どういう経緯でこの本を読むことになったのかは
覚えていません。
現役の中学校の国語の先生をしながら、文学賞を3つもとりながら作家・執筆活動をされている方とか。(これを書いた当時は。いまは、執筆業に専念されているようです。)
ウィキペディアには「日常生活のなかにある温かな気持ちを描くのが秀逸で、いずれの作品も読後に
じんわりとした感動を与えてくれる」と書いてあります。(いま探しましたが、この引用箇所は見つかりませんでした!)
しかし、よくも悪くも、日本人が書く学校というのはこのレベルなんだろうな~、と思わされました。
何も変わっていかない、ということも含めて。
彼女の目はあくまでも作家の目や、なりたい教師になって満足している教師の目であって、よりよいものを子どもたちに提供することに生きがいを感じる教師の目ではないのです。
たとえば、2冊の翻訳が出ているレイフ・エスキスが書いている本など比較してしまうと...
(ランディ・パウシュの本もかな?)
『ありがとう、さようなら』のような本が、世に出る仕組みや構造(=日本の出版のあり方やそれを取り巻く社会のあり方)まで考えさせられてしまいました。★★★
上に書いたことって、RW★やPLC★★とは関係ないでしょうか?
それとも、関係ありますか?
ぜひ、反応をお願いします。
★★★ 実は、今回紹介している文章のオリジナルを書いたのは6年半前の2010年1月でした。( )は、今回付け足しました。従って、今となっては「『ありがとう、さようなら』のような本」の中には、このブログでも紹介した木村
泰子著の『「みんなの学校」が教えてくれたこと: 学び合いと育ち合いを見届けた3290日』も含まれる気がします。
でも、売れないのを分かっていながら、イギリスの学校の紹介本を出してくれる出版社がまだ存在していることが救いです。
★★★★ 瀬戸さんは作家としては優れていると思います。たくさんの子どもたち(と大人たちも?)の指示を受けていますから。単に、優れた作家=教育の担い手あるいは変革者ではないということだと思います。(しかし、このズレによってつくり出される間違ったイメージを修正することは、容易ではありません。)
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