他にはどんな実践があるんですか?」

とお礼も兼ねたコミュニケーションを図るようにしたのです。

本当に他愛もない会話ですがこのおかげで、私が担当するはずだった講義のものが半分以上、ちがった先生のものとなり、ただの講義がリアルな現場の話や実践例、そしてともに自分の学級だったらどうするかと検討等に形が変わっていきました。本音で相談したり、考えを共有したりすることで、初任者は様々な先生方の考えに触れることができ、研修以外の時間でも他の先生方との会話が増えている様子が伝わってきました。

 初任者だけでなく、私自身にも、お願いや事後の会話をしにいったことで、他の場面でその先生方から

「先生、聞いてくださいよ~。」「実は相談があって…」と多くの先生方が話しかけてくれるようになりました。

学年に所属していない孤職はなかなかコミュニケーションを取る機会がなく、関係づくりが難しいなと感じていました。しかし、一つのやり方を変えただけで、少しずつ自分が、「どの学年にも所属している」という感覚に変わってきたのです。

 それから私は広い目でそして、耳をダンボにして先生方の様子や会話をキャッチするようにしました。機会を逃さず、先生方に寄り添い、そしてコミュニケーションを図る。まずは自分が中心・仲介となって、職員室の雰囲気を良くして、様々な先生方をつなぎ、考え方の理解を図れる場所にしたいと思うようになったのです。

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「私は何のためにこの職についたのか。」

 先日も隣に座る教頭先生とこの話になりました。子どもの笑顔がみたい。子どもと関わりたい。子どもの人生の中の一部分に関わることができるから。今も昔もそういった理由に変化はありません。

 でも、今は子どもの笑顔の先には必ず先生の笑顔がある。先生の笑顔の先には職員室の笑顔がある。そう考えるようになっています。私は少しでもその様々な笑顔を作り出すためにできることをコツコツと少しずつ実践したい。今日もそんな答えを自分自身に述べながら、先生方の様子をじっくりと見つめています。